第112話「呼び出し」
計画を立て終わったローナは早速、エティカへ終業後に話がしたいと持ちかけた。
二つ返事で了承した白銀の少女は、何一つ変化のない屈託な笑顔を浮かべた。
半年前から変わらない、くしゃっとした笑み。
ただ、なんとなくという予感だが、抱えているものがありそうな。不安を押し殺して、潰して、見えないよう工夫している、そんな確証もない予感がローナを刺激した。
エティカは大きくもなった。実家に帰り、鴉へ戻ってからも手伝いを率先してこなす。
ローナの仕事も覚えて、ヘレナの仕事も学んで、今や給仕として働けるほどになっていた。
料理も手際がよくなって、たまにアヴァンのヘルプへ入ることもある。
それが、嬉しいようで悲しい。
いや、なにもしなくても一切問題はなかった。給仕や受付の仕事はヘレナとローナでどうにか回せる。
そうやって、維持していたがエティカという少女が、その新しい歯車として加わること。
嬉しいことなのに。仕事が減って楽になるのに。
なぜか、薄暗い感情が湧いてくる。
嫌な予感とも違う、ただドロっとした後ろめたい感情。
その気持ちを紛らすよう、もう一度エヴァンにちょっかいをかけたローナ。
少しの嫉妬心を混ぜてしまってもいいだろう。
そんな心理があったからか、思わずエヴァンに目潰ししたのはお茶目な給仕として片付けてもらおう。
◆ ◆ ◆
酒場に充満したアルコールの匂いが外に流れでるよう窓を開け、換気する。
今日も程よく客が来て、程よく飲食されて汚れたテーブルを拭く。
エティカも同じようにテーブルを拭いていく。
やはり、二人分の労力があると倍速で仕事が終わっていく。
テーブル拭きも、床の掃除も、食器を洗う作業も分担すると爆速で片付く。
やはり、白銀の少女と一緒に働くことの嬉しさの方が増しているローナは、区切りのいいタイミングでエティカへ声をかける。
「エティカちゃん、そろそろ終わりましょ」
「え、まだ、床の、拭き掃除が……」
「明日の朝に回しましょ、それよりお酒が呑みたいわ」
ローナの言葉に、ふふっと微笑した少女。
姉分が切り上げの号令を出したなら、従うのが妹分の務めだとエティカも出してきたモップを隅に立て掛ける。
そんな白銀の少女とは対照的な紫紺の瞳は、そそくさと晩酌の準備を進める。
いつもエヴァンの定位置となっているカウンターに陣取り、青年からのお土産として受け取った、果実酒の入った瓶を並べる。
カウンターにひっそりと隠していたのだ。
存外抜け目ない姉御である。
ローナの晩酌専用の小さなショットグラスまで取り出して、宴が始まりそうな勢いだ。
そんな様子を遠くから眺めていた白銀の少女に気づいたローナは、隣の椅子をぽんぽんと叩きながら。
「何してるの、いらっしゃい」
「ふふっ、はーい」
ちょこちょこと近づいて、隣にぽすんと座る。
そういえば、ローナの晩酌に付き合うのは初めてな気がする。
いつもこの時間には、部屋へ帰ってエヴァンの手を握って感触を楽しんでいたのだ。
それが、今は姉と慕うローナに誘われ晩酌の付き合い。
なんだか、無性に嬉しかった。
その気持ちがこぼれたのか、白銀の少女はにやけている。
「どうしたの、ニヤけちゃって」
「え、出てた?」
「ええ、ふにゃふにゃだったわよ」
そう指摘された白銀の少女は、むにむにと頬を揉む。
純白の肌がほんのり色づく。
「なんかね、嬉しいの」
「嬉しい?」
尋ねながら、ローナはショットグラスへ酒を注いでいく。
今日は葡萄の果実酒。芳醇な香りと甘ったるい匂いが漂う。
少し赤みの入った深みのある紫色の液体が、グラスを満たす。
この瞬間が、酒飲みの楽しみでもある。
「なんかね、悪いこと、してるみたいで、ワクワクするの」
「あら、悪いことじゃないわよ。正当な労働に対する報酬よ」
夜更かしする子どものような高揚感が、エティカを沸き立たせていた。
ただ、労働時間外に何をしようと自由なのだから、好きな酒を飲むのも自己報酬として正当だとローナは主張する。
「そうだね、ローナちゃん。凄い、頑張ってるし」
「そうでしょ。もっと褒められるべきなのよ」
なみなみと注がれたグラスを一息に飲み干す。
クイッと煽って、アルコールの焼けるあつさが喉を流れる。
やはり果実酒もいい。果物の自然な甘さが口の中に残って、まるで大人なジュースみたいだ。
そんな様になった飲み方を眺めていたエティカ。
やはり、ローナも大人なのだ。
「エティカちゃんも飲む? 意外と癖になるわよ」
「わ、わたしはいいよ……」
未成年だし、と遠慮する。
婚姻年齢と一緒に飲酒も解禁されるが、まだ白銀の少女は十歳。
ただ、一度飲んでみたいとは思うが、エヴァンに優しく叱られたことには従いたい。
だから、今は匂いだけ楽しむのだ。
「まぁ、そうね。呑ませたのがバレたらエヴァンに叱られるわ」
「エヴァンは、そんなに、怒らないと、思うけど……」
「貴方のことになると、めちゃくちゃ怒るはずよ」
今や彼も恋する男子だ。
悪事に手を染めたことのない子が、飲酒がきっかけでグレてしまったらどうする、と怒るはずだろう。
……それはどちらかと言えば、父親なのではないか。
一瞬、思考が濁ってしまったのをアルコールで蒸発させる。
白銀の少女は、エヴァンがそんな怒るような人間ではないので不思議そうな表情をしている。
当事者だからなのか。それとも近くに居すぎて分からないのか。
どちらにせよ、紫紺の婦女には羨ましい心境であった。
「で、そんな貴方がとても大事なエヴァンと何があったの?」
「え?」
キョトンとした表情を浮かべる。
「鴉に帰ってきてから、エヴァンの様子がおかしいのよ。ずっと上の空で、ぼけーとあほ面で、実家に戻った時何かあったのかと思ってね」
ローナがその様子を思い出すと、むしゃくしゃとした怒りが煮え始める。
やはり、目潰しだけでは足りなかったようだ。
そんな紫紺の質問に白銀の少女は思い当たる節があるのか、飲酒もしていないのに真っ赤に茹で上がる。
露骨に。
何かあったときを想起して、動揺している。
指をいじいじと遊びながら。
「実はね、エヴァンに告白したの……」
やはり、予想通りであった。
そして、胸にぽっかりと穴が空いた。




