第111話「アルコールの匂い」
アヴァン・ベルヘイムは、所持している能力の影響から嗅覚が鋭かった。
それは複数の野菜が煮込まれたトロトロのスープであっても、全ての野菜や肉の種類、どのような加工がされたかや、調味料の全てを特定できるほどに。
それほどに鋭敏な鼻を持つと苦労もあるわけだが、その中でも一番の心労は、人の心の動きも匂いで分かってしまうことだろう。
怒れば、炭火の焦げた煙臭い匂いがする。
悲しめば、雨がうちつけた石畳の匂いがする。
楽しめば、太陽の下、干したシーツの匂いがする。
嬉しいと、果実のほんのりとした甘さの匂いがする。
そして、恋をすれば濃厚な甘味に包まれる。
片想いであれば、甘酸っぱい檸檬の匂いとまだ熟れていないみずみずしい薄味の甘みがする。
両想いであれば、花の匂いがする。
帰ってきたエヴァンとエティカからは、強烈なライラックの匂いが漂っていた。
それは、鼻を曲げるようなものではないが、胸焼けがしそうなほどであった。
ライラックは優しく甘い香りのはずが、ここまで猛烈なのを嗅いだことは、アヴァンのこれまでの人生では経験したことがないくらい。
だからこそ、二人に変化が生じているのはいち早く気づくことができた。
ただ、ローナのことを思うと言うべきか考えたが、仕方ないだろう。
いつかは乗り越えなければいけない。
その思いを込めて、なるべく軽く言ったつもりだったが、当の本人達は唖然とした表情で固まっている。
ある意味ガキ臭いローナとエヴァンである。
おおよそ、ここからの反応もいくつか予想が立てられる。
一つ、エヴァンが慌てて否定する。
二つ、エヴァンが照れてそれをローナが怒る。
三つ、ローナが茶化す。
そんな予想を立てるほど、この状況を楽しんでいたアヴァンであったが、現実は予想外の事が起きた。
「そ、そうなの……?」
エヴァン・レイ。
頬を真っ赤に。指をもじもじと輪をつくりながら、照れた。
まるで乙女のように。
それがあまりの衝撃でアヴァンを襲う。
「きもっ……」
「おい、可愛いと言えよ」
「いや、気持ち悪いですよ……」
エヴァンが取った行動は、恋する乙女のように照れて周囲をドン引きさせた。
青ざめたアヴァンとローナ。白い目でみつめる青年は、思わぬ反応で憤慨していたが、人にはイメージに沿った行動が似合うのだ。
その言動共々、白銀の少女がしていればいい。
ただ、十七歳の男臭い者がするのは大災害レベルであろう。
実家に帰省した時、頭を強打して、打ちどころが悪く行動含め変わったと思いたい紫髪の給仕と赤髪の料理人であった。
そんな二人へ、不服が露骨に溢れた態度で事の顛末を語ったエヴァン。
祭りでの出来事やら、あれやこれを。
それを聞いたアヴァンは、ポロッとこぼす。
「で、付き合うのか?」
「うぐっ……」
真ん中豪速球な言葉が、エヴァンを貫いた。
「い、いや、告白されたわけでは、ないし……」
「でも、口の動きを見てそう判断したんだろ?」
「そう、なんだが……」
花火の轟きで聞こえなかったのは事実。エティカの口の動きをよく見ていたからこそ、そう判断したわけだが、実はエヴァンの勘違いかもしれない。
四文字の言葉ではあるはずだが、それが告白だとは限らない。
「それで、エティカちゃんもいつも通りだから余計に詳しく聞きにくいと」
「あぁ……」
あの火花の輝きの後、エティカはいつも通りに接してきた。
その時のことを思い返すことも、話題に出すことも、話すことを避けている訳でもなく、いつも通りに過ごしているのだ。
手はしっかり指を絡めて握るし、夜は添い寝もする。
祭りの後片付けもぎこちない雰囲気になったのは、エヴァンだけでエティカは変わらず作業をしていた。
肩は触れ合うほど近いし、寄り添って隣へ座る。
上の空のエヴァンへ食事を食べさせる。
少し積極的になった程度の違いで、変わらない態度。
だからこそ、余計に聞きにくかった。
あの時の言葉は。エティカの本当の気持ちは。
いつも通りにされるからこそ、戸惑って聞きづらい。
それが今、追及される原因まで引き伸ばした理由だ。
その事が読めた二人は露骨に溜め息を吐く。
可能なら砂糖を吐き出したいと思えるほどあからさまに。
「ヘタレ」
「根性無し」
「酷い奴らだなっ!?」
なぜ、ここまで臆する必要があるのか分からなかった。
ただ、それほどの相手なのだろう。
嫌われたくない相手だからこそ、慎重になっている。
一挙手一投足が気になって、夢中になった心と感情をふわふわと浮かべながら。
それが、分かると多少の憎さも湧いてくる心を必死に抑え込む。
今、この時の紫紺の瞳に映る不安げな青年へ、救われた恩を返す時なのだろう。
ならば、少し時間を貰おう。
決行は今夜に見据えて、ローナは脳内の計画を密かに進めながら青年の弱音を責め立てた。




