【外伝】「エティカのいつもの日」
エティカの一日は優雅に、可憐に始まる。
今なおエヴァンの腕に潜り込みながら、眠りを貪っていた白銀の少女は覚醒への道を進む。
「…………ふぇ」
なんとも、優雅とも可憐とも言い難い発音が少女より漏れ出る。
まだ、朝焼けの時間――早朝である。
「……朝」
ようやく日が昇ってきたのか、部屋が濃紺から澄み切った水色へと染まっていく。
それを視認した少女は、ゆっくりと体を起こし寝惚けた頭にちょこんと生えた艶やかな角を触る。
「うん、顔洗おう」
彼女が角を触り、自身の存在を確認するのは毎朝の恒例であり、ベッドから足を下ろす前にぐっすりと眠るエヴァンの頭を撫でるのも、日課となっていた。
そんなエティカが、頭に何も被らず部屋から飛び出るわけもなく、いつも机の上に置いてある帽子を手に取る。
地味目な、少しエティカには大きいその市販品の茶色の被り物は、白銀の少女にとって大切な物であった。
ヘレナからのお下がり、そしてエヴァンによって術式を掛けてもらった一品。
白銀の少女が、この家にいてもいいと証明してくれた帽子でもあるのだ。
「よし」
しっかりと被り、角も隠したのを姿鏡で確認したエティカは部屋から歩き出す。
まず、エティカが向かったのは黙する鴉の裏口。
ちょっとした裏庭にもなっているその場所は、従業員もしくは下宿している人間がよく使う場所となっていた。
無論、それは白銀の少女が慕うもう一人の存在も同様であった。
「あら、おはようエティカちゃん」
ローナ・テルシウス。
淡い紫色の髪を整えながら、深く煌びやかな紫紺の瞳は白銀の少女を捉えた。
既に黙する鴉の給仕服に着替えている辺り、もう仕事の一つや二つは片付けているのだと察するエティカ。
それほどにローナは万能であった。
「おはよう、ローナちゃん。早いね」
その紫髪の給仕がいる水場まで白銀の少女は近づく。
この光景もいつものこと。
このやり取りも毎日繰り返していたこと。
そして、大切なこと。
「まぁ、ね。そういうエティカちゃんも早いわね。昨日は確か遅くまで起きてなかった?」
「うん、ちょっと、本読んでたら、遅くなっちゃって。
――って、それ、知ってる、てことは、ローナちゃんも、起きてたの?」
「えぇ、少し晩酌をね」
と、さも当然のように答える。
それが、その反応がエティカの心配を引き立てた。
「ダメだよ、ちゃんと、寝なきゃ」
白銀の少女が主張するように、ローナは朝早く誰よりも一番先に起きて、誰より遅くまで起きている。
睡眠時間が足りていないのは明白であって、いつしか壊れてしまう。もしくは、壊れてもおかしくない生活リズムなのだ。
エティカが、不安に紅色の瞳を歪めるのも無理はない。
「大丈夫、私結構頑丈だから。……そういうエティカちゃんも、早く寝なきゃダメじゃない」
「わたし、は、ほら、アレだから」
エティカは、ローナからの追及をあえて濁した。
そう、あえて。意図的に。
「便利なのか、それとも人間関係で言うと不便なのか。まぁ、エティカちゃんが大丈夫ならいいわ。私の心配もしなくていいわよ」
万能な給仕、察しが良く、言葉の意図さえ容易く掴んでしまうローナは、そうさっぱりと言い切った。
そうなってしまうと、何を言っても効かないことを白銀の少女は理解している。
だからこそ、紫髪の給仕の隣を陣取ると。
「みんな、ね。わたしより、早く、死んじゃうから」
そうボソリと、呟くように。
重く、沈むような言葉は、悲哀と寂しさと苦しさが混じった色合いをしていた。
エティカ――白銀の髪をふわふわにした可愛らしい少女は、魔人族である。
エヴァンやローナ、そして黙する鴉に泊まっているあらゆる人間とは全く別の種族。更には、彼女たちが暮らすストラという領地にも居ない種族。
『魔王』の眷属として、様々な種族を敵に回す魔人族は、どの地でもどの場所でも、処刑の対象であった。
だからこそ、そんなことを隠さねばいけない。
だからこそ、身分を伏せ、ひっそりと過ごすしかない。
そんな日陰としての生活を余儀なくされた白銀の少女は、誰よりも長命なのだ。
人が八十年の寿命が平均だとするなら、彼女たち魔人族は数百年の時間を過ごすことができる。
エヴァンやローナ、黙する鴉で過ごす面々が天寿を全うする頃には、エティカは今と変わらぬ姿でいるだろう。
少し大人びているかもしれない。
髪も伸びているかもしれない。
化粧もしているかもしれない。
だが、お互いの過ごせる時間も違うのだ。
だからこそ、健康で生きて欲しい。
病気になることもなく、毎日をただ当たり前のように平穏に暮らして欲しいのだ。
例え、ひとりぼっちになってもいいから。
それまでは、一緒にいたいから。
そんな気持ちを滲ませたエティカへ、ローナはデコピンを浴びせる。
「あぃた!」
「エティカちゃん。私を舐めないで頂戴」
真剣に、いつも無表情のはずがその瞳は怒りが徐々に染まっている気がしたエティカは、額を抑えながら息を止める。
何を言われてもいいように。
集中するために。
「私を誰だと思ってるのよ。黙する鴉の万能看板娘よ。仕事なんか何の苦もなくこなせるのよ。今日は朝出立するお客さんが多いから、受付所とか綺麗にしただけ。ただ、それだけ。なんてことないわ」
と、自信満々に言い放った。
実際問題、ローナにとっては苦でないのだろう。
それまでの、彼女の経験や黙する鴉に来るまでの生活の方が大変だったのだろう。
しかし、そんなことも上手に隠したローナは、エティカの頭を撫でる。
「でも、ありがとうね。体を壊す前に言ってくれて良かったわ。少し気をつけようかしらね」
「うん……」
エヴァンよりも、優しく柔らかな撫で方に、白銀の少女は穏やかな笑みを向けた。
そして、いつも通り水場にて顔を洗い、自室へと戻るまでローナと言葉を交わす。
そんな当たり前の、特に変わり映えもない、ゆるゆるとした白銀の一日が始まった。




