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【外伝】「甘みを求めて 5」

 エティカは魔人族である。

 それは紛うことなき事実であり、歪みようのない真実でもある。彼女は、人一倍気が利く。周りへの気配りも上手で、言葉の吐き出し方も素直で、拙いながらも可愛さ溢れる喋り方で居続けている。

 そんな彼女が、少し前まで栄養失調な状態から回復したのはエヴァンやその周りの人々のおかげではある。しかし、エティカが魔人族という他種族に変わりはない。


 人一倍の知力。人一倍の魔力。そして、人一倍の筋力。

 例え、細くしなやかな腕であろうと、それは男達が開けられなかった瓶を易々と開けてしまうほどの力を秘めている。

 それが、彼女が魔人族たる証拠でもあり。


「エヴァン、元気だして」


 エヴァンの(おとこ)としての心をへし折った証拠でもあった。

 しかし、いつまでも消沈したままでは格好がつかない青年は、頭を振ることで意識を切り替える。

 大事なのは彼女に美味しいものを食べさせるということで、今エヴァンが意気消沈することではない。


「あぁ、ありがとうなエティカ」


「う、うん」


 エヴァンの感謝を心配そうな表情で、受け取る白銀の少女。その手に握られたガラスの瓶からずっと甘い匂いが立ち上っているが、彼女はそのことよりエヴァンの方が心配なのだろう。


「ほら、エティカ。せっかくだし、一口食べてみな」


 なるべくエティカの心配を自分自身ではなく、蜂蜜へ向くよう、木箱に入っていたティースプーンを手渡す。

 それでも紅色の瞳は気がかりが滲んだ揺らめきではあったが、本来の目的を思い出し、その銀色の食器を受け取る。


 何度かその琥珀色の粘体とエヴァン、養蜂家の男性を見つつ、しかし意を決してスプーンを突き立てる。


「ふぁ」


 白銀の少女は予想していたよりも違う感触に可愛らしい声が漏れる。


「やわらかい……」


「嬢ちゃん、蜂蜜は初めてなのか?」


「うん……」


 ティースプーンを持ち上げると、とろとろとした粘度液体が落ちていく。それだけで楽しめるほど、綺麗な煌めき。まるで螺旋状に落ちていく不思議な光景に、白銀の少女は目を奪われていた。


 もし、宝石が溶けたならこんな世界だろう。透き通っていて、それでも様々な色が輝いて。琥珀色に煌めく世界を通せば、その先に映るのはなめらかな黄金色の風景で、それがまたエティカの気持ちを昂らせた。


 そして、それは初めて見るものだと証明するようで、エヴァンはそこで彼女と過ごしてきた思い出を振り返る。


(そういえば、黙する鴉に果物とかはたくさんあったし、ジャムもあったはずだが、蜂蜜だけは無かったか)


 記憶の片隅に至るまで掘り返しても、話題の品は見つからない。好んで買うほどではないし、そもそも蜂蜜自体そこそこ値が張る。

 ゆえに果物で代用できる部分は、それで補っていた。


(なにより、あそこむさ苦しい奴らしか来ないからな……)


 そうポツリと考える。

 一見失礼にも思えた思考回路ではあるが、事実でもあるし周知のものでもある。

 そんなエヴァンの外れた思考より、白銀の少女はティースプーンからこぼれ落ちる蜜をどうするべきか悩んでいた。


「嬢ちゃん、思い切って食べちまいな」


 そう男性が発破をかけた。しかし、エティカが戸惑っていたのはどんな味がするのか不安だから、という訳ではなく。


「でも、食べたら、綺麗な、世界、無くなっちゃう」


 目の前の黄金の世界が、無くなってしまうことへの寂しさがあったからだ。

 養蜂家の男性は、それを聞いて目を見開いたが、すぐさま豪快な笑みを浮かべる。


「ありがとうよ嬢ちゃん。でも、食べてみたらその綺麗な世界が、もっと輝いて見えるかもしれないぞ? 試してみな」


 その言葉を真正面から受け取ったエティカは、ゆっくりとそのスプーンに乗ったオレンジ色の溶かした宝石を眺め、次にエヴァンへ視線を移す。

 そんな青年は優しく穏やかな表情で頷く。そのまま彼女へ促すと、エティカは意を決してスプーンを口に運ぶ。

 少しぎこちない動作ではあっても、おずおずとした動きではあっても、そのなめらかな蜜を小さな口におさめた。


「……!」


 突如、エティカの様子が一変する。

 それまで、若干の不安が滲んでいた表情から驚いたように紅色の瞳を見開いた。

 更には、俯いたのだ。


「え、エティカ……?」


 エヴァンは不安になる。同様に養蜂家の男性も心配な様子で、震える白銀の少女を見る。


(まさか、美味しくなかったとか?)


 そんなこと有り得るのか。それとも味に合わなかったのか。

 それなら、彼女がこんな反応をするとは考えられない。いつもなら、美味しいものを食べた瞬間に「おいしい!」と率直な感想を発するはずが、初めての状態にエヴァンは不安ではあった。

 しかし、それは杞憂であった。


「お……」


「お?」


 肩がぷるぷると震え、白銀のフワフワな髪も揺れる。

 そんなエティカが、バッと顔を上げると今まで見たことないほど、とびっきりの笑顔がそこにあった。


「おいしいぃ!」


 今までエヴァンが見てきた中でも、最高峰な笑みであった。

 頬も少し紅潮し、紅色の瞳は蜂蜜を溶かしたようになめらかな輝きを放っている。ワクワクと端正な眉も上がり、その様子だけでかなりの代物だと証明していた。


「そうかそうか」


「うん、とっても! 甘いのに、花の匂い、もして、凄いよ、エヴァン!!」


 満足気に頷く養蜂家の男性と、今にも踊りだしそうなほど高揚した少女。

 飛び跳ねることは彼女なりに控えているのだろう。それでも足はぴょんぴょんと浮き上がっている。


 そんな様子に触発されたか。はたまた、急かされたか。エヴァンもティースプーンを手に取り、少女が差し出した瓶に差し込む。


「おぉ、結構なめらかだな」


「うん、美味しいよ!」


 早く早く、と言いそうなほどの勢いではあったが、同じ嬉しさを共有したいというエティカなりの可愛さがそこにあった。

 そんなエヴァンは、ゆっくりと、こぼさぬように口へ運ぶ。


「うまっ」


「ね! ね! 美味しいよね!」


 彼女がこれほどまで歓喜するのも分かった気がした。

 エヴァンの口内には濃厚な香りと匂いが充満していた。


「甘すぎず、あっさりとした優しい風味なのに、なんて言うでしょう。コクがあるというか……」


「そう! 上品な、味、で、おいしい!」


 舌に落ちた粘度からは想像できないほど、あっさりとした甘味。優しい口当たりに、ほんのりとした酸味のバランスも大変整っている。

 次に押し寄せるしっかりとしたコクも癖がなく、上品な味わい。そんな濃厚な匂いの中に、存在感を放つ花の香りも非常に心地よく、これだけで充分に楽しめるほどの逸品。

 しかし――エティカは育ち盛りでもあり、食べ盛りでもあったのか。ポツリと零す。


「パンに、つけたら、もっと、美味しい、よね」


「あぁ、確かに……」


 これだけ濃密なものだ。単品で楽しむだけではなく、パンにつけたり紅茶に入れるだけで、より一層楽しめるものだろう。

 そのことに気付いてしまった。

 しかし、せっかく蜂蜜を食べさせて貰っているのに、パンまで要求するのは恩着せがましいと感じた二人は、独り言のようにポツリポツリと零したはずが。


 養蜂家の男性は、意外と策士でもあった。


「そう言うと思って、ほれ今朝届いたばかりのパン」


 木で編まれたカゴに乗せられた大量のパンを持ってきていた。いつの間に、とも思っていたがそこは蜂蜜と付き合ってきた男性だ。どんな組み合わせが合うか、どんな物と一緒だとより引き立つか。

 それを考案して、思考して、試行錯誤をしているからこそ、この行動を取ったのだろう。


「え、でも……」


 流石にエティカは差し出された物を素直に受け取るほどではない。遠慮もするし、配慮もする。

 だからこそ、蜂蜜まで頂いているのにパンなんて、と思った大人びた白銀の少女ではあったが。


「あんたら朝早くて朝飯まだだろ? いい機会だここで飯食っていけよ。俺も食べるついでさ」


 と、提案しつつ椅子にどかっと座る。有無を言わさないその姿勢ではあったが、その時――


 ぐぅ……。


 エティカの腹の虫が可愛らしく主張した。

 思わぬ音色に白銀の少女は、真っ赤に茹で上がる。更には俯いてしまって、誰とも顔を見合わせることが難しいくらいになってしまった。

 思わず、笑みがこぼれてしまったエヴァンはその様子をいつまでも眺めていた気持ちを切り離し。


「では、お言葉に甘えて。ほら、エティカ」


 恥ずかしがる少女へ座るよう促す。それでも、恥ずかしさと申し訳なさが勝ったエティカは、なかなか踏ん切りがつかない様子ではあったが。


「一緒に、食べよう?」


 エヴァンのその一言で、静かに着席。

 養蜂家の男性に手渡されたパンを手に取り、ゆっくりとその小さな口へ運ぶと、それまでの恥ずかしさはどこへやら。

 一変して、「美味しい!」と何度も満面の笑顔を浮かべるほど、堪能した少女。

 彼女が、誰よりも多くパンを食べたのは言うまでもない。

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