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第109話「惹かり」

 飲み終えた後、行き交う人の流れが変わる。

 1ヶ所に向かうよう集まって、村長邸が見える位置取りをし始める。

 エヴァンは、急にそんな様子が気になって視線が泳ぎ、立ち尽くす。

 人も賑わいが増していき、ひしめき合った中。

 そんな青年の袖をくいくいとエティカは引っ張る。


「ん? どうした?」


 人混みが増えてきて、人の流れに乗りそうな青年を引き止める。

 立ち止まった二人をかわす村民。立ち上る土埃(つちぼこり)が煙のようにエヴァンへ巻き付く。

 青年の質問に対して、エティカは疲れたような笑みを浮かべながら。


「人混み、苦手だから、落ち着ける、場所が、いいな」


 と、上目遣いにおねだりしてきた。

 思わずエヴァンの心臓が跳ねる。だが、苦手なら人の少ない場所へ移動した方がいいだろう、と急いでドキッと強く脈打つ心臓を落ち着ける。


「分かった。ちゃんとついてこいよ」


「うんっ」


 くしゃっとした笑顔が確認できた青年は、ひとまず袖に伸びた美白の手を握り、指を絡めながら人混みをかき進む。

 とりあえず、近くで落ち着けるとしたら雑木林の中だろう。

 急ぎつつ、それでも下駄を履いて歩きにくいエティカのためにゆっくりと。


 流れとは直角な動きをすると村民の肩がぶつかる。

 それでも、目指すは近くの林の中。

 カランカランと鳴り響く下駄の音は軽快に空気を震わせる。


 なんとか雑木林まで到達し、ある程度喧騒から離れるよう奥まで進み、近くの木を背にエティカと肩を並べる。

 村長邸が見える絶好のポジションでもあった。


 少し息があがってしまったエティカは、揺れる肩のまま無邪気な笑顔を向ける。


「えへへ、凄い人だね」


「あぁ、多かったな……。どうしてあんな急に動きはじめたのか分からないけど……。エティカは大丈夫か? 人混みが苦手って言ってたけど」


「あー……」


 そういえば、そんな事を言ったような気もする。

 急にエティカは歯切れが悪くなり、頬を掻いて目を逸らす。

 素直な白銀の少女の変わった様子に、疑問が頭の上に浮かんだ青年へ、照れたように答える。


「あれ、嘘なんだ」


「え、嘘……?」


 今まで嘘をついたことがないエティカに、目を丸くして見つめるエヴァン。

 驚いた表情の中でも、鳩が豆鉄砲を食らったような顔だ。

 それほどに少女が嘘をつくことは無かった。


「うん、嘘。本当は、平気だった、けど……」


「どうしてそんなこと……」


 エヴァンには分からなかった。見当すらつかない。

 どうして彼女が嘘をつくのか、嘘をつかなければいけないのか。

 それにしては、可愛い嘘であったが。


「え、分からない?」


「あぁ……」


 頷いた青年へ見つめる紅色の瞳は、いつもより艶があるように見える。

 白銀の少女は、イタズラをした小さな子どものように笑いながら、唇に指まで添えて。


「だって、二人きりに、なりたかったん、だもん」


 小悪魔のように言った。

 その姿と幼いながらも魅惑的な声に。青年の心は撃ち抜かれる。

 それは正に、空に打ち上がった火花と同じように。


 ドンッ――。


 白銀の少女の後ろ。ちょうど村長邸の上空へ多彩な花が、轟音(ごうおん)とともに開く。

 その部分は青年へ強く印象が残る。


 浴衣姿のエティカの背後を彩る花火は、幻想的で夢のようで、瞬く間に消える儚さよりも、胸をときめく美しさに息を呑む。

 パッと咲いた花も、小悪魔の笑顔の少女も、白銀の髪が風に揺れるふわふわな匂いも、パステルカラーの浴衣も、うなじも指先も、全てが一枚の有名な画家に描かれた絵画のようであった。


 一発だけで終わらず、何度も打ち上がる花火。

 なぜ、東の国の名物がここにあるのかという疑問よりも先。

 エヴァンの心は、エティカに向いてしまっている。

 早鐘の心臓と花火の(とどろ)きでうるさい体は、体温が沸き立つように上がっていく。


 何発も打ち上がる大輪の花を眺めていた少女。

 その姿すら様になったエティカは、もう一度エヴァンへ振り返る。


「エヴァン!」


 ふわっと浮かんだ白銀の髪は綿雲のようで。夜空のカーテンでも一番の輝きを浮かべながら。

 少女は、きめ細やかな白い肌を赤く染めながら。

 おそらく、今まで青年がみた中でもとびっきりの笑顔で。


「――――」


「え……」


 打ち上げられた花火の騒音に掻き消えた言葉であったが、口の動きで青年は理解できた。

 ドクンッと射抜かれた心臓が激しく鼓動を強める。

 もし、青年の心の音が聞こえるなら。例えるならそう。



 なにかが落ちる音とともに、ライラックの甘く優しい匂いがした。

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