第106話「さいかい」
酔いに身を任せ、思うがままに熱弁していたエヴァン。
その様子が駄々をこねる幼心にも思えたが、一番の被害者であるローゼルにとっては、頭を抱える事案であった。
いや、まさか数年間離れていた昔馴染みが、たった数杯の果実酒で酔いがここまで回るとは考えてはいなかった。
悪い飲み方を示した青年は、力説する度にテーブルを叩いて揺らす。
ガタンっと揺れる酒癖の悪い仕草にローゼルもお手上げ状態。
頬が染まったエヴァン。
口から出てくる言葉はどれも「エティカが可愛い」「エティカは美少女」「エティカは誰にもあげない」といった内容で、とても白銀の少女本人を目の前にして言えるものではなかった。
それまで、少しずつ青みがかった夕暮れの空も漆黒のスカートへ衣替えをする。
それほどの長い時間、筆舌に尽くし難い白銀の少女への想いは終わりが見えない。
そんなやり取りが他の者へもなんとなく近寄りがたい雰囲気で、遠巻きから見られていた頃。
カランカラン、と乾いた木が地面を叩く音が近づく。
歩き慣れてない。普段の革の靴とは違って、違和感がある。
それが足音となって響く。不規則な足音であったが、エヴァンの後方。ローゼルの前方からくる少女は、一番会いたい人物へ一目散に駆け寄る。
青年の真後ろに立つものの、エヴァンは気づかない。
それほどに熱の宿った舌を回していたが、中断させたのは白くしなやかな細腕であった。
ぽんぽん、と優しく肩を叩く。
「だれ――」
振り向いたエヴァンの頬へ細い人差し指が、ぷにっとささる。
その細い指を辿った先。
エヴァン達のいる西では見ることがない、ピリッとした袖に帯の巻かれた細い腰。パステルカラーの夏空に映えるミントブルー色のバイスの着物に似た衣服を纏った少女。
胡蝶蘭の花の中心部は藍色に染められ、そこから花弁に向けてグラデーションになった、綺麗な夏の清涼感をイメージしてくれる。
白銀のふわふわとした髪は一つにまとめられ形作り、桃の花の簪で留められている。
普段は髪に隠れているうなじが見え、純白な肌ときめ細かな質感が不思議な艶めかしさとなる。
化粧なんかしないすっぴんの顔にも自然となるよう薄く化粧をされていたが、桃色の唇が朱色に染まっていて青年の印象が変わる。
異国の衣装に身を包んでいても似合っている白銀の少女は、細い指をさしたまま、クスッと笑う。
それは、特別な笑顔で。愛する者へ向けた色気のある笑顔で。
「お待たせ、エヴァン」
青年の酔いを一瞬にして醒ました。
東の国の衣装に身を包んだ少女は、今まさに語っていた美少女のエティカであった。
「……」
思わずエヴァンは、見惚れてしまう。
普段の地味めな恰好とは変わっていて、珍しいというより目を奪われていた。
それほど様になっている美しさを醸し出す。
青年が動かず固まっている様子に、少女は意識を戻すため再び声を掛ける。
「エヴァン?」
「……はっ」
目の前の天使に心を奪われていたエヴァンは、夢心地より戻ってくる。
いつもより落ち着きのない様子にエティカは心配になる。
「大丈夫?」
「あ、ああ! だ、大丈夫」
実際は大丈夫でもない。
感情は揺れ動き、心臓も高鳴り痛いほどに身体中へ響く。
飲酒による頬の赤みか、少女を見た赤みか分からないほどに真っ赤に茹でられた青年。
慌てて、いつも通りを演じようとする。
「え、エティカ……。その服は?」
「ん? これはね。えへへ、バイスさんと、リラさんに、してもらったの。東の国の服、なんだって」
そう言いつつ、くるりと一回転。
慣れないぎこちない回転であったが、その動きは彼女も浮かれていた。
ふわりと裾が浮き上がる。それでちらりと見えた隙間から覗く白く、ほどよい健康的な太さのふくらはぎと太ももが、青年の脳裏にこびりつく。
そして、追い討ちのごとく漂う香りは甘い女性的な匂いが鼻腔を刺激する。
より一層、脳みそが沸騰しそうに茹だる。
「そ、そうなのか……」
「おーい、感想くらい言ったらどうだい」
さっきまで熱弁の被害者であったローゼルが、茶々をいれる。
その顔を一目見た青年は、今までの所業など放っておいて睨んでしまうほど、ローゼルの顔はニヤついていた。
しかし、その一言で待ちの姿勢になったエティカ。
その姿を見てしまった以上、言わなければいけないだろう。そう覚悟を決めるエヴァン。
大きく息を吸い、吐いて整える。
いまだにバクバクと鼓動を強める心臓。
少女の優しい瞳と一直線に繋がると緊張してしまうので、目線を逸らしながら。
「に、似合ってるよ……」
「うん! ありがとう!」
白銀の少女は、満面の笑みを浮かべ青年へ抱きついた。




