第105話「納涼」
「――だからエティカは可愛いんだよ」
「分かったから、その抱きついた酒樽から離れようよ」
エヴァン・レイ。イースト果樹園で造られた果実酒の入った大きな酒樽へ抱き着きながら、力説していた。
その姿は、幼子のようであって、酒に溺れた駄目な大人であった。
どちらかと言えば、前者と後者を混ぜ合わせた最悪の化け物だ。
――そんな様子になる少し前。
まだ理性が残っていたエヴァンの話を聞いたローゼルは、ただ一言。
「君は意外とヤキモチ焼きなのかな」
的外れと思える解答をした。
その言葉を青年は噛み締める。
ヤキモチ? 誰が? 俺がか?
そんな訳が無い。嫉妬心にかられた愚かな生き物ではない。
そう思い込み、虚勢を張る。
「そ、そんなわけないだろ」
「はぁ……」
露骨に金髪の美少年は溜息をつく。
それが様になっていて、物憂げな表情も似合っているので腹立たしかった。
「なんだよ」
思わずそんな態度を取られた青年は、気分を害する。
ムッとした声音に対して、美少年は簡潔に答える。
「素直になりなよ」
たったの一言。たったの数文字の言葉。
そう片付ければいいはずなのに、それができない重みを持つ。
核心を突かれた青年へ、畳み掛けるローゼル。
「自分の気持ちにさえ嘘ついてたら駄目だよ」
「嘘なんて……」
「ついてるでしょ?」
ついていない。
そう言いたいのに、言葉が出てこない。
痛いところを突かれたせいで、怯んでしまった青年。
「僕はそれを責めているわけじゃないけど、素直になっておかないと失礼だよ」
「失礼て、誰がそんなこと思うんだよ」
「エティカちゃんだよ」
白銀の少女の名前。
あのふわふわとした髪に、最近は編み込みを覚えてそれを活かした髪型の少女。
いつも見上げる紅色の瞳は、太陽よりも輝いていて眩しいほど。
そんな少女の名前が出てしまった。
「君も分かっているはずでしょ? 今、君の中をぐるぐると掻き乱す理由」
「俺はただ、せっかくの祭りなのに忙しい思いをさせて申し訳ないな、て……」
「うん。その気持ちもあるだろうね」
せっかくの祭り。出鼻をリラにくじかれたのはエティカも一緒なのだ。
あれほど楽しみにしていて、手伝いも献身的にしていた。
そんな少女が参加できないのをとてつもない罪悪感となって、エヴァンを押し潰していた。
その気持ちもある。
ただ、本当の気持ちを隠すには充分な大きさのものだ。
「でも、本当はエティカちゃんと一緒にいたい。そういう気持ちなんでしょ。だから、リラさんに連れて行かれて、君の気持ちは、心は落ち込んでるんだよ」
「そ、そんなこと――」
「ないわけないでしょ。君はとても分かりやすいもの」
被せるように発言したローゼル。
その瞳は、責めるような圧はなく優しく青年をみつめる。
「ねえ、エヴァン」
「なんだよ」
少し拗ねたようなエヴァンの声音は、子どものようであった。
あぁ、もし子どもができて恋を知るとこんな感じなんだろうな、と場違いな思考回路のローゼルは、昔馴染みへ。
いまいち口下手で、素直になれない青年へ。
「好きな人には素直になってみなよ」
背中を押すように言葉を投げる。
青年の表情は分かりやすく、驚き、頬も赤く染まっていく。
唇も震えている。
そんな姿がおかしく、吹き出しそうになるのを堪えながら美少年は語る。
「別にエティカちゃんだけの話じゃないさ。君の事を好きな人、君が好きな人には素直でいなよ」
「そ、そんなこと」
「特に君はその事を一番分かっていると思っていたんだけど、目の前の好きな人がいなくなる苦しみを味わう前に。君は素直な気持ちを言葉にしなきゃいけないよ」
「でも――」
「じゃないと、伝えたい頃にはもういないかもしれないよ」
伝えたい頃にはもういない。
その言葉はズシンと重く青年の心へ響く。
「君は『勇者』の代わりであって、『勇者』じゃない。全部を真似しなくていいし、やり遂げる必要はない」
ローゼルの言葉は無責任に投げられる。
「だから、素直になりなよ。せめてエティカちゃんへの気持ちくらいはね」
エヴァンは落ち込んだ気持ちを整理していた。
そして、何度考えても正解が見当たらず、困惑していた。
濁りきった泥水の中から砂金を探すような気分であった。
しかし、実際は濁らせていただけ。泥の中に砂金はない。
既に足元へ転がっていたものを、あえて視界に入れず見過ごしていた。
それがたった一つしかない白銀の気持ちであっても。
その事が認知できてしまえば、青年の心は色付いていく。
見過ごして、見逃して、隠して、見えない振りをして、見落として、見失って、見損じて、見損なっていた本心を。
見つけた心は白光の如くエヴァンを照らし、炎を灯す。
気づけたのが分かったローゼルは一度席を外し、出店から一本の瓶を持ってくる。
「気づいたなら、酒と一緒に飲み込みなよ。そのまま燃やしていこ?」
桃の果実酒をトンッとテーブルへ置く。
首まで真っ赤になった青年は、それを見ると恨めしそうに睨みながら。
「覚悟しろよ」
「悪い飲み方さえしなかったらいいよ」
そう強がった。
しかし、金髪の美少年の忠告は聞かず、悪い飲み方をした冒頭へ戻る。
ただ、心の炎は滾るように燃えていた。




