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第102話「前戦」

 バイスは老いていようともその能力は未だに現役であった。

 目の前の少女が恋をしていること。

 そして、青年もあと一歩で恋する状態にあること。

 その二人を邪魔しているのが、保護者という関係。


 それが道筋を潰しているかのように思えたが、実際は潰すどころか道になっている。

 保護者の関係が邪魔なら、それさえ利用すればいい。

 建前にして、あれやこれやと誘惑してしまえばいい。

 魅了して、魅力を感じさせ、夢中にさせるために。


 だからこそ、真剣な乙女に色々なことを仕込むのは、かつての『勇者』へ同じことをした記憶が蘇る。

『勇者』も恋し、その恋に溺れた。

 この子も同じ状態であるかもしれない。恋に眩んで、足取りもおぼつかない赤ん坊かもしれない。

 それを思うとついつい口を出してしまうのは、年寄りの(さが)か。


 何にせよ、もう二度と同じことを繰り返さないためにバイスは語る。

 紅色の瞳の炎を絶やさないように。

 紅蓮の華を咲かせるように。

 まだ蕾の想いを大輪の花へ。花弁(かべん)の白く、中心へ向かうほど淡いピンク色に染まる小さな花へ。


 白銀の少女にとって大きな収穫のあった休憩時間。

 調理場に戻った彼女が見たのは荒れ狂うように、だが正確な包丁さばきを繰り出すリラの姿であった。



 夕刻。

 まだまだ日の長い夕暮れであったが、イースト村の広場には行き倒れの青年がいた。

 柿の実のような橙色が目に染みる彩りとなった空の下。

 あまりの肉体労働と重労働による疲労から、突っ伏したエヴァン。


 一文字に伸びた姿へ父親は声をかける。


「いきてっか?」


「……」


「なんべ、軟弱になって。鍛え直す必要あっかな?」


「…………」


「おい、父ちゃんの言うってと聞いてっか?」


「………………」


 今は話しかけないで欲しい。

 誰だ、久しぶりに帰省した人間をこき使うような鬼畜な奴は。

 自分は有り余る体力と無駄につけた筋肉のおかげで、楽なやつとは違うのだ。


 そう悪態をついていたが、半年間エティカやアヴァンの料理を食べて寝て食べてたまに買い物をしていた自堕落な生活が、原因であろう。

 まだ幻生林へ野宿していた頃の方がマシであった。


 そんなまな板の上。

 あまりにも無視された父親も気分が悪いので、意地悪をしたくなる。

 ピンっと張った糸のような青年の背中へ、その巨体を落とす。


「ぐはっ!?」


 およそ先ほどまで運んでいた木箱より重い肉体が、青年の体を潰す。

 藻掻(もが)くがビクともしないどころか、石のように固まって動けない。


「な、なにすんだよ!?」


「おめえが無視すっから、生きてるかなっと思ってさ」


「生きてるよ! 今死にそうだけどな!」


「そっかそっか。ならしばらくは椅子になっとけ」


「どけよ!?」


 抗議するも却下となった。

 酷い父親がいたものだ。

 ベールを必死に押しのけようと奮闘するエヴァン。

 その様子を眺めていた屈強な男どもは小さく笑う。


 ただ、笑うだけならよかったのだ。

 その男達は、笑いながらそんな二人に近づいていく。

 ぞくぞくとエヴァンを取り囲む筋肉集団。


 何事かと思う間もなく、その強靭な肉体が近づく。


「や、やめっ……」


 むさ苦しい男集団がこぞってエヴァンを下敷きにしてきた。

 まるで岩石のような臀部(でんぶ)

 湿度も温度も急激に上昇し、青年の体を潰す男どもへ向けた怒号はただ虚しく響く。


 そんな様子を見に広場へとやって来たリラとエティカ。

 働いた労働者への夕食を運んできた二人が見たのは、そんな光景であった。


「エヴァン!?」


 真っ先に反応したのは白銀の少女であった。

 スープの入った大鍋を抱えながら、プレスされた青年へ駆け寄る。

 かろうじて見える青年の顔の目の前。少女は屈んで話しかける。


「大丈夫?」


「だいじょばない……」


 顔をあげた青年。

 その目前の少女は、少し変わっていた。

 心配そうな瞳や白桃のような頬や端正な顔立ちはいつも通りであったが。


「エティカ……髪……」


「え、あー……。リラさんに、結ってもらったの」


 照れたような笑顔を浮かべながらエティカは答えた。

 白銀の首元までの長さの髪。

 ふわふわとした髪のこめかみ辺りを編み込んでいた。

 ちょっとしたアクセントではあったものの、ガラリと印象を変えるわけでもないのに、青年へインパクトを与える。

 つまりは、エヴァンの好みの髪型であった。


「そ、そか……。似合ってるよ」


「う、うん……ありがと……」


 白桃の頬が熟れていく。

 そして、髪も気になったが少女は、夕暮れを反射する首飾りを身につけていた。


「エティカ、その首飾りは?」


「あ、これはね――」


「誰に貰った? この村にも言い寄ってくるやつがいるのか? どいつだ、俺が目を離した隙にそんなことをする不届き者は。ちょっと大事な話がしたいから、特徴を教えて貰えると特定して、一発お見舞いするだけで済むから話してくれるか?」


「怖いよ、エヴァン」


 白銀の少女に唾をつける(やから)がいるなら問答無用で、地の果てまで追いかけ雑草の栄養に変えそうな勢いを瞳に宿らせたエヴァン。

 そんな青年の様子はいつも通りであったが、元気ならいいかと怖がっていた少女は楽観する。


「これは、バイスさんに、貰ったの。お守りにしなさい、て」


「あ、そうなのか。じゃあ安心だ」


「エヴァンて、結構、自分勝手だよね」


「うっ……」


 反論の余地もないほどの正論。

 エティカの事となると周りが見えなくなるのは、半年掛かろうとも変わらない。


 それがエヴァンにとっての特別扱いなら、今までは満足していた。

 だから、甘えてもいた。

 しかし、彼女はもう今までの関係に居続ける理由は抱えていなかった。


「でも、そこが、好きなんだよ」


 その言葉に驚愕した青年の先。

 夕暮れを背にした少女の笑顔は、今まで見たことないほどの艶やかで魅力的な、大人のような笑みで。

 それは愛する者を許す笑みで。

 美しくも、鮮やかで。

 橙と赤みがかった空よりも、赤く紅く頬を染めながら。

 一輪の花のように咲いた。


 幻想的なその空気に飲まれた青年は言葉を失う。

 返す言葉も思いつかないほど、その光景に沈みこんだ。

 心が惹き込まれかけた青年へ、白銀の少女は続ける。


「ところで、エヴァン」


「……うん?」


「痛くないの?」


 少女の視線が示した方向。

 青年の足元へ向いた瞳を辿ると、ベールがエヴァンの足へ技をかけていた。

 その事実に引き戻された男の絶叫が村に響き渡った。

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