最終章で感想欄を閉じるメリット、あるいは連載終盤の書き手のメンタルについて
こんにちは、ふとんねこです。
幸せなこととあまり嬉しくないことが一緒に来て、八つ当たりのように高いお大福を買いました。
とても美味でした。
さて、本日のお話は連載を持っている書き手向けの内容になりますでしょうか『最終章で感想欄を閉じるメリット、あるいは連載終盤の書き手のメンタルについて』というタイトルです。いずれ連載を書こうと思っておられる方にもちょっとしたお役立ちかもですね。
それでは早速参ります。
読み手の方と感想について議論をするとよく見かける意見の1つに「感想によって展開が変わって面白くなくなった」「感想のせいで最終章でエタった」等の「感想の悪影響」のお話がございます。
感想によって、作者が何らかの思いを抱いて展開を変更、あるいは続きを書けなくなるということは、この小説家になろうではままあるようですね。
作者、意志薄弱では……?
そう思うのはちょっと待ってください。
ふとんねこは完結させた作品を沢山持っております。その中の、なろうで完結済みの印がついているのはですね、エッセイや挑戦作を覗いて長短5作。
人の目に触れながら完結を迎えた、という作品が5つあることになります。
それらで経験したことと、現在最終章真っ只中の長編連載で考えていることをもとに、何故感想が作者と作品に悪影響を及ぼすことがあるのか、考えてみました。
1.緊張でナイーブになっているから
連載作品を完結させるって物凄く大変なことで、更には寂しかったり怖かったり安心したりと、様々な感情が怒涛の勢いで作者を襲っているんですよね。
ふとんねこはまさにこれでした。
長く一緒に歩いてきた物語が終わる、その寂しさは想像以上でしたし、結末を読者さんに受け入れてもらえるだろうかという不安を通り越した恐怖はすごかった。
そして同時にやっと完結させられるという安心感もあって、情緒がハチャメチャでした。
そんな状態で、寂寥と恐怖と安堵の結末へ向けて執筆を続けるのですから、緊張してナイーブになるのも当然でしょう。
そんな中で、読者さんからの応援メッセージが感想として届くのです……「完結まで頑張ってください!」「このお話大好きです!」「結末が待ち遠しい!」……ありがとうありがとう、でも助けて(誰にともなく叫びたくなる)。
完結まで楽しんでくれる読者さんがいるということに安心し、喜び、頑張ろうと奮い立ち……同時に恐怖するんです。
こんなに楽しんでくれているけど、結末が受け入れられなかったらどうしよう。ラストでガッカリさせてしまったらどうしよう。
そんな情緒のところへ、万が一にもですよ?「ラストはこうがいいなぁ~」なんて期待の結末を述べる感想が来たら?「この展開だとラストはこうかな。期待外れだ」なんて恐ろしい感想が来たら……?
失望されたくなくて展開を変更する作者もいそうだな、と思いませんか?
緊張の糸が切れて絶望、筆が止まる作者もいそうだなと思いませんか?
作者のハチャメチャな精神状態。
これが「感想の悪影響」という現象を発生させる原因の1つかもしれません。
2.かといって感想が来ないのも怖い
はい、書き手って本当に面倒で不可思議で奇妙でしょう?(もしや私だけ??)
感想が来ると喜び、奮い立ち、恐怖して追い詰められ、感想が来ないと絶望し、悲観し、恐怖して追い詰められる。
本当に信じられないくらい情緒がハチャメチャな生き物なんですよね。
アクセス数は目に見えていますよ。
減ったり増えたりするブクマも見えています。
けれど感想が来ないと不安になるものなんですよねぇ。
最初から感想過疎地でやっていれば気にならないんですが、ぽつぽつと感想を貰えていた作品だったりすると、私は物凄く気になるんです。
ラストへのこの展開、もしかして面白くない……??
小さな失望、小さな期待外れで簡単に読者を失う世界です。
出版物と違って完結した完成品としてお出ししていないから、手に取ってもらえてもラストまで読まれることなく切られることもよくある。
書き手の多くは常にそういう読者を失う恐怖と戦っています。
ブクマ数が増えれば増えるほど、簡単に切り捨てる読者も増えます。更新直後のブクマ剥がれ。背筋が冷えます。
逆に、ブクマ数が少なめの、コアなファンが支えているような作品はブクマが剥がれにくい傾向にありますね。
このどちらも経験したことがあるふとんねこは、簡単に切り捨てる読者の存在に常に怯えています。現在連載中の作品も更新の度に吹き飛ぶブクマの多いこと。時には評価も吹き飛んで、数字的ダメージが大きいです。
そんな中で、続けて読んでくれているはずの読者の声すら聞こえなくなると本当に怖い。もうここで止まった方がいいのかしらなんて筆先が震えるのです。
そんな情緒のところへ、万が一にもですよ?「更新頻度下がったなー。もうエタるかな、残念」なんて感想が来たら?「面白くなくなった」なんて感想が来たら……?
感想ってね「感想が書かれました!」っていう赤文字の通知が来るんですよ。それを見ると作者はワクワクしてポチリと押すんですよね。それで開いたら上の内容だったらどう思いますか??
ま、絶望に沈みますね。
作者の「感想欲しい、でも怖い」の精神状態もまた「感想が悪影響」という現象を発生させる原因の1つかもしれません。
書き手って本当に複雑怪奇。
さて、何故感想が作者と作品に悪影響を及ぼすことがあるのか、2つの理由を考えてみました。
お次はやっとのことで本題「それならばいっそ『最終章で感想欄を閉じる』そのメリットについて」書いて参ります。
1も2も、作品に感想が届く状況だからこそ陥る状態です。
これ、伝わりますでしょうか。
展開を変えたり筆を止めたりする恐怖の感想も、ずっと欲しかった感想かと思いきや恐ろしい内容だったなんていう感想も、そもそも感想を受け付けていなければ来ることはないんです。
ナイーブな自覚がある書き手さんはご自分で対処していることが多いですから、ナイーブな自覚がなく自分は大丈夫と思っておられる書き手さんこそ。
何だか精神状態がおかしいぞ、と思ったら感想が欲しいという気持ちをグッと押さえて感想受付設定を変更してみませんか?
感想が来ない、と確定していればかなり心穏やかになります。だって設定で「感想は受け付けておりません」になっているんですもの。すり抜けることは不可能。メッセージで突撃してくるヤバい人は即ブロックでよろしい。
私はこれだけでかなり情緒が落ち着きました。応援を書いてくださろうとする読者さんには申し訳ないけれど、自分のメンタルとプロット通りの安定した完結の方が大切です。
それに完結1歩前でまた感想欄を開けるつもりでいますから。
まさにこれが『最終章で感想欄を閉じるメリット』なのです。
心の安寧。
書き手にとってかなり大事な要素です。
いかがでしょう、書き手の皆様。
長編完結の道で読者さんの声がないのは確かに不安かもしれません。でも、誰の声も聞こえないくらい夢中に走るのは素晴らしいことですよ。自分の紡ぐ言葉だけが耳元を風のように駆け抜けて、自分の息遣いと高鳴る鼓動をお供に、ただひたすらにゴール目掛けて走るんです。
今、連載の最終章を迎えていて、感想のことで悩んでいる人がいたら、試してみてほしいなと思います。
感想の設定なんてポチポチと簡単に変えられるものですから、やっぱり感想欄は開けておきたいと思ったら元に戻せばいいだけです。
誰かの声に惑わされ、あなたの作品の輝きを失わないでほしい。読み手としての私はそう思います。
それでは今回のお話はこの辺りで。
連載を頑張る書き手の仲間たちよ、自分のメンタルをちゃんと保護しつつ、完結まで自分のペースで走っていきましょうね!