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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

果ての塔

作者: 深空 一縷





「果ての塔」


 王国の西の彼方、黒い森と河を抜けたその先に、一つの塔が(そび)えている。その塔を登り切った者の願いを何でも一つ叶える魔法の塔として、数多の伝承にその姿が描かれてきた。


「本当に、あったんだ」


 塔の麓に姿を現したのは、少年と少女。貧しい農村で生まれ育った姉とその弟である。首を折ってもその先端を見通せない異形の建築は、もちろん石を黒く塗ったわけでもなく、また、黒い石材を切り出してきたという風でもない。むしろ「黒」が石の形を模って、ここに積み上げられたようだった。


 呆然としていた二人の内、先に我を取り戻したのは年長の姉の方だった。まだ幼さを残した弟の手を引く。


「行くよ、アル。村の皆が待ってる」


 農村の土地は荒廃していた。弟が生まれた時期に行われた大規模な灌漑事業は成功裏に終わったように見せかけて、その実、彼らの故郷に流れていたハシヴァの河はみるみるうちに痩せ衰えてしまった。地元の首長が携えていった嘆願書は、国王に媚びへつらうことに関しては類を見ない才を発揮する領主に届けられたところでただの紙片と化し、待ち望んだ救済はハシヴァの水脈よりも細い。灌漑の発案者は第二王子であった。


 冷たく小さな門扉を開くと、それは存外、容易く開いた。その先に待つ暗闇は、松明の光によって罅割(ひびわ)れている。螺旋状に続く階梯が二人を手招きしていた。姉弟はごくりと唾液を嚥下して、一歩二歩と進み始めた。この塔の頂で、村の人々の救いを(こいねが)うために。


 階段を上っていく。少しづつ、呼吸が熱と音を含み始める。そんな折、突如として視界が開けた。姿をあらわしたのは伽藍洞とした広間。視線の先に両開きの大きな門が見える。


「姉さん、これ」


 そう言って、弟が指さしたのは中央付近の床面に刻まれた貌の彫刻。(よわい)も性も分からなかった。ただ人の顔であることは紛れもなく、薄く開いた瞳が明かりの光線を受けて輝く様は、まるで生きているかのように見えて不気味であること極まりない。二人はそれに近づかないように扉へと向かう。


「捧げものが必要だよ」


 背中に声を書かれて、思わず悲鳴を上げたのは姉。弟はと言えば、声も出せずに腰を抜かしてへたり込んでいた。振り返ってみても、貌の彫刻はそのままの姿で、まだそこにあった。


「し、喋った?」

「……わからないわ」

「捧げものって何のことなんだろう」


 なるほど、扉は押せども引けども動かない。捧げものを要求しているのだろうか。鉄扉を這う悪魔じみた装飾が酷薄な笑みを浮かべているように感じられて、姉は服の裾を握った。


「何でもいいのかしら?」


 首を捻っていた弟は、ズボンの裏面に縫い付けられた小物入れの中から、木彫りの魚を取り出して試しに放ってみる。地面に弾かれて然るべきそれは、しかし床の黒に飲み込まれて消えた。「え?」


 すると、音もなく扉が勝手に開いた。その先にはまだ黒い階段が続いている。二人は顔を見合わせる。姉が「大丈夫」と言うように微笑んで見せると、弟も応えるように頷いて、「先に行っちゃうよ!」と駆けだした。


「危ないでしょう」


 追いかけようとした姉の背後で扉が閉まる。知らず足を止めて振り向いた彼女には、もはや黒しか見えかった。指先が微かに震えているのに気付いて、少女は服の裾をぎゅ、と握りしめた。


「姉さん、これ」


 先に走っていった弟の声が、螺旋する階梯と壁面とで砕け、弾け、飛沫さながら降ってきた。声の水溜まりで溺れぬように、少女は歩き出した。やっと弟に追いつくと、立ち尽くす彼の見る光景が、姉にも寸分たがわず見て取れた。


 そこは先程の扉の部屋。貌の彫像が無いことだけが、たった一つの違いであった。





♢ ♢ ♢






 「ふむ、これが世に名高い『果ての塔』か」


 王国の第二王子は天高く伸び上がり、雲を貫いてまだ足りぬと続く塔を見上げていた。王位継承権をその手中に収めるため、柄でもない民草への慈善事業、王国西部の大規模な灌漑を、自費を割いてまで行ったというのに、父すなわち現国王の反応は芳しくない。だからと言って、反乱を起こそうというには「危険が大きく、また見返りも小さなもの」と腹心に諫められ、辿り着いたのがこの「果ての塔」である。


 精鋭二十を引き連れて、小さな入口の門扉を蹴り開ける。


「余の覇道の初めにしては、くだらない階段だな」


 そうして、第二王子は初めの広間に辿りつく。貌の彫刻の言葉に、躊躇いもなく懐の金貨を放ると、その次の扉も、次も、次も、と果てしがない。金貨が全て尽きてしまうと、部下に命じて捧げものを投げさせた。


「おい、次だぞ」


 もう何度目になるか。階梯を登ってきた足が痛む。


「申し訳ありません、王子。すでに捧げられるものはありません」


 部下の一人の言葉に振り返ると、全員が着込んできた甲冑を失い、剣を失い、そこに立っていた。


「ここに来て、引き返せと申すか?」

「い、いえ。しかし――」


 第二王子は彼の腹を剣で突き刺すと、傷を押さえて崩れ落ちた男の身体を地へ蹴り飛ばす。部下であった男が悲鳴を上げて黒に呑まれると、扉は音なく開いた。部下たちは各々の顔を見合わせる。王子の持つ剣は稲妻の力を秘めた魔剣であり、挑んでも勝ち目は薄い。兵卒たちの部隊長は眼を伏せると、すでに姿の見えない王子の後を追うしかなかった。


 王子は進んだ。どんどんと進んだ。命乞いや懇願には剣をくれてやった。ついに最後の五人は闘いを挑んできたが、一度の斬撃ですべての首が飛んだ。しょうがないので首を捧げて進んだ。そしてついにそれも使い果たしてしまうと、何を捧げようか、初めて悩んだ。


 西方の技術の粋を集めて織られた外套や稲妻の魔剣、二匹の蛇の首飾りなどなど。およそ彼の身に着けているものは特注の品々で、捧げ物にするにはあまりにも希少である。


 結局答えはでないまま、次の広間に出るとそこには人影があった。


 門の前で、一人の老女がうずくまっていた。服は着ていなかった。髪の毛もなく、肌は深い皺が幾重に刻まれ、乳房も垂れ下がって情欲など沸くはずもない。


 王子の足音に振り返った彼女の瞳は、老いによって光を失っていた。「……まだ」と声は掠れる。


「まだ、先に進むことがお出来になれる方でしょうか?」

「無論、俺は頂まで止まらぬ」


 老女は泣いていた。盲いた瞳から、透明な滴が零れて、床の黒に落ちた。涙は、そのまま床の上でいくつかの小さな水溜まりになった。


「それではどうか、私の願いを、あなた様に託させていただきたいのです。昨日生まれた赤子が死なないような、誕生を祝う祝祭の日くらいはお腹一杯食べられるような、小さな幸福に溢れた世界を」


 女は咳をして、ぜえぜえと喘いだ。


「ふむ。それならば、俺の願いとさして変わらんな。いいだろう」


 女はほっと、笑った。王子はそれを笑顔だとは思わなかったが。女は事切れて、床に沈んだ。扉が開く。開いた黒の空洞に、王子は歩き去っていく。扉が再び閉じると、その足音さえ聞こえなくなった。








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