映画館グルメマニアの彼
※家紋 武範主催「あの一作企画」参加作品です。
土曜日、某ターミナル駅改札口、大仰に装飾をされた大時計の下。
横尾美夜は道行く大勢の人には目もくれず、ひたすらスマホを見ていた。
スマホの時間をチェックし、カメラアプリのインカメラで鏡代わりに自分の姿をチェックし、メッセージアプリに切り替えてメッセージが来ていないかチェックする……の繰り返し。
待ち合わせの時間まで、30分も早く来てしまった。
でも、万が一にも遅刻して、相手にこれ以上悪いイメージを持たれたくなかったのだ。
「あれっ? 横尾さん?」
スマホに集中していたせいで、その相手が間近に来るまで気づかなかった美夜は飛び上がりそうになった。
「ええええええ江住くん!!!」
「……俺、待ち合わせ時間間違えちゃったっけ? 待たせてごめん」
爽やかに謝る、その姿も凛々しい。
陸上部の練習でほどよくついた筋肉に広い肩幅。180センチの身長の半分以上を占めようかという長い脚。
その姿勢は美しく、身につけたTシャツとデニムが高級な服のように見えてしまう。
綺麗にまっすぐに生えた眉の下には長い睫が縁取る切れ長の目。整った顔立ちには優しそうな雰囲気が浮かんでいる。
駅構内を行く人々と比べて、今この場で一番のイケメンといっても過言ではない。
「ちちち違うの!! うっかり早く来ちゃって」
美夜は慌てて首を横に振った。
血がのぼって顔が熱い。
「そっか、よかった。あ、でも結局待たせちゃったね?」
自分も30分早く来ていることには言及せず、軽く謝るように、しかしその瞳に笑みを含ませてこちらを向く姿に、美夜は心臓を貫かれたかのような衝撃を受ける。
「そんなことないよ! なんかごめんね江住君!!」
美夜が顔を真っ赤にして一所懸命にいう姿が面白かったのか、江住はついクスリと笑った。
「うん……? こっちも誘っちゃって"なんかごめんね"?」
「えっそんな! 嬉しかったし!!」
(あっ……しまった。これバレバレじゃない?)
美夜は力強く言っておきながらすぐさま後悔した。
「嬉しかったし」が、映画ではなく江住君目当てだという所がわかってしまうのではないか、と思ったせいだ。
江住 一星は高校の同級生だ。
人当たりもよく、スポーツも勉強もそつなくこなし、女子には密かに……いや、結構人気である。
中学の頃から部活は陸上部だが、実はかなりの映画好きらしい。
以前、ちょっと美人で知られている陸上部の先輩と映画館に行ったがその後付き合ってはいないらしいという噂を聞き付け、美夜はその機会を虎視眈々と狙っていた。
そしてついに先日、先生に雑用を押し付けられ二人きりになれたチャンスを逃さず「オススメの映画は無いか」と話を振ってみたのだ。
しかし。
「横尾さんの好きなジャンルは?」
江住にそう聞かれて、しまった! そこまで考えてなかった! という感情を思いっ切り表に出してしまった気がする。
江住は一瞬目を丸くした後、爽やかに笑いながら
「……ああ、じゃあ今まで面白かった映画とか、ハマったドラマとか、小説とかない?」
と噛み砕いた質問をしてくれた。
もうダメかと思いながらも好きなドラマや小説をいくつか披露した美夜に、江住は
「それならちょうど今面白いのが上映してるから、興味あるなら一緒にいく?」
と、奇跡的なお誘いをしてくれたのだった。
(……ホントに優しいよね。でも、やっぱり映画は口実だってバレてるかなぁ)
美夜は隣を歩く江住を見上げた。
こっそりとチラ見するつもりだったのに、すぐに江住は気づいて目が合い、ニコリと微笑まれる。そして目線を外した次の瞬間、
「あ、横尾さん、気をつけて」
横からすごいスピードで走ってきた子供を避ける為に、江住がそっと美夜の肩を抱いて体の向きを変えさせた。
(きゃあああああーー!! 肩! 肩! 触っ……!!!)
美夜は興奮のあまりくらくらした。
心臓が誰かに握られたかのように物凄い圧がかかっている。
「あ、ごめん、……触っちゃって」
江住はパッと手を離し、その両の掌をこちらに見せるようなポーズをする。
"下心はありません"の意思表示だ。
(紳士!! いやむしろ下心あっていいのに! わーん手もおっきくてカッコいい……! ちょっとさっき触れた時ゴツゴツしてた! あぁどうしよう、わたし鼻血を出さない自信がないわ……!!)
美夜は心の中では饒舌だったが、何も言えずに真っ赤な顔をブンブン横に振ることしかできなかった。
~・~・~・~・~・~・~
駅直結のビルの中を少しぶらついてから、映画館に向かう。
通り過ぎる人の中でも、江住をチラチラ見る女の子が何人かいた。
そんな江住にごくごく平凡な自分が並んでいて良いのかと、美夜はつい気後れしてしまう。
「……あの、ホントに良かったの?」
「何が?」
「わたし、江住くんみたいに映画に詳しい訳じゃないし、一緒に行っても上手く感想とか言えないかも」
流石に、付き合っているわけでもデートに誘われたわけでもない(端から見たらデートだけど!)のに『2人の見た目が釣り合ってないから』とは言えず、何重にも遠回しにした本音を言ってみる。
「いや? あんまり映画に詳しくない人に、本気で面白かったー! って言わせる映画を紹介できたら最高じゃね? だから今日、横尾さんが楽しんでくれるかドキドキしてる」
(うわわわ……)
江住がこちらを見つめて話す為、別の意味でドキドキする美夜。
「あ、でもこっちに気い遣って面白かったって言うのナシね。つまんなかったらちゃんと正直に言って」
思わず真剣な目で美夜はコクコク頷いた。あわよくば誘って貰おうという下心ありきで映画の話をしただけでも不誠実だ。これ以上は江住に嘘をつきたくなかった。
「ふふっ……横尾さん、やっぱいいね」
江住が微笑む。背景にキラキラしたエフェクトでもかかりそうだ。
(ななななな何がいいねー!?!? これ、現実!?)
もしかして現実と、妄想がごっちゃになっているのではないだろうか。
江住は別の事を話してるのに、自分の言って欲しい言葉が幻聴となって聞こえているのかもしれない。
そんな事を考えながら歩く美夜は、映画館までの短めの距離にも関わらず到着した時にはちょっぴり息が荒くなっていた。
~・~・~・~・~・~・~
「お待たせ。アイスティーだったよね?」
ドリンクのカウンターから戻ってきた江住の両手にはそれぞれポップコーンがある。
ただし、右手にはトレイに乗ったMサイズのキャラメルポップコーンと、ドリンクが1つ。
左手には特大サイズのバケツのような紙容器に入ったミックスポップコーンだけ。
江住はトレイを美夜に手渡す。と言う事は……
「江住君、ドリンク飲まないの? 喉乾かない?」
あんなに大量のポップコーンを飲み物無しで食べるなんて、と内心驚く。
「大丈夫。ここのポップコーン、めっちゃくちゃ美味しくてさ~。実は俺、映画館グルメのマニアでもあるんだよね。っていうかそっちがメインかも」
いつもは大人っぽく微笑むのに、年相応のニヤリとした笑みを見せる江住に、またも美夜はドギマギしてしまう。
「是非横尾さんにも食べて、美味しい! って共感して貰いたいからこれは俺のおごり」
「えっ、それは駄目だよ!! お金出すから!」
「いいよいいよ。でも今回だけ。次回からは完全割り勘な」
「えっ……」
("次回からは"って、次も2人で映画に行くチャンスあるの?!)
トレイを持ったまま固まる美夜。そのまま先を行く江住がこちらに背中を向けぼそりと呟く。
「……それに、後で横尾さんも食べさせて貰うしね」
(……ああ、やっぱり妄想と現実がごっちゃになってる。江住君がそんな事言うわけないのに。
私を食べさせて貰うって……それって……きゃあああああーー!!)
~・~・~・~・~・~・~
映画は意外にもファンタジーの話だった。西洋風の魔法や剣の世界で、迫力満点のCGやアクションシーンが随所に出てくる。
しかし友情や恋愛要素を絡めた感動するシーンや、ちょっとした笑いどころも時折交え、飽きさせない。
元より真剣に映画を見るつもりだった美夜は話に引き込まれた。
そのまま集中したかったのだが……
(腕が、腕がぁ……)
大きなポップコーンを抱えた江住の左腕が、美夜の右腕にあたっている。
美夜はノースリーブ、江住は半袖なので、二の腕の肌が直に触れている状態だ。
美夜はその部分がじりじりと焼け付くように熱く感じた。
(くっついてるのは嬉しいけど、どうしよう……わたし、汗かいてないかな)
右横をチラ見すると、やはり横目の江住と目が合い、慌てて目線をスクリーンに戻す。
江住は特に気にした様子もなくポップコーンを食べているようだ。
美夜も自分のポップコーンを手探りでつまんだ。甘いキャラメルをまとった香ばしいポップコーンが口の中で溶ける。
その甘さが脳に行ったのか、今までドキドキするばかりだった美夜も少し冷静になれた。
(……くっついてるのはご褒美! 今は映画に集中!)
今、余計な事を考えて映画を楽しめなかったら確実に「次回」のチャンスはやってこない気がしたからだ。
美夜は目に力を込めるようにスクリーンを見つめた。
そんな美夜を横目で一瞬だけ確認して江住は再びポップコーンをつまむ。
彼が注文したのはバケツの中に仕切りがあり、三種類の味が楽しめるミックスだ。
(うん。今のドキドキ感も悪くなかったけど次はもっと興奮するかな? 確かもうすぐ敵の飼う魔獣が主人公に襲いかかるシーンだったっけ)
魔獣の爪が主人公の身体にかかり、彼がうめき声をあげ倒れる。更に魔獣が大きな赤黒い口を開け、呑まれるかという刹那、味方によって救出される。手に汗握る場面だ。
しかし江住はその映像を殆どぼんやりとしか見ずに、ポップコーンを咀嚼する。
焦がしたようなほんのりとした苦味とスパイスのような刺激的な香りを感じながら、ほう、と小さく満足の溜息をつく。
(ああ……美味い。やっぱり映画館で食べるのは、色んな味が楽しめて最高だな)
また一粒口に入れる。今度はキャラメルポップコーンだ。
画面は主人公を助けるために現れた精霊の姫が傷ついた彼を癒そうと、愛の告白をして口づけるシーンに移っている。
江住はその甘さに涙するかと思うほど感激して震える。
いや、実際には涙は出ない。彼の身体は感激に涙するようには出来ていない。
が、そんな表現が浮かぶほど今食べたものが美味かったのだ。
(……これは極上品だ。まずいな。クセになりそうだ)
今のはまさに甘美と言える味わいだった。しかし食べすぎては色々と不都合が起きる。
江住は今日はもうこれで止めようと、ポップコーンのバケツを右手に抱え直し、一気に口に放り込んだ。
~・~・~・~・~・~・~
「最高だった~!! 今まで映画はいつもスマホかパソコンで見てたんだけど、映画館って全然違うんだね!」
映画館の隣のカフェに入った後、満面の笑みで感想を語りだす美夜。
元々感情が顔に出やすいのもあり、映画を面白かったと言う言葉に嘘偽りがないのがわかる。
江住はそれを見ながらカフェラテを飲み、微笑んだ。
「気に入って貰えたみたいで良かった。横尾さんが昔ファンタジー系の児童文学にハマったって言ってたから、この話はいけるかなと思ってたんだ」
「うん! 先が読めなくてハラハラしたし、精霊の姫様、めっちゃキレイで……」
そこまで言って美夜は急に赤くなり勢いが萎む。キスシーンの時の事を思い出したのだろうか。
江住は一応確認してみようと、左手を伸ばしてテーブルの上の美夜の指先に触れた。
美夜は一瞬ビクリとしたが、真っ赤なまま抵抗する素振りはない。何よりも指先から拒絶や疑惑ではなく、喜びと驚きの感情が伝わってくる。
「え……江住…くん?」
(良かった。やっぱりバレてはいないみたいだ……それにしても横尾さんは…)
江住は内心ほっとするとともに、その甘美な感情に欲望を刺激されそうになったが、ぐっとこらえて手を離し、いつもの落ち着いた微笑で話しかける。
「急に黙っちゃったから、どうしたかなと思って。気分は大丈夫?」
「大丈夫大丈夫! めっちゃめちゃ元気!!」
「そっか良かった。精霊姫の女優さんが気に入ったなら、来月公開の恋愛映画に出演してたと思うけど」
「えっ……それって」
「来月、一緒に行く?」
美夜は目をキラキラさせて首を何度も縦に振る。
その様子をほほえましく、また、美味しそうだなと思いながら、江住は来月の予定について話を進めるのだった。
◇◆◇◆◇◆
ほぼ同時刻。
この国の首相がその官邸にて、防衛大臣と共に報告書を見て唖然としていた。
「……これは本当の事なのか」
報告書を持ってきた補佐官が無言で頷くが、大臣はそれを認めず吐き捨てるように言う。
「馬鹿らしい! 荒唐無稽だ!!」
「お言葉ですが大臣、この情報の大半は友好国からもたらされたものです。我が国は明らかに他国よりも事態の把握が遅れています」
反論する補佐官も、大臣と同じくらいの苦虫を噛み潰したような顔をしている。彼も本心では嘘だと思いたいのだろう。
彼らの手にする報告書には以下の内容が記されている。
銀河系から遠く離れたある星に住んでいた異星人―――便宜上【S31星人】と呼ぶ―――が、密に地球に紛れ込んでいると言う事実。
一つ、彼らは地球よりも遥かに高い科学文明レベルを有している。
ワープに近いほどの速度での宇宙航行は勿論、地球人の見た目に完全に擬態できる能力。
また、地球のあらゆるデータベースへのハッキングは彼らにすれば児戯のようなものらしく、痕跡も残さずに戸籍を作り、口座に金を入金することもできる。
二つ、彼らは基本的に友好的であるが、地球の為に科学や文明を提供する意思はない。
彼らを捕まえて利益にしようと目論んだ者も居たが、逆に捕まり記憶を消されている。
何故なら……
三つ、彼らにとって地球は新しい住まいであると共に"エサ場"であるからだ。
元々彼らは地球人の食事に似た栄養摂取の他に【他人の感情や気力を皮膚接触により摂取】する性質があったが、それが実は僅かな量でも絶対に必要なもの、所謂必須栄養素であると近年判明したのだ。
しかも、自分の体内で産み出した感情は自分の為には役立たず、他人から分け与えて貰わねばならない。
以前は彼らは母星の中で番を作り、お互いに与えあう関係を保つ事で生きてきた。
しかし文明のレベルが高まり便利な世界になるほど、そこで暮らす人間の感情は複雑になる。精神を拗らせて病んだり、逆に感動が薄れて気力に乏しい人も増える。
S31星人達自らが高い文明レベルを長年維持してきた結果、感動や気力、感情と言ったものを生み出し難い身体になってしまったのだが、それが彼らを緩やかな絶滅へと誘っていた。
更に彼らはグルメである。人間の単純かつ純粋な感情、喜怒哀楽―――特にポジティブなものや恋愛感情を好む。
もし彼らの正体がバレた地球人に触れた場合、(例え相手が摂取される事に同意していても)どうしてもそこには純粋な喜怒哀楽の他に、畏怖、躊躇い、打算などが混じる。
それはS31星人にとって「不味い食事」なのだそうだ。
つまりは地球人の中に紛れ込み、正体を知らない相手から負担にならない程度の純粋な感情や気力を分けて貰う、というのが彼らの望む形であり、現在進行形でその行動を取っている。
四つ、この事はある地球人を非常に気に入った一人のS31星人から情報提供されたものである。
地球の人々が彼らを必要以上に恐れたり、追いかけたりしないようにわざとカードを開いたのだ。
この情報を世界に公開すれば地球上はパニックになり、お互いに自分の身体を触れさせないように疑心暗鬼になる。
肝心のS31星人はそうなったら宇宙船に乗り込み、他のエサ場を探しに行けばいい。
そうなりたくなければこの事は各国のトップだけが抑えておき、彼らのことは放っておけ、という意思表示だ。
そしてS31星人にはその特性上、嘘は通用しない。
各国のトップはこれを飲むしかないのだった。
「……静かな侵略を受け入れろという事か……」
首相は眉間を揉んだ。顔色がよくない。
「不幸中の幸いは、現時点で地球に来ているS31星人は少数という事と、あまり仲間を増やす意思はないという事です」
「そんなもの信じられるか!」
補佐官の言葉に大臣が唾を飛ばす。
「信じるしかないでしょう。どのみち我々には抵抗する術がありません。情報提供したS31星人によると、彼らの母星も感情の奪い合いで内乱が起きており、同じ轍は踏みたくないのでひっそりと生きたい、という事ですから」
「…………。」
「……純粋な感情、そんなものに価値がある時代がくるとはな」
首相はぽつりとつぶやいた。腹芸でのし上がったこの場にいる男達には遠い世界の話だった。
◇◆◇◆◇◆
江住は一人暮らしのマンションに帰宅した。
目を閉じると頭の中には今日の美夜の様々な表情が浮かぶ。
いずれもわかりやすい、子犬のような可愛らしい表情だった。
そして映画館で味わった彼女のまっすぐな感情。以前一緒に映画に行った陸上部の先輩とは全く違う。
江住は思わず左腕を撫ぜた。地球人でいえば喉を鳴らすようなものだ。
あの後も何度も美夜に触れてしまいたくなり、欲望を抑えるのが大変だった。その為カフェで次回の約束をした後、すぐに駅で別れたのだ。
そこで美夜の顔を思い出して、ついクスリと笑いが漏れる。
(彼女は「えっ…」と声を飲んでいたな。僕が彼女を食べると呟いたから? 何を期待していたんだろう)
あんなにわかりやすくて純粋な妙齢の女性は滅多にいないだろう。
美夜がこのままで居てくれれば、江住は番として生涯を共にし、ずっと大事に可愛がっても良いと思うくらい、素晴らしい味だった。
「……次は恋愛映画か。楽しみだな」
どのシーンで美夜が何と思うか、あらかじめ予習しておいたほうが最も効率よく摂取ができる。
江住はデートの日の二人分と、その前日に一人分の映画のチケットを予約した。