第58話 委員会追放
シーンと静まり返る視聴覚室内。
和那に浴びせられた言葉によって、松坂は目を見開いて悔しそうに歯を食いしばる。
それをただ茫然と見つめているだけの井関。
「騙されるな」
突如、前振りもなく松坂が叫び出す。
和那と井関は突然の窓ガラスを震わすほどの声量にビクついた。
「こいつはそうだ。思い出したぞ。僕が高校生たちを収容した監獄に行った時に、この浅倉君がこいつがいたんだ」
もはやしどろもどろの苦しい言い逃れだった。
和那は首を傾げる。
「な、何をおっしゃっているんですか?松坂さん」
「だまれ。君が黒い人なんだろう?」
松坂はわなわなと怯えた様子で和那を指差した。
茶番もいいところだろう。
顔がすっかり引きつっているが、嫌らしい笑みがこぼれているのが何となくわかった。
あわよくば、和那に罪を着せて逃げおおせようという魂胆だろうか。
井関は未だに目の前の展開に理解が追い付けていない様子で、じいっと松坂の表情を窺っていた。
「君が、この学校の生徒たちを誘拐し続けていたんだろう?どうなんだい?浅倉君。君が、聡美のお兄さんを誘拐したんだろう?ええ?」
松坂が珍しく圧のある口調でまくし立てる。
和那はそのあまりの変化にビクついた。
あまりの情報量の多さに、和那もついていけなくなった。
聡美の兄とは?
和那には全くわからない情報ばかりだ。
松坂の狙いはそうすることを出して攪乱させるのが目的なのかもしれなかったが。
「ちょっと待って、清太君」
突如、井関が松坂に縋るようにして歩み寄った。
「この女が本当に、私の兄を誘拐したって言うの?」
井関はぷるぷると震えながら、和那を指差して尋ねた。
聡美とはこの子のことか。
和那は驚いた。
どうやら、井関は完全に松坂の操り人形にでもなってしまっているらしい。
そこまでこの男が魅力的なのだろうか。
和那にはとても理解できなかった。
「ああ、間違いない。こいつが黒い人だ」
「何を証拠に言っているんですか?あなたのお兄さん?知らないですよ」
和那が呆れた口ぶりで言い返す。
すると、不意に井関が鬼の形相で和那の胸倉をつかんできた。
和那の心臓の鼓動が跳ね上がった。
直感的に感じる。
やばい。
「清太君の言うことは絶対なの。そうか、お前が、兄さんを」
井関のピリついた両目から涙がジワリと浮かんできていた。
和那は血の気の引いた表情で涙が頬を伝うのを見つめる。
ダメだ。
この人、完全に松坂にコントロールされている。
おそらく松坂の言うことは絶対。
何をどうしたらこのような服従状態に陥ってしまうのか。
和那には何が何やら、目の前で起こっている事態の把握が一切できなかった。
そして、今こそはっきりと理解した。
総理が頑なに自分を戦いの場に出したくないということを。
ここまで危険だったとは。
「まあ、半分間違ってねえなあ」
突如、視聴覚室の扉が開いて現れたのは、切れ長の目に腰まで伸びた栗色の長髪の少女だった。
少女はチンピラのように鋭い目つきを振りかざし、扉に体をもたれさせた。
和那の目つきが険しくなった。
心臓の鼓動がピークに達する。
「い、伊東会長」
松坂が驚いた様子で、伊東を見つめる。
「そいつは、浅倉人材企画の娘だ。そいつの父親、浅倉人材企画の社長浅倉颯太郎は、その昔、裏でビザ申請のしていない外国人学生を日本に連れてきて」
「やめてください、そんな昔の話」
和那が悲し気な表情を浮かべ、伊東の話を遮った。
「本当のことじゃねえか。うちのパパも言ってたぞ。ロスト・チャイルド現象を裏で操っているのは浅倉なんじゃねえかと。そしたら、いろいろと辻褄合うもんな」
クククとほくそ笑む伊東。
「合わないです。さっきから寄ってたかって変な嘘はやめてください。名誉棄損で訴えますよ」
「ふん、随分威勢が良くなったなあお前。昔はただの気弱で世間知らずなお嬢様だったのによお」
「うるさいです」
「まあ、そういうこった。ロスト・チャイルド現象に関係しているかもしれない浅倉の娘を対策委員会に入れるわけにはいかないな、生徒会長の私の権限でな」
「何故ですか?信じられません」
「うるせえ、世間知らずのお嬢様はとっとと家帰って豪邸でのんびりしていりゃいいのさ」
「ふざけないでください」
「いいから消えろ。それとも消してやろうか?」
伊東が扉に寄りかかるのをやめ、両目で煽ってきた。
松坂も何故か同様に、両目を見開いて和那を見つめる。
その表情には不気味な笑みが映えていた。井関は未だに憤怒の表情を宿らせている。
和那も負けじと睨み返すも、すぐにそれをやめてしまった。
体の震えが止まらない。
これは恐怖なのか。武者震いなのか。
和那は憮然とした表情をこぼし、荷物をサッとまとめ上げた。
そして、そのまま急いで視聴覚室を後にした。
扉は思いのほか、丁寧に閉められた。
とっぷりと暮れてしまった夜空と肌を刺す冷気が廊下の窓から押し寄せる。
和那は苛立ちと悔しさで心をすっかりとかき乱されていた。
伊東商事株式会社社長の娘であり、大宮聖征高校の生徒会長である伊東由寧。
和那の父親颯太郎が経営する浅倉人材企画のライバル企業的存在だった。
しかし、それは浅倉目線のことだけかもしれない。
伊東目線では浅倉など中堅企業の1つ程度にしか思っていないだろう。
伊東商事は日本最大級の総合商社だ。
10年前くらいに、経営多角化して人材派遣業務にも参入し、浅倉人材企画のシェアをあっという間に奪っていった。
その頃だった。
浅倉の不正競争防止法抵触が囁かれ始めたのは。
和那の父親が実際に不法就労の外国人を雇っていたのかは定かではない。
ただし、その噂は瞬く間に業界内に広がり、大手取引先との関係解消を余儀なくされていったのだ。
そして、それこそが現在のロスト・チャイルド現象の元祖とまで業界内で噂されている。
和那はそんなこと全く知る由もなかった。
しかし、それは全て自分の幼少期の記憶が曖昧な事と何か繋がりがあるのか。
チラつく小学生の頃の、あの20代後半くらいの男性のおぼろげな顔。
「うっ」
和那は突如、吐き気を催して大きく咳込んだ。
喉を酸っぱくて熱い感覚が襲う。
すんでのところで耐えて壁にもたれ掛かる。
背中で大きく呼吸をする。
まずは総理たちに伝えなければならない。
伊東もこのロスト・チャイルド現象に一枚嚙んでいるかもしれないことを。
いや、でももしかすると自分の父親が本当にロスト・チャイルド現象に関係しているのではないか。
今は、黙っているべきかもしれない。
和那は息を整えて、もたれ掛かっていた体をゆっくりと持ち上げた。
今はとにかく、対策委員会を辞めさせられたことを告げないと。
それと、何よりも退院する玲奈の迎えに行かなければならない。
既に大聖らが病院に向かってくれているはずだ。
和那はゆっくりと自分の歩を確かめるようにして歩き出した。その足取りは何とも力なかった。