第46話 深夜の語らい
総理は自室に和那を招き入れたところで、扉を急いで閉めた。
「あの、ご挨拶しなくてよろしいんですか?」
和那がソワソワした表情で尋ねる。
確かに和那の性格上、そういった礼節は欠かさないところだろうが、総理はともかく家族から冷やかされたり、心配されたりするところを和那に見られたくなかった。
「ああ、いいよ」
総理がどっかりとベッドの上に腰かけた。
和那に自分の学習机用の椅子を促す。和那は自分のコートをハンガーにかけてから、ゆっくりと腰をおろした。
「せまっ苦しいよな」
「いえ、そんなことないです。あの方は総理さんのお姉さんですか?」
「まあな」
「綺麗なお姉さんですね」
「そうかあ?」
総理は両手を上げて首を傾げる。
「とても優しそうですし」
「過剰なくらい優しいから怖いくらいだ」
「え?」
その言葉の意味を和那は理解できなかった。
怖いほど優しいとはどういう意味なのだろう?
「優しさが、その相手にとって良いこととは限らないってこと」
「そうなんですか?」
和那は合点がいかない様子だった。
と、ここで総理の部屋の扉の前でミシッと足音が聞こえた。
「ちょっと待っててくれ」
総理が口を真一文字に結んで立ち上がる。
そのまま扉の前まで足音を立てないように近づいていった。
和那は首だけを後ろつまり扉の方に向けて事の成り行きを見守っていた。
総理はスッと勢いよく扉を開いた。
と、その反動でお盆を抱えた愛理がつんのめりそうになった。
愛理はしまった、という表情で総理と和那を見比べる。
和那は申し訳なさそうに頭を下げる。
「何やってんだ?姉貴」
「え、あ、いや、そのね、オホホ。お茶をどうぞーって思ってね」
愛理が総理を押しのけて室内に入り込んでくる。
和那は椅子から立ち上がって、何度も会釈した。
愛理もまたヘコヘコとこびへつらうかのように頭を下げた。
「あの、浅倉和那と申します。急にお邪魔してしまいまして申し訳ございません」
「あら、ご丁寧にありがとうございます。私は総理の姉の愛理です。これからも末永く弟をよろしくね」
「末永く?」
総理が鋭く切り込む。
「え?本当に2人は付き合ってないの?」
「付き合ってないってさっき言っただろ」
総理は溜息をつく。
「あと布団の予備って納戸にあったっけ?」
「え?布団?必要?」
愛理が茶化すような目つきで総理とベッドを交互に見つめる。
和那はというと真っ赤なリンゴのように頬を紅潮させている。
「アホたれ。必要だ」
総理が怒鳴ると、愛理はオホホと嫌らしい笑いを浮かべて退散していった。
微妙な沈黙が生まれてしまったので、総理が和那に再び座るよう促す。
「アホな姉貴ですまんな」
「え、いえ。面白いお姉さんで羨ましいです」
「アホたれなだけだ」
「そんなことないですよ。私も姉が欲しかったです」
あれこれと話しているうちに、時計は早くも午後10時を指そうとしていた。
しばし、総理はベッドに寝そべって雑誌をめくっていた。
和那は学習机を借りて勉強をしていた。
ここで再び総理の部屋の扉が叩かれた。
「はーい」
総理が空返事をすると、風呂上りなのか、バスタオルで頭をくしゃくしゃしながら愛理が扉を開けて覗き込んだ。
「えっと、和那ちゃんだっけ?お風呂入るかしら?」
和那は問題集から顔を離し、愛理を振り返った。
しばし、宙を見上げて思案すると、
「お借りしてもよろしいでしょうか」
「もちろんどうぞどうぞ」
愛理が軽快に手招きした。
「総理さんは?」
「俺は最後でいいぞ」
総理が雑誌から目を離さずに言った。ここで、愛理が茶化す。
「え、一緒に入らないの?」
「入るかアホたれ。早く案内してやれよ」
ニヤニヤと嫌らしく笑う愛理。
和那は困惑しつつ、愛理の後についていった。
廊下はひんやりとしていて、寒かった。
階段を2人で談笑しながら降りていく。
下り切ったところで、リビングから覗き込む2人の中年男女の姿があった。
2人の中年男女は和那の姿を視界に入れるや否や、ハッと息を呑んだ。
「あ、ご挨拶遅れてしまいまして申し訳ございません。浅倉和那と申します」
ペコペコと不必要なまでに何度も頭を下げる和那。
両親は未だに口をあんぐりと開け放ったままだ。
「あ、和那ちゃん。お風呂場はこっちね」
「はい、ありがとうございます」
和那は再度会釈して愛理の後を追っていった。
両親は未だに顎が外れるのではないかというくらいの大口を開けた状態であった。
「母さん、夢を見てるのかなあ」
「お、お父さん。きっきっとそうよ。ホホホ」
しばし、両親は壊れてしまった操り人形のごとく笑っていた。
時刻は午前1時を回っていた。
薄暗い総理の室内。総理はベッドの中に身を寄せ、和那はそのベッドの横に布団を敷いて寝そべっていた。
さすがに年頃の女の子と同じ部屋で寝るのは初めてだからか、総理は気になって寝付くことができなかった。
和那はというと先程から安らかな寝息が響いている。
「眠れん」
ぼそりと何気なくつぶやく総理。
思わず、ベランダのある窓の向こうに目をやった。
窓の外にはぼんやりとした月が青白く光る。
不気味な静けさとともに、肌寒さを覚える夜だった。
一瞬、目を瞑る。
と、再びベランダの奥に視線を送った。
総理の目に映りこんできたのは、黒いタキシードとマントを羽織り、白い仮面をかぶった細身の体躯の持ち主だった。
しかし、その仮面には細切れの新聞紙のような紙片が一面にびっしりと貼り付けられていた。
体中に鳥肌が立った。一気に目が覚める。
「ハッ」
思わず息を漏らした総理がベッドから飛び起きた。
両足が、床に敷いた布団で眠っている和那の体にぶつかってしまった。
ベランダには影の1つも見当たらなかった。
確かに先程、不気味な仮面を被った黒服の男が立っていたというのに。
まさか、あれが怪人ホタルイカ?
いや、それともただの夢か?
「うーん」
布団にくるまっていた和那が目を覚ましてしまったようだ。
「和那、すまん」
眠たげな目を開いた和那に謝る総理。和那はまだ眠そうな目で総理を見つめる。
「あ、総理さん」
総理が壁掛け時計を見つめると、既に時刻は午前3時を回っていた。
やはり、先程の不気味な仮面の男は夢だったようだ。
「起こしちゃったな」
総理が再びベッドに横たわる。
「いえ、私もあんまり寝付けなくて」
和那がか細い声でつぶやく。
確かに自宅の誰もいないはずの2階から足音なんて聞こえてしまったら、安心して眠れるはずもないだろう。
和那は総理に背を向けるように横向きに寝返った。
「少しお話でもしませんか?」
「ああ」
総理もぼそりとつぶやく。
「大聖さんたちとはどのくらいのお付き合いなんですか?」
質問の内容がほのぼのとしていることに、総理はやや驚いた。
「あー小学生の時だな」
「小学生ですか。すごく長いお付き合いなんですね」
「腐れ縁だ」
「私は小学生の頃の記憶がほとんど無いので、すごく羨ましいです」
切なさそうな口調で和那が言う。
「そうなのか」
「はい、愛知で普通に小学生していたはずなんですけど、友達もいなくて。両親も仕事ばっかりですし。それでたまーにこちらの祖父母の家に遊びに来ていてはあの洋館で遊んでいました」
総理は黙って和那の話を聞いていた。
ここまで自分から身の上話をする和那は本当に珍しかった。
「そこでいつも1人、20代後半の男性がいたんです。別に何かされた記憶はないんですけど、その人がちょっと怖くて。雰囲気というか、その人の立ち居振る舞いが異質で怖かったことだけをすごく覚えています」
「20代後半の男性、か」
総理がオウム返しにつぶやく。
「はい、私が単身こちらに来てからはその人に遭遇したことはないんですけど、今も埼玉のどこかで生活されてるはずです」
「そうなんだな」
総理は相槌に徹した。
「誰でも怖いものはあるからな」
「総理さんにもおありですか?」
「ああ、人間」
和那が寝がえりを打って総理に体を向けた。
表情は驚いていた。
「人間、ですか?」
「そう、人間」
今度は総理が首だけを和那とは反対の、乳白色の壁側に向ける。
「それは、美稀ちゃんのことですか?」
「それもある」
総理はぼそりとつぶやく。
「人ってだいたい2つくらいは性格あるよな。会社や学校用のいわゆる公共用の性格と、家族や恋人や親友だけに見せるいわゆる私用の性格と」
「まあ、そうですね」
「それだけであれば、まだ普通なのかもしれないけど、それに加えて他人に一切見せない完全に裏の性格を持つ奴もいるからさ」
総理は具体的に誰、とは言わなかったが、和那にはこの言葉が誰の言葉を指しているのか何となく察しがついた。
「簡単に言えば、何を考えているのかわからない奴。俺も人のこと言えないかもしれないけどな。俺も私用の性格をほとんど他人に見せない。それならまだしも、決して誰にも見せることのない裏の性格を持つ人間。今回の件で、そういう人間もいるんだって確信した」
「それは」
「うん?」
「他人に見せられない悪意とかは、人間の中から自然にできたものではないと思います。ただ、どこかの誰かの悪意が勝手に増殖しているだけなんです。元を正せば、善人も悪人も誰でも普通の人間なんです」
シーンと静まり返る室内。
総理はその言葉を聞いて救われたような気がした。
自分の好きな人も、増殖した悪意に心を植え付けられただけであって、元を正せば普通の人間なんだと。
心が洗われると同時に、これから立ち向かう敵に対しての恐怖感もだいぶ和らいだ気がした。
「なんか、和那らしい考え方だな」
「それは褒めてくださってるんですか?」
嬉々とした声色で尋ねる和那。
総理は首をもたげて和那を見下ろした。
和那は天井を見つめていたが、総理と目が合った。
「褒めてるかもなあ」
総理がいたずらっぽく言う。
「そこは隠さずにおっしゃってください」
和那もまたクスクスと笑う。
「これは性格っていうよりは、気持ちだからな。隠す」
「え?」
「あとちょっとで朝になっちゃうからもう少し寝るぞ」
総理はそう言って再び壁際に寝がえりを打った。
和那が壁の時計を見つめると、時刻はもう間もなく午前5時を指そうとしていた。
何だろう?気持ち?
和那はそれでも少しは満たされた気分になって、再び夢の中へと帰っていった。




