第37話 お迎え
視聴覚室に戻る総理と湯浅。
外はすっかりと暗闇に包まれている。
部活動をしている生徒たちは既にいなくなり、下校時間の様相を呈していた。
視聴覚室は未だに緩やかな電灯を輝かせていた。
扉を開けると、室内にはあちこちに散らばる鞄や筆記具。
そして、教卓に突っ立って資料を見つめる松坂の姿があった。
「おお、湯浅君に総理か。ご苦労様」
「お疲れ様ですー」
のんびりとした湯浅の挨拶が室内に響く。
総理は溜息をこぼす。
そして、ちょうど教卓の前までゆっくりと歩み寄った。
湯浅もまた総理の後ろにピッタリと張り付いている。
「終了報告かい?気をつけて帰」
松坂の言葉を制するように総理が口を開いた。
「松坂、わかったんだ俺」
「何がだ?」
松坂はきょとんとした表情で聞き返す。
「この学校の生徒たちを誘拐した犯人が」
その言葉に、松坂は溜息をつく。
「そうかい?誰がこんなひどいことを?」
松坂はホワイトボードを振り返る。
ちょうど総理たちに背を向けた状態だ。
「最近は本当に学内が良くないんだよ」
松坂は口を開いた。
参ったというような仕草を見せる。
失踪する人があまりにも多く、それを受けて不安がる生徒たちが急増しているとのことだ。
中には在宅を確認できている状態で、不登校になってしまっている人もいるらしい。
そして、保護者からの電話や訪問が増えすぎてしまっており、教師陣もその対応に追われてしまうことがしばしばあるようだ。
学内は確実に混乱の一途をたどっている。
「これも既にロスト・チャイルド現象を経験している学校で同様の現象は起きてしまっているらしい。不測の事態というわけではなかったけど、まさかここまで早く学校が混乱してしまうとは思わなかった」
松坂は天を仰ぐ。
「しかし総理、君は何故このロスト・チャイルド現象が発生していると思う?」
「それは」
「うん」
「邪魔な生徒の一掃だろうな」
松坂は目を見開いた。
「ただ、その一掃によって失踪者たちがどうなっているのかは全くわからない」
総理は切なそうにつぶやいた。
「総理、何故そう思うんだい?邪魔な生徒とは?」
「失踪した奴らの顔ぶれを見ればわかる。飯尾、和田、田部井。A組の木村も複数の女子中学生との噂がある。みんな共通しているのは、教師連中も嫌がる問題児ばかりだ。おそらく、校内の風紀の乱れ改善を目的としてそういった問題児の誘拐を画策している連中がいるんだろう」
「ほお」
「そういった問題児がいなくなることで、最も利益が出るのはそれこそ問題児の被害者、つまり学校側だ。だから犯人は学校関係者の誰か。繁華街や住宅街が誘拐現場になっていることから推測するに、やはり知らない誰かが声を掛けるというのは不可能だろう。すぐトラブルになる。知っている人間が安心した状態でこっそりと誘拐を遂行することで、繁華街や住宅街での誘拐が可能となる。」
「それはそれはすごい考察だね総理」
「誰でもできるだろ。お前もわかってるだろ」
「さてね」
松坂はニヤニヤと不敵な笑みを浮かべていた。
「ただ、ここにきて想定外のことが起きた、と俺は思った」
「それはなんだい?」
松坂は不敵な笑みを止めずに聞き入る。
何やら不気味だ。
「菅原の失踪だ。菅原は確かに面倒くさい性格をしていて他人からは嫌われているが、かといって、過去に謹慎処分相当の問題は起こしていない」
「ほお」
「今までの連中は学校の名前に傷をつけるようなレベルの問題を起こしていたが、ここに来て菅原のように大きなトラブルを起こしていない奴が失踪した。これはもう犯人側の方針というよりは、私怨によるものだろう」
「なるほど、私怨ねえ」
「菅原のことを邪魔と思う人物。それはおそらく対策委員会だ。無用なくらい教師陣にすり寄っていき、本来の対策委員会の仕事は中途半端。そしたらただうるさくて邪魔なだけ。そして、本来の誘拐遂行に支障をきたす恐れがある。だから、菅原は誘拐されたんだ。学校側いや対策委員会側の都合によってな」
松坂がピクリと体を震わせた。
シーンと静まり返る教室内。
クククと松坂は不敵に笑う。
総理は緊張感をたぎらせ、松坂を睨みつけた。
「ということは、菅原を誘拐した人間は、我々対策委員会の中にいると?」
「いや、菅原だけじゃない。少なくともこの学校で誘拐された生徒全員だ。そして、対策委員会を組織した側の中に犯人がいる」
総理は松坂を見つめる。
松坂は表情を崩すことなく、冷たい笑いを浮かべている。
「へえ。それはそれは。もし総理の考え方が正しいとして、何故、犯人が対策委員会を組織した側の人間だと思うんだい?君たち構成員側が犯人の可能性もあるじゃないか」
「組織した側の人間が舞台を整えたからな」
「舞台?」
「俺と大聖が参加する前の対策委員会で、スクールバスが生徒間投票で上位に挙がったにも関わらず、開票時に落選したと聞いた。それは、やはりスクールバスが学校と駅の間で運行されてしまうと誘拐のチャンスが無くなってしまうからだ。松坂お前は俺に予算の問題だと言っていたが、当然班決めすらしていないから、誰もこのスクールバスのコストに関しては調査すらしていない。つまり、お前が少なくとも犯人の1人ということさ」
そこまで総理が話した時、松坂が突如高らかに笑い始めた。
総理はびっくりして目を見開く。
「ふふ、総理。なかなか面白い考察をするんだね君は。すごいよ」
松坂は笑いを殺して言う。
「ただし、それは君の空想に過ぎないよね。物的証拠として何か一体あるのかい?」
「物的証拠はない。でも、近々俺はそれを手に入れてしまうかもしれない」
総理も口元を緩ませた。
松坂の表情が強張る。
「へえ、それはすごい。それが手に入ったら僕にもぜひ見せてほしいものだね」
「お前よりも先に警察に持っていくさ」
クククと相変わらず不敵に笑う松坂。そして、口を開いた。
「1つだけ良いことを教えてやろう総理」
「何だ?」
総理はゴクリと唾を飲み込む。
「僕はその生徒間投票には一切かかわっていない」
「何?」
「それはそこの湯浅君に聞いてみればわかることさ。そうだろ?」
松坂は湯浅を顎でしゃくった。
目の前で起きた光景にすっかり硬直していた湯浅が、魔法が解けたかのように軽快に動き出した。
「は、はいー。松坂さんはその時の委員会には参加してなかったんですー」
総理は目を見開いた。
それは初耳だった。
「何だと?」
「本当ですー。その時に仕切っていたのは渡井さんですー」
総理は心臓を吐き出すかもしれない衝動に襲われた。
まさか?
美稀が?
心臓の鼓動が延々と響く。松坂の笑い声が響く。
松坂を振り返る総理。
松坂はいつものように意味深な笑顔を浮かべている。
嘘だろ?
明らかに動揺を隠せない総理。
ドクンドクンとうねる心臓。
「ふふふ、気をつけて帰るんだよ総理」
意味深な言葉を残し、松坂は鞄を背負って静かに視聴覚室を後にした。
総理は俯いたまま、しばらくうろたえていた。
必死に語り掛ける湯浅の言葉も一切、総理の耳には届いていなかった。
「ただいま」
家にのっそりと帰ってくる総理。
我が家の匂いを嗅いで初めて、無事に家まで帰ってこれて安堵の溜息をこぼす総理。
リビングでは珍しく姉の愛理がソファに寝そべってテレビを眺めている。
この時間に帰ってきているのはなかなか珍しい。そして、母は夕食の支度をしているところだ。
「お帰り」
愛理がそっけない返事をする。
総理は洗面台に足を運び、手洗いとうがいをこなした後に、リビングルームへと入っていった。
変わらず、愛理がででーんとソファ上に体を預けて占領している。
総理はもう片方のソファにちょこんと座り、テレビ画面を見つめた。
テレビ画面には秋の色どりを伝えるニュース番組が流れていた。
長瀞の荒川周辺の紅葉が始まったことを女性キャスターが伝えている。
紅葉。
枯れていくということか。
総理の心はしんみりとした。
と、ここで、母が総理に声を掛ける。
「総理、アンタ玄関から玉ねぎ2つ持ってきて」
「はい」
総理はスッと立ち上がり、玄関に放置されていた茶色い袋の元へと足を運んだ。
と、玄関に辿り着いたところで、ポケットの中に忍ばせていた携帯電話がブルブルと震え始めた。
誰かと思って見てみると、美稀の文字が画面に映し出されている。
総理の全神経が携帯画面の美稀の文字に注がれる。
いつも以上に振動が不気味に感じられる。
ドクンドクンと鼓動を急く心臓。
意を決して電話に出る。
「もしもし」
「もしもし総理?」
いつもより何やら冷たい印象を受ける美稀の声色だ。
普段の温和な美稀の声ではない。
総理は心臓が飛び跳ねんばかりの衝動に駆られた。
トランポリンのごとく跳ねる心臓。
「なんだ?どうした」
「今から私の家に来れない?」
「今から?」
「そう、今から」
「今から夕飯なんだけど」
「いいから、今から」
余裕のない、やたらと急かすような美稀の口調に総理は違和感を抱いていた。
これはもしかして、総理は一抹の不安を覚えた。
「わかったよ、今から行く」
「絶対だよ。7時には遅くても来てよ」
美稀はそれだけ告げると電話を切った。
空虚な時間が流れる玄関。
ツーツーツーと力なく鳴く携帯電話。
総理の頭は既に真っ白だった。
しかし、いずれ決着をつけなければならないのだ。
総理は呼吸を整えるべく、長く深い溜息をこぼした。
総理は玉ねぎを持って取って返すと、母に出かける旨だけを告げた。
「美稀ちゃんの家?ああ、行ってらっしゃい。夕飯は帰ってきてから食べる?」
母は美稀や大聖との約束であれば、夜が遅くても意外とあっさりと総理を解放してくれる。
それは父もそうだった。
ただし、この時の姉だけは違った。
愛理には危険察知能力でもあるのだろうか。
のそのそとソファから起き上がると、
「じゃあ、お姉ちゃんが送ってってあげるよ」
「いいよ、美稀の家だぞ?」
総理は手で制した。
姉をこの危険な外出に伴わせるわけにはいかない。
愛理がやや不機嫌な顔をする。
「確かに大した距離じゃないけどさ、何かあったら不安じゃない」
愛理が膨れっ面を見せる。
「いいよ別に、どうせすぐ帰ってくるし」
総理はそのまま玄関へ取って返し、靴を履く。
愛理はまだ不服そうな表情でリビングの扉から、総理の縮こまった背中を見つめる。
「気を付けていってきてよ」
愛理にはやはり伝わっているのだろうか?不安そうな面持ちだった。
これから近所の美稀の家に行くだけであるのに、まるで、弟がそのまま遠くへ行ってしまうような、変な胸騒ぎがした。
「ああ、大丈夫」
総理は玄関扉を押し開いて、そのまま漆黒の扉の外へと飛び出していった。
総理はすっかりと暗闇に食われてしまった住宅街を歩き、携帯電話を取り出した。
そして、どこかへとまた電話を掛けた。
美稀からの連絡を受けた際に、ついに迎えが来たかと思った。
総理は早く繋がれと心の中で叫び続けた。
しばらく呼び出し音が鳴り続けて、1人の少女の柔らかい声が聞こえた。
「総理さんですか?ごめんなさい、病院の中でしたので。どうなさいましたか?」
「ああ、悪い悪い。ちょっと和那の声が聞きたくてな」
「え、本当ですか?それは嬉しいです」
頬が緩んだ和那の表情が窺える。
和那ののんびりとした雰囲気が電話越しに伝わってくる。
「元気にしてたか?玲奈も大丈夫か?」
「はい、私は元気ですよ。玲奈ちゃんも入院した翌日には意識を取り戻して、今は熱はありますけど、怪我の方は順調に回復しています」
「そうか、それなら良かった」
総理はふうっと安堵の溜息をこぼした。
「総理さんどうなさったんですか?」
「え?」
「何か元気がないというか、ちょっと疲れているというか」
まさか和那に見抜かれるとは、思ってもいなかった。
総理は口元をふふっと緩ませた。
「いや、俺はいろいろと知り過ぎてしまったみたいだ」
「はい?」
「まあ、今後何かあったら大聖に連絡をするようにしてくれ。俺はちょっと出かけないといけなくなってしまってな」
「え?出かけるってどこにですか?」
それがわかったら苦労しないさ。
総理は思った。
受け入れるしかないのだ。
この現実を。
話したくても話せない。
この真実だけは墓場まで持っていかなければならない。
俺の好きな子のためにも。
おそらく松坂はここまでしっかりと読んでいたのかもしれない。
俺が美稀のことを好きであると。
やられたのだ。
総理は俯いた。
「まあ、そういうことだ。じゃあ元気でな」
「ちょっそ」
プツンと総理は俯いたまま、無理矢理に電話を切った。
「くそ」
ぼそりと言葉をこぼすと、目頭がふと熱くなってきた。
俺の意思が弱いのか、このままで良いのか。
俺の好きな子を守るためだけにこのまま誰にも黙ったまま、どことも知らない場所に連れていかれなければならないのか。
頬を伝う涙。
あ、泣いたのはいつからだったっけ。
あの好きな子に、自分ではなく他に好きな人がいると悟った時以来だったか。
総理はしばらく動けずに住宅の外壁にもたれ掛かって、感情の清算をしていた。