第34話 動揺
総合病院の廊下内を走り抜ける3人の高校生。
清楚でかわいらしい看護師とぶつかりそうになり、走らないように窘められる。
広々と広がったエレベーターへと駆け込み、3階のボタンを押す。
「なあ総理、さっきのナースさん、すごく可愛かったなあ」
大聖がうきうきとした表情で言う。総理は知らんぷりだ。
「行くぞ」
3階に辿り着き、扉が開くや否や、総理と和那がエレベーターの外へと飛び出していく。
大聖も遅れじとついていく。
既に治療は終わったという旨はこの病院に向かっている途中で受けていた。
そして今、何と玲奈の母親と交際している男と思しき男も来ているとのことだった。
総理と和那は事情を知っていることから、早く辿り着きたいとその一心だった。
玲奈に暴行を繰り返していた男と母親なのだから、病院とは言え、危険には変わりないだろう。
ようやく目的の305号室に辿り着き、ドタドタと病室内に駆け込んでいく。
相内玲奈の表札も見えた。
と、そこには2人のいかつい男女がベッドを囲んで座っていた。
玲奈は白い布団に包まれ、点滴を施されている様子だ。
まずは奥の、グラサンで髭を綺麗にそろえたアロハシャツの男が口を開いた。
「おう、なんだてめえら」
低く威嚇するような口調。
手前に腰かけ、総理たちに背を向けていた麦わら帽子の女もこちらを振り向いた。
塗りたくるように真っ赤なルージュ、そしてこれでもかと真っ赤なネイルを施し、金髪の優雅な長い髪の毛をまとっている。
これでは、まるでチンピラとスナックの姉ちゃんである。
そうか、どうやらこいつらが玲奈の話していた母とその恋人か。
和那はどことなく怯えた表情を見せている。
大聖も冷汗を浮かべている。
「俺たちはこの子を保護していた者だ」
総理が口を開く。
言葉だけは間違えないように必死に選ぶ。
と、ここで男が椅子を跳ね除けて立ち上がり、勢いよく総理に向かってきた。
総理の襟を持ち上げて、暑苦しい顔を近づけてくる。
うっすらとグラサンの奥の鋭い眼光が透けて見えた。
「てめえらが、うちの玲奈をこんな目に遭わせたんか。ただじゃおかねえぞこら」
「アンタ止めえ。子供よ」
女はなんと病室内でのんきに喫煙しているではないか。
やはり、玲奈の話どおりとんでもない連中らしい。
これは玲奈も逃げ出したくもなるわけだ。
総理は腹の中で納得した。
若干、総理をの襟元を締めていた手の力が緩まる。
と、今度は女が煙を吐きながら、口を開いた。
「アンタたちさあ、どういうつもりでうちの子をこんな目に遭わせたわけ?子供じゃ話になんないから、親御さん呼んでくれる?」
女は冷静な口ぶりで話しかける。
総理は言葉に詰まっていた。
「アンタたちが直接やったやってないはこの際関係ないよ。結局はアンタたちがうちの子を匿っていたせいで、うちの子はこんな目に遭わされたわけだよ。そういうことだろ?」
まるで、女はこの期に及んで被害者ぶったような口ぶりである。
目当てはおそらくお金だろうか。
玲奈が怪我したのをネタにお金を脅し取ろうって魂胆だろう。
玲奈の怪我を心配して来ているわけではないようだ。
「早くさ、話のわかる親御さん呼んでよ。治療費と慰謝料は払ってもらわないとだから」
女はギロリと総理たちを睨みつける。
総理はやはり金か、と思った。
それなら話は早い。
大聖と和那はすっかりどぎまぎしている。
「アンタたちの方がこの子をひどい目に遭わせていたんだろう?」
総理がゆっくりと口を開いた。
と、再び総理の襟元を締める手の力が強くなった。
「てめえ、どの口がほざいてやがんだこら。勝手な言いがかりをつけやがってこら」
男が総理の顔に唾を吐きつけんばかりに叫ぶ。
暑苦しい圧力を掛けられる。
睨めば怖がると思っているだけだ。
総理は冷静さを保っていた。
「こっちだって児相や警察に相談してやったっていいんだぜ」
総理がそう言い放った瞬間、総理の頬を男の平手打ちが飛んできた。
総理は軽く病室の外に弾き出された。
すぐ近くの廊下を歩いていた看護師が慌てて近づいてくる。
「だ、大丈夫ですか?!」
「助けてください」
和那も廊下に飛び出し、泣き叫ぶ。
と、ザワザワと周囲の病室からも野次馬の患者たちが入ってきた。
病室内では女が軽く男をこずいている。
男はバツの悪そうな表情を浮かべている。
どうやら事を大きくするなという叱責だろう。
女や男の口元からは余裕が消えていたのが窺えた。
ざまあみろ、総理は心の中で笑った。
男と女はすぐさま帰り支度を整えた。
焦った様子で2人は患者たちの群れを掻い潜って、廊下をパタパタと走っていった。
「いってえ」
総理が頬をおさえて起き上がる。
緊張の糸が解けたところで痛みが追い付いて来た。
「何じゃ何じゃ。坊主、大丈夫か」
お年寄りの患者さんがタオルを持ってきて、総理の顔を優しく拭いてくれる。
和那はその場で泣きじゃくっている。
大聖が遅れて駆け寄ってきた。
「大丈夫か総理」
大聖が申し訳なさそうな表情を浮かべて、総理の顔を窺う。
和那も涙を浮かべて見つめる。
「ああ、平気だ。まさか殴られるとは思わなかったけどな」
総理はタオルで顔を拭いながら、立ち上がる。
そして、患者の野次馬の群れの奥を見つめる。
「くそ、あいつら逃げやがったか」
総理は目の前にいた若い女性看護師に声を掛ける。
「この病室、防犯カメラってついてる?」
「え、いえ。個室にはついてないです。廊下には設置してあります」
「じゃあダメか」
総理はうなだれた。
「どうしたんだ総理?」
大聖が尋ねる。
「要は俺を殴った証拠が残ってれば、最悪警察に被害届として出せるかなと思ってな」
総理は声のトーンを落とした。
大聖は納得した表情でうなずく。
「でもま、あいつらはここにはもう来れないだろうけどな。これだけ暴れちゃったら」
「あいつらーむかつくぜマジで。何なんだよあいつらは?」
「あいつらは玲奈の母親と母親の恋人のようだ」
大聖は拳を握り締める。
和那も涙を浮かべて総理を見つめる。
「総理さん、本当にすみません。私、何もできなくて」
和那の溢れていた涙がボロボロと流れ落ちていった。
「気にすんな。俺のことよりも、玲奈だ」
その総理の言葉に、大聖と和那は玲奈の病室へと再び戻る。
周辺はようやく取り巻きが減っていき、平静を取り戻していた。
玲奈は頭の包帯がぐるぐるにまかれた状態で横になり、ぐっすりと寝息を立てていた。
その表情を見た瞬間、和那は涙を零しながらも笑顔がこぼれていた。
「良かった玲奈ちゃん、無事で」
総理も大聖も玲奈の様子を見て、落ち着きを取り戻していた。
3人で病室を囲い、今後について話すことにした。
ひとまず、午後の授業からは学校へ足を運び、授業を受ける。
その後、総理と大聖は対策委員会へと参加する。
美稀もどうやら病院に行ってから学校に行くとのことだったので、無事に4人とも揃うことになりそうだ。
「私は放課後にまた、玲奈ちゃんのところに来たいです」
和那はそう言った。
思案した挙句、和那が友達を数人連れてくるということで話は何とかまとまった。
「こんな私にもようやく友達ができました」
和那は嬉々とした表情で言う。
総理と大聖もホッと胸を撫でおろした。
「そりゃあ、こんな素晴らしい和那さんなんだから友達なんて腐るほど作れるでしょ」
大聖が調子良く褒める。
和那もニコニコと笑う。
「それでは、午後の授業からですからそろそろ向かいますか」
和那も鞄を背負って立ち上がる。
総理と大聖もそれに倣う。
外は陽光がほぼ真上にのぼっており、まるで真夏のように暑い。
「ホタルイカ、か」
総理は誰ともなしにつぶやいた。
大聖と和那も表情が強張る。
もう後戻りできない次元まで足を突っ込んでしまったのか。
それ故に玲奈が襲われてしまったのか。
「正体不明の大量殺人鬼、なんだよな」
「もう和那の家には出ないさ。引っ越ししたみたいだったしな」
総理は和那を振り返る。
和那は珍しく顔をしかめていた。
「絶対許せないです。玲奈ちゃんをこんな目に遭わせておいて」
和那はギリっと拳を握り締める。
「姿を見ているかどうかわからないけど、玲奈には、ホタルイカのことは黙っておいた方がいいだろうな」
総理は玲奈の寝顔を見つめた。
とてもホタルイカへの怒りを口にして荒れ狂っていた形相と同一人物とは思えないくらい、可愛らしい寝顔だった。
「そうだな。玲奈ちゃんのためにならないもんな」
大聖もうなずく。
シーンと静まり返った病室内。
降り注ぐ陽光が雲と重なったのか、一瞬室内が薄暗くなった。
「さて、じゃあそろそろ行くか」
大聖が先陣を切って病室の扉を開けた。
陽光が再び病室内に差し込んできた。
すっかり昼休みのだらけた雰囲気の中、教室はゆったりとしたムードになっていた。
総理と大聖が景気良く現れると、教室中が驚きに包まれた。
「あ、横山君と赤嶺君」
宮葉と大槻がまず最初に声を掛ける。
と、さらに後ろからやややつれた表情の渡井美稀が現れた。
ここで教室中の興奮がピークに達した。
美稀は久しぶりの登校だ。
宮葉と大槻がお祭り状態である。
美稀が覇気のない声でつぶやく。
「ごめんね、総理に大聖。心配かけたね」
「美稀。体は大丈夫なのか」
大聖が心配そうに尋ねる。
美稀はぎこちない笑顔を向ける。
やはり病み上がりだからなのか、何となく美稀の様子がいつもより大人しい印象だった。
「美稀が来るってなったけど、入れ違いに2人が来なくなっちゃうんじゃないかってびっくりした」
宮葉が感傷に浸るようにして言う。
「おいおい、俺たちはそんなにやわじゃないぜ。しっかり日本のために戦えるぜ」
大聖が調子づく。
日本のためにと言いつつ、先程はチンピラ1人に及び腰だったじゃないかと総理は思ったが、ここは黙っておく。
「何かあったの?」
美稀が不安げに尋ねてくる。
相変わらず、自分よりも他人を心配してしまう性格はこういう自分が弱っている時にでも発揮されるみたいだ。
「別に、大丈夫だ」
総理は美稀に無用な心配をさせないよう、気丈に振る舞った。
美稀は腑に落ちない様子だったが、再び宮葉と大槻と談笑していた。
何やら、美稀の方がやたらと愛想笑いが多い気がする。
おそらく、田部井という親友の1人が失踪してしまい、ショックを受けたのは間違いないだろう。
こういうところは美稀の昔からの悪い癖だ。
常に仮面を被ってまで100%の状態でいようとする。
大聖は体調が悪ければ周りや教師に積極的にアピールするし、総理も勝手に休む。美稀だけは常に100%出し切ろうとする。
それでいて、あのまとまりの無い対策委員会を仕切っていたのでは、精神的にもたなくなるのも当たり前だ。
「そういえば、今日は隣のA組の木村君が失踪しちゃったらしいのよ」
宮葉がヒソヒソ話で言う。
総理と大聖は驚きを隠せなかった。
「え、マジかよ」
無理もない。
木村は失踪とは無縁に思えそうなくらい充実した生活を送っているように見えたからだ。
不登校とは無縁。
基本的にはどこかのクラスの女の子と歩いている。
学業も優秀だし、スポーツも悪くない。
絵に描いたような優等生だったはずだが、まさかの失踪とは驚いた。
「そうそう、だから今度はA組の女子たちがお通夜状態よ」
大槻も残念そうに言う。
未だに猛威を振るうロスト・チャイルド現象。
これはやはり、あの怪人ホタルイカが関わっているのだろうか。
しかし、昨日の深夜に関しては間違いなくホタルイカは和那の洋館の屋根裏にいたはずだ。
そう考えると、ホタルイカはこの件には関わっていない?
それとも直接手を下すのは別の人であって、それらを統帥している立場がホタルイカなのか?
総理は思わず顎に手を当て再び考え込む。
「あ、次は児玉先生の英語だー和訳やってねえ」
大聖が宙を仰ぐ。
クスクスと周囲から笑いが起こる。
大聖は相変わらずだ。
溶け込むのが速い。
と、総理はここで教室の前に目をやった。
楠田だ。
変わらずのボサボサ頭でしょんぼりと自席に座っている。
総理は楠田の元へと向かうことにした。
「楠田」
呼びかけると、楠田がのそのそとこちらに向き直った。
どうも青っ白い顔をしている。
「あ、ああ。総理」
溜息をこぼす楠田。
「どうした?今日は随分元気がないな」
総理が尋ねると、楠田は机に突っ伏した。
クラスでも屈指のメンタルの弱さのようである。
「いや、対策委員会がどうもうまくいかなくて」
「委員会?」
突っ伏した状態で楠田が頷く。
その頷きにももはや力は無かった。
「ぼ、僕、井関さんと組ませてもらったんだけどさ。どうも僕の要領が悪くて、井関さんに迷惑ばっかり掛けてしまってるんだ。井関さんは直接言ってこないけど、きっと僕のこと使えないと思ってそうで」
「……」
総理は恐れていた懸念が当たってしまったと思った。
やはり、楠田の圧倒的なコミュニケーション能力の不足と、単純な業務の遅さが井関の苛立ちを生んでいるようだった。
井関は卒なくそういった業務をこなしそうなイメージがあったが、楠田はやはり鈍くささがあったのだろう。
井関と菅原のやり取りを見るにつけ、本来はゴリゴリに言葉をぶつけてくる井関だから、今はストレスが溜まっていて仕方ないだろう。
親友の湯浅には間違いなく愚痴っているだろうが。
「ああ、僕なにやってんだろ」
楠田の腕が小刻みに震える。
繰り出す言葉も次第に弱くなっていく。
「つっかえねえな僕。いつまで経っても成長しないで。本当にどうしようもないなあ。僕みたいのが失踪した方が世の中のためにはいいんだろうなあ」
「馬鹿なこと言うな」
総理が真剣な表情で言い放つ。
さすがにその言葉は聞き捨てならなかった。
全員失踪したくて失踪しているわけではない。
自ら努力して変われた和那。
努力はしているが、未だに結果が出ていない楠田。
どちらもネガティブ思考であるが、和那の方が変わろうと思う思いは強かったのだろう。
行動力もある。
元々のポテンシャルも高かったのは否定できない。
が、楠田のように人生にもがいている人こそ、変わっていってくれたらクラスの皆にも勇気を与えられるのではないか、と総理は思った。
総理自身もそれを力に変えられそうな気がした。
「お前みたいに努力して変わった人間を、俺は知ってる」
総理は言った。
和那を思い浮かべていた。
楠田はまだ突っ伏したまま、動かなくなっていた。
「まだ結果が出ていないだけだ。頑張ってれば、そのうち良い結果が出る」
楠田はピクリとも動かなかった。
心は果たして動いてくれただろうか。
総理は構わず、大聖と美稀の元へと再び足を運んだ。
美稀は呆気に取られたような表情を浮かべていた。
大聖は得意げに話している。
「どうした美稀。すごい顔して」
総理が尋ねる。
美稀が青白い顔をして言葉を失っていた。
「ど、どうして参加しちゃったの?」
美稀が誰ともなしにつぶやく。
「え?」
呆然とした様子の美稀に、大聖が言葉を失う。
総理も緊張が走る。
参加と言っていたからおそらく対策委員会のことだろうか?
「いや、ごめん何でもない。アハハ。授業そろそろ始まるよ」
即席の笑顔を浮かべた美稀は、冷や汗をたっぷり浮かべながら言った。
美稀はそそくさと自席に戻っていった。
総理と大聖は思わず顔を見合わせる。
あからさまに動揺した様子の美稀であった。
と、ここでチャイムがまったりとした雰囲気を切り裂いた。
午後の眠たい授業が始まる。
しかし、総理は何故美稀があそこまでうろたえていたのか、全くもって理解できていなかった。