第31話 無数の顔
放課後の視聴覚室。
再び各グループに分かれての作業に移っていた。
今日は生徒会長の伊東の姿はなく、最初から松坂と他クラスの学級委員である山田大河の指揮だけだった。
昨日まで騒いでいた菅原の姿も今日はない。
比較的落ち着いた雰囲気で進んでいく時間。
総理と湯浅は作成したポスターのカラーコピーとラミネート作業に追われていた。
既に10部作成し、ラミネーターを起動させる。
「お前がまさかパソコン作業得意とはな」
総理は感心した。
どう見ても不良で不真面目そうな湯浅にも、パソコンでのポスター作成という意外な長所があったのはびっくりした。
「へへー私のパパがプログラマーなんですよーだから小さい頃からパソコンは結構いじってましたー」
湯浅は得意げに笑う。
あとはこの作成されたポスターを全てラミネート加工し、各校舎に貼り付けする。
掲示完了後は、ロスト・チャイルド現象もしくはそれに類似する生徒からの相談事を、解決まで導くことを念頭において活動する。
「あとは教頭に通達メールの送付依頼だな」
総理は静かにつぶやく。
「相談来ますかねえ」
湯浅もニコニコ笑顔で心配しているのかわからない様子である。
「まずは友達伝いからの口コミを狙うしかないだろう」
と、ここで総理の携帯に着信が入った。
和那の名前だった。
「もしもし」
総理が電話を取ると、和那は慌てた様子だった。
「あ、総理さん。今、お電話大丈夫でしょうか」
「ああ、玲奈の件か」
和那が珍しく食い気味に割って入る。
「いえ、違います。私の家に誰かがいるような気配がずっとしているんです」
「え?」
総理は険しい表情に変わる。
どうやら、誰もいないはずの部屋から足音がしたり、人影のようなものがスッと横切ったりする現象がここ最近ずっと続いているらしい。
これは何かロスト・チャイルド現象と関係があるのだろうか。
総理は電話を切って、湯浅を振り返る。
「早速初仕事だ」
「え、仕事ですか?」
湯浅はぽかんと口を開けている。
「ああ、ロスト・チャイルド現象に関係するのかわからないけど、家の中で怪奇現象が起きているらしい。俺の友達からだけどな」
「それならさっそく解決しに行きましょー」
湯浅はにっこりと微笑む。
夕刻の与野駅を降り立ち、和那の家へと歩を進める。
つい最近来たのだが、今は遠い昔のことのように思える。
湯浅は目の前の美麗な洋館を前にして、感嘆の声を上げている。
「え、すごーい。ヨーロッパみたーい」
湯浅は驚きのあまり息を呑んでいた。
無理もない。
女子高生が1人で住むにはあまりにも広すぎるし、100年前くらいの洋風の建物となればなかなかお目にかかることもない。
総理は門の前のブザーを押す。
すると、遥か奥の洋館の扉がガチャリと開き、続けて門がガシャンと音を立てて開かれた。
扉の奥から茶髪の長い髪を靡かせて、1人の少女が走り寄ってくる。和那だ。
「え、可愛いー」
湯浅は両手を口にあてて驚いた。
先程から湯浅は驚きっぱなしで興奮気味である。
あまり意気揚々とするタイプではないので、珍しい。
和那が安心したような笑顔を浮かべ、近づいてくる。
「総理さんお忙しいところありがとうございます。こちらの方は?」
和那がペコリとお辞儀して、湯浅を振り返る。
意外そうな表情を見せている和那。
関係性がわからない女性を連れてくるのは聞いていなかったため、和那も驚いた表情である。
「ああ、対策委員会の俺のパートナーの湯浅だ」
「湯浅裕子ですーよろしくお願いしまーす」
湯浅がヘラヘラとした調子で頭を下げる。
和那はというと真面目な表情でぺこぺこと頭を下げる。
どうも性格が対照的な2人であるらしい。
対策委員会の時間中で仕方ないとはいえ、あまり仲良くなれないタイプの2人かもしれない。
「それでは立ち話もなんですし、中にお願いします」
和那が館の中に招き入れる。
相変わらずの整然とした洋館内。
変わったことと言えば、玲奈用の私物と思われる物が増えたことだろうか。
靴が2人分になっていたり、和那の身長よりも一回りほど小さい洋服が洋服ラックに掛かっていたりした。
湯浅は見たことのない洋風の小物たちに目を奪われている様子だ。
普段はうるさいが、すっかり言葉を失って中腰で小物を見比べている。
「今日は学校休んだんだな」
和那に尋ねる。
和那はややくたびれた表情だったが、無理して笑顔を見せているようだ。
「ええ、玲奈ちゃんが高熱を出してしまったので看病していました」
「熱か」
と、ここで階段から足音が聞こえてきたので3人がビクッとする。
可愛らしいスリッパとともに寝間着姿で現れたのは、赤髪の可愛らしい少女だった。
寝汗でぐっしょりと濡れているのか。寝間着が妙に湿っているように見える。
「玲奈ちゃん」
和那が慌てて玲奈に駆け寄る。
玲奈は和那の両手の中に力なくうずもれる。
「……いる」
玲奈が激しい呼吸の中で、何事かつぶやいた。
「え」
和那が耳をそばだてる。
「誰か上に、いる」
玲奈のその言葉に、総理は眉間にしわを寄せた。
和那は驚愕の表情、湯浅はえっと口をポカンと開けている。
「ひとまず、玲奈も含めて話を聞くぞ」
総理はリビングルームにズカズカと入っていった。
キッチンを背に和那と玲奈。
それに相向かう形で総理と湯浅が腰かける。
和那がお茶の支度をしている間に、総理はぐったりとしている玲奈に尋ねる。
「上に誰かいるってどういうことなんだ?」
玲奈は呼吸を整えながら、ゆっくりと答える。
「足音が聞こえるの」
「足音?」
「屋根裏から足音が聞こえるの」
「何人だ?」
「たぶん、1人か2人」
腕組みをする総理。
確か、以前和那が言っていた気がしたが、自分でもこの洋館の構造を全て把握していない。
まだ何か隠された部屋でもあるというのか。
ちょうどお茶を4人分入れて運んできた和那にそのことを尋ねてみた。
「和那、お父さんにこの洋館の構造を知っているか聞いたことあるか?」
お茶をそれぞれの席に丁寧に置きながら、和那は宙を見つめる。
湯浅も軽くお辞儀してお茶を受け取る。
「いえ、お父様には聞いたことないです」
「今、聞けないか」
総理が和那を見つめる。
和那はうーんと少し考えた挙句、
「わかりました。今、確認してみます」
和那は自身の携帯電話を開いた。
耳に受話器を当てる。
一同、やや緊張した雰囲気を放つ。
長い時間の沈黙。
「あ、もしもし」
和那の声色がいつもよりも低い。
どうも和那は家族に対しては地声になるらしい。
普段からきゃぴきゃぴしているわけではないので落差はさほどないが。
「はい、お父様にうちの構造についてお聞きしたくて」
電話の先で、以前聞いた渋い声が響く。
総理、湯浅は耳をそばだてて聞き出そうと試みる。
玲奈はソファにもたれたまま、動かない。
「はい、屋根裏への行き方ですね」
一同、緊張感に包まれる。
「え」
和那は目を大きく見開いた。
総理も湯浅もいまひとつ聞き取れなかった。
「いえ、そんなはずはないですよね」
和那の声量がやや増える。
一体、どんな会話が繰り広げられているのか。
「わかりました。ありがとうございます」
事務的な声で、和那は携帯電話の電源を切った。
総理と湯浅はすぐに態勢を元に戻す。
「どうだった」
前のめりになりながら、総理は和那に尋ねる。
和那は俯いたまま、首を横に捻る。
「いえ、お父様がおっしゃるには屋根裏なんかない、と」
腑に落ちない様子の和那。
それはそうだろう。
2階の天井に屋根裏がなければそこから足音がすることなど有り得ないのだから。
「和那さん、これってもしかして」
湯浅が珍しく神妙な面持ちで言葉を紡ぐ。
総理はまさか湯浅に心当たりがあるとは思えなかったので、意外な顔を見せた。
「ハクビシンじゃないですかー。最近、都内にもだいぶ出るみたいですしー」
にっこりと満面の笑顔になる湯浅。
総理は溜息をこぼした。
やはりこいつはただのアホだった。
「お前は黙ってろ」
総理は湯浅の頭を軽く叩く。
湯浅は苦笑いを浮かべる。
「屋根裏がないって断言がよくわからないんだよな。お父さんが完全に知らないだけなのか」
総理は顎に手をやって考え込む。
和那も困惑した表情を浮かべる。
「ここはお父様が子供の頃に住んでいたので知らないことはないと思うんですが」
「ともかく、上を確認してくるか」
総理はスッとソファから立ち上がった。
和那、それに湯浅も続く。玲奈も立ち上がろうとしたところを、和那が制した。
「玲奈ちゃんはゆっくり休んでいてください」
玲奈はこくりと力なくうなずくと、目を瞑ってソファに再び寝転んだ。
それを確認してから、総理ら3人でリビングルームを出て、薄暗い階段をゆっくりと上がっていく。
和那が慌てて階段の電気をつけたようで、パッと黄色い照明が階段へと降り注ぐ。
湯浅はまだ目に入る小物や内装をしきりに見つめては感嘆の声を上げていた。
「すごーい」
ぼそりとこぼす湯浅。
構わずに総理が先陣を切って2階にのぼっていく。
すぐ後ろに和那。
そして大幅に遅れて湯浅が走って追いかけてくる。
相変わらず、2階にはだだっ広い廊下が左右両方向に伸びている。
シーンと静まり返る館内。
全ての扉がキッチリ綺麗に閉じられている。
「すごーい、ヨーロッパの旅館みたーい」
相変わらず湯浅が興奮気味に言う。
総理は、廊下の右端へと進み、そこから天井をじいっと睨みつけるようにして確認していく。
廊下の西端は壁ではなく、大きめの窓が施されていた。
窓からは赤紫色の空が覗く。
「おそらく、廊下には屋根裏に続く開封口はなさそうなんです」
和那がどこからか、伸ばし棒を運んできて、総理に手渡す。
総理は天井の端から端までを棒で叩いていく。
ゴンゴン。
一通り確認し終えたところで、総理は棒を下した。
「空間すら開いてなさそうだな」
総理は頭を捻る。
叩いた箇所全てから重い音が発せられ、とても空間が開いている気配がなかった。
「あとは各部屋ですね」
部屋数は以前も記載の通り、20部屋はある。
和那と玲奈が左端奥の2部屋のみを使用し、それ以外は全く使用していない部屋ということになる。
「そうだな、それだけは調べないと」
さすがに全員で全部屋を回るのは効率が悪いので、総理と湯浅が左端から、和那が右端から天井を叩いて調べることになった。
それぞれ移動し、各部屋を開けて総理は天井を棒でドコドコと叩いていく。
「すごい広い屋敷ですねー」
湯浅が感動の声を漏らす。
「ま、お嬢様だからなあ」
総理は天井を睨みつけながら答える。
「横山先輩」
湯浅が突然、真面目なトーンで呼びかける。
「何か見つけたのか?」
総理が振り返ると、湯浅がニッコリと煙草をふかす仕草を見せた。
「外で吸え、アホたれ」
溜息をこぼして再び総理は捜索に取り掛かる。
湯浅はそそくさと廊下へ出ていった。
どうも湯浅は集中力がないようだ。
相談員には程遠いんじゃなかろうか。
もやもやとした感情が心の中を支配する。
天井でおかしな部分は全くなかった。
と、ここで総理はあることに気が付いた。
「クローゼットか」
念のため、クローゼットの中も調べる必要はあるのかもしれない。
総理は目の前のクローゼットを力いっぱいに開け放った。
薄暗い中身は空っぽではなく、古めかしい洋服がホコリを被っていた。
全体としては、収納箇所だけで2畳くらいありそうな大きなクローゼットだ。
それに加えて人1人がゆうに中に入っていける隙間が存在する。
さらに、天井からはどこにスイッチがあるのかはわからないが、天井にレールのような穴が開いている、いわゆるレールライトが2列で計6個ある。
総理は軽く咳払いをして、その隙間を縫うように中に分け入っていく。
と、ここで違和感に気付いた。
奥の洋服が掛けられているパートにはホコリが一切付着していないのだ。
まるで、最近何者かに綺麗に拭き取られたかのような不自然さだった。
総理は付近の天井を棒でつついてみることにした。
コンコン。
先程の廊下の天井の音とは異なるのが明白だった。
まるで空箱をつついたような音。
総理は一度和那を呼びに廊下へと飛び出していった。
長い廊下を走り、和那と玲奈の部屋まで走った。
和那は玲奈の部屋を片付けていた。
「和那、見つけたかもしれないぞ」
和那は目を見開いた。
「ほ、本当ですか?」
「ああ、懐中電灯はあるか?」
「はい、持ってきます」
和那は自室に戻り、程なくして青い小型の懐中電灯を持ってきた。
2人で廊下を走りながら進む。
「どちらのお部屋ですか?」
和那は興味津々で尋ねる。
「一番奥の左の部屋のクローゼットの中だ」
「そこは」
和那が毒を飲み込んで青ざめたような表情を見せる。
「どうした?」
「そこは元々私のおばあさまの使っていたお部屋ですね」
総理と和那が目的のその部屋へ辿り着く。
クローゼットの中へと侵入し、音の違いを和那にも確認させる。
「廊下よりも音が軽いですね。まるで空っぽの何かを叩いているような」
「ああ、あとはどうすればここが開くのかなんだがな」
総理は洋服をどかしながら、開閉スイッチがないのか確認する。
和那も床の部分を探してみるが、見つからない。
カタン。
総理と和那がビクッと音の方角へ振り返る。
そこに立っていたのは、煙草を吸い終えた湯浅であった。
「あ、すみませんー」
湯浅は笑顔で頭をかく。
「お前か」
総理はまたしても溜息をこぼす。
再び3人での捜索にとりかかる。
「このレールライトって点かないのか?」
総理が懐中電灯で天井から垂れ下がるレールライトを照らす。
「これは確か」
和那がクローゼットの手前に戻り、壁をまさぐる。
スイッチがカチッと入れられたが、なかなか点かない。
「ブレーカーが切られてるのか」
と、ここで湯浅がレールライトを背伸びして動かしたその時、
ガタン。
突如、奥の開封口が音を立てて開かれた。
総理と和那は突然の事態にビクッと震えながら、下に伏せる。
「あ、開いたー」
湯浅がニコニコ笑顔ではしゃぐ。
「お前、どうやったんだ?」
総理が体勢を戻しながら、湯浅に尋ねる。
湯浅は舌をぺろりと出して説明する。
「いえ、このライトを端っこに移動させてみただけですよー」
開封口から一番近くにあるレールライトを指で示した。
確かに先程の中途半端な位置から、一番端まで移動させられていた。
意外と洞察力がある湯浅に驚いた。
「そういうことか、このレールの部分に開閉スイッチがあったのか」
総理は懐中電灯で示す。
「ここの列の洋服だけホコリがなくて不自然だったんだ」
総理は和那に脚立を運ばせる。
和那が程無くして脚立を運んでくると、総理は開封口の奥に手を伸ばした。
「総理さん気をつけてください」
和那が心配そうな声色で言う。
「大丈夫だ」
総理は確かめるようにして開封口を覗き込む。
懐中電灯を差し入れて、屋根との隙間となる部分を確認する。
「間違いない、ここは屋根裏だ」
そこは12畳くらいありそうな大きな空間であった。
真っ暗で何も見えないが、懐中電灯を照らして捜索していると、ふと無数の人の顔が一瞬、懐中電灯に照らしだされた。
「うわ」
総理は思わず、開封口から体をひっこめた。
心臓がすっかりビクついて体の中から飛び出しそうになった。
息を整えて深呼吸する。
「ど、どうしましたか?」
和那は不安の色を隠せずにいた。
「いや」
総理は再び懐中電灯で、先程の場所を照らし出した。
恐る恐る視線を向ける。
人の顔。
それはどうやら不気味な仮面が大量に積まれているだけのようだった。
しかし、何故ここにこのような仮面があるのだろうか?
「何か不気味な仮面みたいな物がいっぱいある」
「え」
和那が硬直した。
血の気が引いていくような感覚に襲われる。