第23話 同居
玲奈はキャバクラ嬢のシングルマザーの元で生まれた。
母親は19歳。
高校を卒業してすぐにナイト系の仕事を始め、得意客の子供を身籠ってしまった。
それが玲奈であった。
玲奈は生まれてしばらくは母親の母親、つまりは祖母の家で大切に育てられた。
しかし、母はまだ若い故に玲奈の育児を放棄し続けていた。
玲奈が小学校に上がった頃に祖母が急逝し、再び母の元へ戻ってきた。
それからが地獄の始まりだった。
ランドセルを背負い出した頃の玲奈に過酷な運命が待っていたのだ。
母は夜の仕事を続けていたが、家事等はいっさいやらず、食事すらまともに作らなかった。
それどころか夜は知らない男と遊びに出ることがほとんどだった。
たまに酔っ払って家に帰ってきたとしても、娘の玲奈に声を掛けるどころか、そのまま就寝。
大いびきで夕方まで寝続けることが殆どだった。
夕方になって玲奈が帰ってくると、既に客との同伴出勤などでいないことが殆どだった。
玲奈はそれでも1人で炊事をしたり、時には洗濯もしたりして懸命に生活していたものの、そんな生活は長くは続かなかった。
ある日の玲奈が中学生にあがった頃、母は新しいお父さんとして1人の強面の男を紹介してきた。
全身がタトゥー塗れで細身の色黒の男だった。
そう、先程警察署で玲奈の母親と受付で暴れていた男である。
玲奈にはその男に対して恐ろしさしかなかった。
それからだった。
その男は玲奈に事あるごとに暴力を振るってきた。
何が原因なのかはわからない。
ただ、ふとしたことで止めてくれとお願いしただけだったはずだ。
しかし、男は激高して玲奈の顔面に平手打ちをかました。
それからは玲奈を押し倒しての殴る蹴るの暴行。
暴行が終わってから玲奈は何が起きているのか理解できなかった。
そして、母はそれを見ても素知らぬ振りをして、声を掛けてくることさえなかった。
母親への不信感は次第に募っていった。
中学に上がってからの玲奈はいわゆる不良グループに属した。
夜から集まっては万引きや強盗、恐喝そしてたまにバイクを持っている人に同乗して暴走行為も行った。
警察に捕まって親に引き渡しされる際も、玲奈の母親だけが来ないということが多々あった。
そのたびに溜まりかねた刑事課の警察官がよくパトカーで自宅まで送ってくれていた。
自宅は深夜と言えど、留守。
もちろん、母と男は街に飲みに繰り出しているのだろうから当然だ。
自宅の鍵だけは玲奈も預かっていたので、家の中に入ることはできたが、ただただ寂しかった。
そのまま狭い居間に布団を敷いて、布団の中で涙を流す日々が続いた。
そんな生活を繰り返している中で、玲奈は熊田に出会った。
熊田は元々玲奈が関係していた暴走族のOBだったようで、時折遊びに来ていた。
普段は威張っている総長たちも熊田を見ると、懇切丁寧に対応していた。
2回目だったろうか、熊田から玲奈に声を掛けてきた。
初めて飲み屋に連れていかれ、関係を持った。
そして、それ以降は熊田と付き合うようになり、ファッションや髪形も全て熊田の好きなスタイルに変えた。
有力なOBの彼女ということで、玲奈の族内の評価は上がっていった。
玲奈はそれで天狗になってしまったようだ。
次第に族内の有力者と揉め出し、締め出しを食らった。
その日の晩、苛立ちを隠せずにいた玲奈はヤクザの男に絡まれてしまう。
その時に熊田が助けに来てくれたはいいが、これが正当防衛と認められず、熊田は傷害容疑で送検されてしまう。
しかも、その相手が悪かった。
何と母親の交際相手の属する組のヤクザだったとのことだ。
玲奈は当時まだ14歳に満たなかったため、家庭送致で済んだが、もちろんこの判断が逆にまずかった。
家ではその男と母親が血相を変えて待っていた。
そこから徹底的な暴行が始まった。
男と母親からの圧倒的な暴力。
殴る。蹴る。
頭やどてっ腹、どこもかしこも殴打された。
胃液を吐き出して、ただひたすら腫れていく体をかばうしかできなかった。
最後は絞り雑巾のごとく家からはたき出された。
それからは示談金を払い終えた熊田と合流し、武蔵大宮のヤクザ事務所を間借りした。
そして、現在に至っている。
「でも、その圭吾も、殺されたの」
警察署を出たところで、玲奈は階段に腰かけてそう語った。
総理と和那は玲奈の両肩に寄り添うようにして立っている。
想像のとおり、やはり2人は親戚でも何でもなかった。
それは和那が警察官に対して口から出まかせに言ったものであり、合法的に保護するための言い訳に過ぎなかったようだ。
玲奈は涙ながらに訴えていた。
「あの、ホタルイカに!」
総理と和那は絶句した。
心臓の鼓動だけが刻む時間。
総理も和那ももちろんその悪名を知っていた。
世間を震撼させている高校生連続殺人犯の怪人。
「もちろんそれは私たちが悪いんだけど、私たちは殺しはやらなかった。どんなことがあっても。あのくそ親やそのくそ男でさえも殺さなかった」
「……」
すっかり言葉を失くす総理と和那。
玲奈はなおも続ける。
「でももう吹っ切れた。私みたいなくそ人間は生きてる価値なんかないんだなって。圭吾がいなければ結局何もできない人間なんだし。今更やり直したところでろくな人生を歩んでいける気がしない。自信もない。私はこっそり死ぬよ」
玲奈は寂し気ににっこりと笑った。
「それはダメです」
和那がいつもより強い口調で言った。
玲奈はやや驚いているようだった。
「あなたは私からお金と大切なブレスレットを盗みました。被害者の私がそれは許しません」
和那が表情を殺したまま、冷たく言い放つ。
突如、玲奈がヘラヘラと笑いながら、手元のバッグをまさぐる。
「わかったよごめん、これ返すかっ」
バチン。
突如、玲奈の頬が激しく鳴った。
徐々に赤くなる玲奈の頬。
時が止まった。
どうやら和那が平手打ちをしたようだった。
総理はあまりにも想定していなかった事態に大口を開けて驚愕した。
「そういう問題じゃないです。返せば済むって問題じゃないです。あなたはしっかり罪を償っていかなければいけないんです。勿論、私だけじゃない。他にも迷惑を掛けた被害者の人や警察の方にも報いていかなければならないんです」
和那が珍しく語気を強めて言い放った。
総理はただじっと見守った。
これが玲奈にとって正しいかはわからないが、それでも何も言葉を掛けずに盗品を回収するよりは次に繋がるのかもしれない。
玲奈は両目から大粒の涙を流していた。
「じゃあどうすればいいの。私はこれからどうすれば」
玲奈は叫んだ。
「必死に生きていればそれでいいんです。そして、二度と同じ過ちはしないでください」
和那は再びゆったりとした口調に戻った。
玲奈は和那の胸元に飛び込んでひとしきり泣いた。
「玲奈ちゃんが一人前になるまで、そのお金とブレスレットは預けておきます。私が納得したら受け取ります。その時は私にそれを返してください」
「……はい」
玲奈は泣きじゃくりながらうなずいた。
「これからどうするんだ?」
和那の静かな洋館のリビング。総理の隣には和那、相向かいには玲奈がちょこんと腰かけて俯いている。
このまま玲奈を桶川の実家まで帰すのは忍びない。
まず間違いなくあの暴力男の暴行に巻き込まれることになるだろう。
「家にだけは帰りたくない」
玲奈がぼそりとつぶやく。
想像通りの回答であった。
「とは言ってもなあ」
総理は和那を振り返った。
「私の家をしばらくの隠れ蓑にしてくださってもいいですよ」
「え」
総理は息を漏らした。
正気か。総理はそう思った。
自分の財産の一部を盗難された相手を同じ空間に住ます?
総理にはわからなかった。
ただ、和那の「ほうっておけない」という言葉を思い出した。
玲奈もおそるおそる顔を上げる。
「玲奈ちゃんの話を聞いてみて、接してみて、やっぱり私の中では放っておけないという気持ちが一番強いです。根っからの悪い子ではないはずです。ただ、環境に恵まれなかっただけじゃないでしょうか。環境を変えてあげればいろいろと考え方も生き方も変わってくるんじゃないでしょうか」
確かに玲奈の話を聞いて思ったのは、あまりにも周囲の影響を受けやすい性格だということだ。
和那のような菩薩の元で生活すれば、それはそれで上品さと正しい生活は身につくかもしれない。
ただし、一度和那の金品を盗んだ人物だ。
そう簡単に同居を許していいものか。
総理は悩んだ。
「ただ、ここで生活してもらう以上は私の言うことは聞いてもらいます。その上で逃げ出していただいても結構ですし、その場合は警察に届け出を出させていただきます。私の見立てが的外れだったということだけですし、それはそれで構いません」
和那は本心からなのか、柔らかい笑顔で言った。
玲奈はというと、和那の様子を窺うばかりで一向に口を開かない。
「玲奈はどうなんだ?」
総理が玲奈に振ってみる。
「私は、もちろんそうさせてもらえるのならそれで。借りたものも返していかないとだし」
「不潔なお金の稼ぎ方はご遠慮したいんで結構です」
和那はすかさず笑顔で言った。
玲奈はビクッと震え出す。
意外なことだった。和那が主導権を握ってしまうとは。
もちろん、金品を盗んだ負い目もあるとは思うのだが、やはり経営者の娘ということもあってか、人を操縦するポテンシャルが和那にはあるのか。
「まあ、和那にまかせる」
「はい、ありがとうございます総理さん」
なんだか大丈夫な気もしてきた総理だった。
かくして2人の奇妙な同居生活が開始となった。
そして、この決断もまた今後の出会いと運命を大きく左右することになると、今は誰も知らない。
この日の夜、総理は自室にて、大聖と本日起きた出来事を全て電話で話していた。
「そんなことがねえ」
「ああ」
総理はベッドに寝間着姿で寝そべり、雑誌を見つめながら電話を片手に握っている。
「もし和那さんに何かあったら俺らでサポートすればいいんじゃねえか?その子の情報も握ってあるんだろう?」
「念のため、学生証をコピーさせてもらって住所とかも押さえた。まあ、和那はそこまでしなくて良いって言ってたけどな」
「はは、和那さんも男前だな」
大聖は盛大に笑う。
「経済力は問題ないんだろうし、あとは本人たちの問題だから俺もとやかく言わなかった。金持ちの
お嬢様は考えてることがよくわからんわ」
「そんな突っぱね方するなよ総理。お前冷てえ奴だな」
「俺は金品を盗んだ奴と同居なんてごめんだ」
「まあ、そんな発想は確かにないよな。でも、和那さんも広い洋館に1人暮らしなんだろ?寂しいからいいんじゃねえか?一番いいのは俺がその寂しさを埋めてやるこ」
「……」
総理は無言で電話を切った。
全くもって和那の発想には驚かされる。
これが不幸に転がらなければいいのだが。
総理は雑誌を閉じて仰向けに寝そべった。
乳白色の天井をじいっと見つめる。
そして、ホタルイカ。
一体この怪人は何を考え、行動しているのか。
この怪人がロスト・チャイルド現象に関わりがあるのは間違いないのだろう。
ただ、怪人とはいえ、殺人もしながら片手間に高校生を誘拐するなどできるのだろうか。
考えれば考えるだけ頭がこんぐらがる。
今日はもう寝よう。
総理は電気のスイッチを切り、そのまま布団の奥深くに潜り込んだ。
漆黒の闇は住宅街の森を静かに呑み込んでいった。