第20話 失踪者3人目
話を前日の放課後に戻す。
ここは職員室。
橋本は溜息をこぼしながら、パソコンに向かった。
夕刻迫る職員室には他に15名程度の職員がいたが、放課後で生徒の入れ替わり立ち替わりが多く、落ち着きがない。
その職員室につかつかと現れた落ち着きのある足音。
その女子生徒は和風美人でキリっとした顔立ちをして色白の肌を見せつける。
スラッと背は高く細身だ。橋本の前に歩み寄り、静かに立ち止まった。
橋本はパソコン画面から目を離し、その女子生徒を見つめる。
「あら?あなたは」
落ち着き払っていて不気味だった。
右手には可愛らしいキャラクターのボールペンとピンク色の手帳を手に持っていた。
橋本はそれを見て、普通の女子高生だと安心した。
女子生徒はやや低い凛とした声を放った。
「1年A組の井関聡美です」
「井関、さん」
橋本がやや宙を見上げ、ポンと手を叩いた。
担任の西谷には話をしていたが、直接井関とは話したことがなかった。
「今朝、西谷先生からお話があると伺いましたので」
井関は目力の強い視線を送る。
それは井関の意思の強さをありありと示していた。
背後にも1人、やんちゃそうな金の長い髪を腰まで伸ばしたニコニコ笑顔の女子生徒が立っていた。
井関の付き添いで来た湯浅裕子だった。
「ロスト・チャイルド現象のことで井関さんに聞きたいことがあるの。答えづらいことは答えなくていいからね」
橋本が真剣な眼差しでつぶやく。
「はい」
井関も強くうなずく。
湯浅も興味はあるようで、時折チラチラと井関の肩越しに橋本に視線を投げてくる。
「今でもお兄さんからおうちによく電話ってあるの?」
橋本の問いかけに、井関は少し怪訝な表情をした。
「いえ、そんなことは一度もないですけど」
「やっぱりそうなの」
橋本は顎に手を当てて考え込んだ。
やはり実際にロスト・チャイルド現象に襲われた者からの電話はないらしい。
そうすると一体何故和田は電話をよこすことができたのか。
もしくは、電話をよこした人物は和田ではない別の人物なのか。
「ただ、行方不明者になりすまして電話をしてくる不届き者はいますけどね」
井関が悲しみと怒りを同時に込めたような表情を浮かべた。
「え」
橋本が聞き返す。
「私の兄の場合はニュースで報道までされてしまったので、自宅を特定されて、兄のふりをして自宅に電話をしてくるふざけた人がいるんです。本人ではないんですけどね」
「そんなことがあるの」
「はい、暇な人がいるみたいです」
橋本はやや考え込んだが、ややあって口を開いた。
「そ、それじゃあその電話の主にお金を強請られたりしたことはある?うちのクラスの失踪した子がそういう電話を定期的に実家に掛けているらしいのよ」
「強請りですか?それは少なくとも、私が把握してる範囲ではないですね」
「そう、そうよね」
橋本は嫌な予感がした。和田は別の犯罪に巻き込まれている?
「橋本先生、それはおそらく別の犯罪だと思いますよ」
「私もそうかもしれないと思うわ」
「警察に相談された方がいいレベルだと思いますよ。ロスト・チャイルド現象の類似犯罪や二次被害は最近増えてきてしまっています。そういうことする方々ってどうせ高校生だしいいでしょ?っていう感じで、私たち高校生を甘く見ていると思うんです」
冷たく言い放つ井関。
橋本は言葉にならない威圧を受けているようだった。
「そ、そうよね。ありがとう」
「私の方からもその橋本先生のクラスで失踪した方にお聞きしてほしいことがあります」
井関が言う。
「もし私の兄とその方が同じロスト・チャイルド現象に巻き込まれているのであれば、その方から何か手掛かりを教えていただきたいのです。いつどこで失踪し、誰が目の前にいて何をされているのか。そうすれば私も気持ちが落ち着きますし、捜索もできます。本当のロスト・チャイルド現象の場合、警察は助けてくれません。私1人で兄まで辿り着きたいんです」
井関の真っすぐな瞳に、橋本は圧倒されそうであった。
この子は見た目の清楚な感じからは想像がつかないが、本当に意思の強い子だ。
「もちろんよ。私も井関さんに教えてほしいことが今後出てくるかもしれない。私も素行の悪い子だったとは言え、自分の生徒がこんな目に遭うのは心が痛い。協力してちょうだい」
「はいもちろんです」
井関はようやくにっこりと微笑んだ。
先程までの真面目で意思の強い表情からは想像できないくらい、くしゃりとした可愛らしい笑顔だ。
と、そこへ湯浅も風船ガムをくちゃくちゃさせながら2人の元へ歩み寄ってきた。
「何言ってんの聡美」
湯浅が井関の肩にポンと手を置いた。
「え?裕子?」
「私も協力するからさー1人じゃなくて2人でしょう」
湯浅は井関と比べると非常に緩い声色だった。
と、先程の井関のどことなく重苦しかった雰囲気はすっかりと無くなった。
目の前にいるのはただの2人の可愛らしい女子高生になった。
「裕子ありがとう」
橋本はそのやり取りを見ていて、とても微笑ましかった。
井関の真面目さと湯浅の緩さが程よく混ざることによって、とてつもない力を発揮するのではないかと感じられた。
「こらこら湯浅さん、職員室で堂々とガムを噛まないの」
橋本はにっこりと微笑んで指摘する。
と、そこまで慌てることなく包み紙を制服のポケットから取り出すと、口から軽く吐き出して包み込んだ。
「ともかくうちの失踪者のことに関しては絶対に他言しないこと。もちろん、私もあなたのお兄さんのことは他言しないわ」
「わかりました。橋本先生よろしくお願いします」
井関はすっと手を差し伸べた。
橋本も快くその手を握った。
ガッチリと握手が交わされた。
飯尾は困惑していた。
最近、家にいる際に誰かの視線を感じる。
そして、確実にそれは飯尾の体に近づいてきているようなのだ。
勘違いであってほしい。
もしかしたら、俺をボコボコにしたあの細身の色黒男と赤髪の少女なのか。
あれが本当にロスト・チャイルド現象の元凶なのだろうか。
ヤクザが絡んでいるのであれば、ターゲットの住所も特定しやすいんじゃなかろうか。
そうだとしたらまずい。
これ以上謹慎処分を鵜呑みにし、部屋にとどまっているのはまずいのではなかろうか。
ひっそりと寝静まっている飯尾家。
飯尾は3階建ての一戸建てに祖父母を含めた家族6人で住んでいるが、時刻は既に午前1時。
規則正しい生活を送って既に家族は全員すっかりと寝静まっていた。
飯尾は操作していた携帯電話を腰ポケットにしまい込んだ。
そして、尿意を催したため、トイレに向かうことにする。
ひっそりと静まり返った廊下を徘徊する。
トイレの電気を点けると、不気味なほどに白いライトが飯尾の巨体を照り付けた。
飯尾は便座に腰かけて用を足し始める。
楠田のいじめについては、全て和田の主導だということを強調していた。
ロスト・チャイルド現象に巻き込まれてしまった和田には申し訳ないが、もはや死人に口なしと言っても過言ではない状況だ。
和田の主導だということにしておけば、自分の罪は軽くなる。
おそらく、和田はどちらにしても停学か退学は免れなかっただろう。
この間は怒りにまかせて楠田を暴行してしまったが、それさえも楠田により誘拐された和田の敵討ちということを強調していた。
楠田がロスト・チャイルド現象に関わっているのであり、楠田の仲間により和田が誘拐されたのではないかと。
事実確認もされることだろうが、和田もおらず、細身の色黒男と赤髪の少女にも教師からアクセスはできないだろうし、楠田が知らないと言い張るだけでは証明しづらい。
自分は最低でも停学で済むようにしてみせる。
すまないなあ、和田に楠田。
ニヤニヤと不細工に笑いながら、トイレットペーパーをカラカラと引っ張り始めた。
「俺は退学するわけにいかないんでね」
思えばそういう人生だった。
飯尾が問題を起こしても、地元の有力者である飯尾の父が何とかもみ消してくれる。
今回も和田や楠田に罪をなすりつけることで、自分への罪を軽減する。
高校を卒業したら、とりあえずどこでもいい。
適当に大学に入り、適当に女や酒で遊び惚けて卒業し、大学卒業後も父親のコネで適当に一流企業に就職する。
飯尾の青写真はわりとしっかりしていた。
青写真ばかりは。人生楽勝である。
「ふふふ」
飯尾が用を足し終えて、トイレを出ようとした。その時、
「……」
何やらトイレの窓の向こうからかすかに人の話し声が聞こえてきた。
飯尾は怪訝そうにトイレの窓を開く。ここは2階だが、眼下にはちょっとした裏庭が広がっている。
祖父の趣味で盆栽や植木があるエリアだが、暗闇に浮かぶ植物たちの姿があるだけであった。
「何だよ驚かすな」
飯尾がバタンときつめに窓を閉め、トイレの電気を消したその瞬間。
「……」
再び人の話し声が漏れている。
飯尾はゾッとした。
そのまま自室に慌てて戻り、電気のスイッチを切ってベッドの布団の中に潜り込んだ。
心臓の鼓動がいつの間にか速まる。
もしかして、奴らが俺の住所を突き止めて脅しに来たのか?
不安と恐怖で息が荒くなる。
真っ暗闇の布団の中で時が経つのを待った。
ややあって、飯尾は掛け布団を押しのけた。
おそるおそるベッドから立ち上がり、再びトイレへと向かった。
トイレの電気を点けて、窓の取っ手に手を掛けた。再び鼓動が走り出す。
この下に奴等がいたら?
開けるかどうか迷った挙句、力いっぱい飯尾が窓をこじ開けた。
冷たい夜の外気が家の中に差し込んでくる。
謎の話し声は綺麗さっぱりなくなっていた。
飯尾は顔を窓の外へ出して裏庭の様子を探った。
しかし、別段変わったところは何も見られなかった。
すっかり寝静まった住宅街が広がっているだけだ。ふうっと溜息をこぼす飯尾。
「ビビらせやがって」
ぼそりとつぶやく飯尾。
しかし、次の瞬間であった。
ガシャガシャ。カタン。
今度は玄関のポストだろうか?何かが投函されたような音が響き渡った。
と、突如携帯電話が鳴った。
和田からの着信が入った。
「和田かよ!何だよびっくりさせやがって。どうした?」
「悪い。今、外にいるんだけど出てこれないか?追われてるんだ」
「マジか?ちょっと待っとけ」
和田は落ち着き払っている声だった。
どうやらロスト・チャイルド現象から逃げ出してきたのか?
しかし、何故自宅には帰らず、俺の家にわざわざ来たのか?
どちらにしても楠田に関する自分の身の潔白を主張するためにも、和田と口裏を合わせておく必要はあるだろう。
飯尾はニヤリと不敵に笑い、階段をドタバタと下りていった。
玄関の扉を開け、門のところに人影があった。背を向けて立ち尽くす和田の姿であった。
「おう、和田」
飯尾がサンダルを履いて外に飛び出した。
そして、目の前に立っている和田の背中に手をやった。
そいつが振り返ると、飯尾は驚愕の表情を浮かべ、口を大きく開けた。
次の瞬間、飯尾が黒い大きな布に全身を包まれた。
まるで何事もなかったかのように、静寂に満ちた空間を取り戻していた。