【2018年9月17日-03】
屋上から校舎内に戻っていく遥香の姿を、ただ見届けた蓮司。
一人残された蓮司の下へやってきた人物は、二人。
扉一枚隔てた先にずっといた、如月弥生。
そして、今までスマホモードへと変形しており、今屋上に人型形態で足を付けた、遥香のマジカリング・デバイスである、ベネットだ。
「二人とも、聞いていたのか」
「はい」
「……はい」
弥生は、珍しく動揺していた。
自分がこの街よりいなくなって経過した八年の間に、遥香へ訪れた絶望の事を知って。
そしてベネットも――本来の天真爛漫ぶりがまるで演技であるかのように、顔を伏せ、瞳に涙を浮かべ、唇を噛みしめていた。
「ベネット、君に聞きたい事がある」
蓮司は、つい我慢が出来なくなって、もう一本煙草を取り出して、震える手で摘まんで口に持っていき、百円ライターで火を灯して、肺まで煙を吸い込んだ後、吐き出した。
「詳細を、話せるか?」
ベネットは、押し黙ったままだ。しかし表情を僅かに笑みへ変え、そしてこくりと頷き、話始める。
二年前――彼女たちに起こった事を。
**
当時、水瀬遥香は中学三年生だった。
秋音中学校の三年三組に属し、学年成績は一位をキープし、誰よりも勉学に没入した。
教師も、友人も、彼女の事を才女と敬った。
けれど彼女は、そんな賛辞等を目的として勉学に励んでいたわけではない。
彼女には幼い頃からの夢があった。
素敵な大人になるという、小さな子供の、ささやかな夢。
漠然とした目標だが、しかし彼女は自らを愛し、育ててくれる両親を想い、そんな両親がなり得ている素敵な大人になる為、勉学に励んでいたのだ。
一度ベネットは、彼女に問うた事がある。
「どうして遥香さんはそんなに勉強するんですか? 面倒じゃないんですか?」と。
遥香は笑顔でこう答えた。
「どんな未来に自分を向けるにしたって、勉強は無駄にならないもん」と。
勉学とは、生きる為に必ず必要なモノではない。
しかし、知識や成績というのは自分がなり得る将来の可能性という選択肢を広げる為に存在すると、彼女は言う。
例えば警察官だって、弁護士だって、医者だって、必要な成績を保持し、然るべき進路を選択し、そうなる為の知識を身に着け、健全な肉体を有していれば、なる事が出来るのだ、と。
だから、彼女は毎日学校の閉校時間である夜六時まで教室内で勉強し、後に図書館で勉強し、直接塾へと通って、そして夜の九時過ぎから十時にかけて、帰宅する。
その日も同様だった。
既に住宅街では深夜と言っても差し支えない、夜の十時二十三分、遥香は駅前の塾を出て、家まで徒歩で帰っていた。
ベネットはスマホ形態で彼女の制服に入れられ、いつも彼女の身を守っていた。
彼女は人間へ危害を加える事は出来ない。
しかし、一人のお姉さんとして遥香の安全を見届ける義務があるのだと、いつもそう言って、彼女の制服に入っていた。
夜の十一時過ぎ。
遥香は、家のドアを開けた。
明かりは点いていなかった。玄関で「ただいまぁ」と声をあげるも、しかし夜だからこそ大声はあげない。玄関の明かりだけをまずは点け、靴を脱ぎ、今度はリビングへと向かう。
そこで、ドンと誰かにぶつかった。
最初は父か母かと思ったが、しかし夜目に慣れた彼女の瞳に映る姿は、見慣れぬ男の姿だった。
父と同い年程度の男性。しかし無精ひげを生やし、白髪交じりのボサボサとした不衛生にも見える頭髪が、歳不相応に若く見える父よりも、もっと年齢を感じさせる。
ハッキリと言ってしまえば、浮浪者と言ってもいいかもしれない。
「誰……?」と。
遥香は思わず声をあげてしまった。
男性はギョロリと睨むと、その腕を振り上げて、手に握る何かを、遥香へと下ろそうとする。
だが、そこでベネットは思わず姿を現した。
スマホ形態から人型形態へ変化し、その過程で男の身体を突き飛ばして、遥香と男性の距離を取る。
突然の出来事に何が起こったか理解できていない男性だったが、しかし長居は無用だと言わんばかりにフローリングを蹴り、ドタドタと玄関から飛び出していく。
遥香とベネットは、二分ほど放心していた。
何があったのか、理解できていなかったから。
膝を折っていた遥香の手を取り、ベネットはそこでソファにでも座らせようとするも――しかしそこで、それが悪手だと察し、彼女の身体を抱き寄せて、豊満な胸に顔をうずめさせ、視界を遮った。
「ベネット、どうしたの?」
「見ちゃダメです、遥香さん」
「ねぇ、何が、どうしたの、ベネット」
「お願いです、見ないでください。遥香さんだけは見ちゃダメです……っ」
ベネットの声に、遥香は思わず、彼女の身体を剥がし、近くにあったリビングの明かりを灯すスイッチを付ける。
光が差し込んだ瞬間。
その光景を、瞳に焼き付けた。
父は、ナイフのような物で右目から顔面を引き裂かれ、死んでいた。
母は、腹部と胸部に無数の刺し傷を残し、死んでいた。
ソファとフローリング、カーペットには生温かい血液が大量に流れていて、思わず遥香は、手に血を付けてしまう。
遥香は、魔法少女として戦った際に、幾度も死の危険を経験している。
だが、今こうして彼女が生きているように、死んだことはない。
大量に出血するような事態にも陥った事は無い。
だからこそ――人の死というモノを実感した事は、無かったのだが。
今、初めて知った。
遥香が誰よりも愛する家族の命を以て、人の死というモノを、知ったのだ。
ベネットが、彼女に思わず手を伸ばし、再び彼女の身体を抱きしめようとした、その時。
遥香は小さく「変身」と言葉にした。
ベネットの意思に反し、彼女の身体はスマホ形態へと変化を遂げ、遥香はベネットの画面を短くタップすると、放出される光と共に魔法少女――マジカル・カイスターとして姿を変貌させ、溢れる涙を拭う事なく、フローリングを蹴った。
庭へと続く窓ガラスを叩き割り、外へと躍り出たマジカル・カイスター。
強く地面を蹴りつけ、家の屋根へと足を付けた彼女が、一瞬だけ周りの景色を見渡した後、屋根の瓦から跳ぶと、その先には深夜の住宅街を走る男の姿が。
「見つけた」




