【2018年9月17日-01】
水瀬遥香は、この日学校を欠席しようとした。サボりと言っても間違いではない。
勿論、ベネットへの手前、家を出ない事は出来なかった。
何時も通り制服を着て、ベネットの作った朝食を食べ、そして家を出て、そのまま零峰学園へは向かわず、駅前に。
七月末程に爆発事故だかで倒壊した駅構内の修繕が終わり、現在駅は稼働を開始している。
休業をしていた駅構内ファーストフード店も営業しているので、アイスコーヒーを購入し、席に座る。
そんな遥香の二つ隣に座った一人の男性。遥香はムッと表情を歪めながら声をあげる。
「隣座りゃいいじゃん」
「いや、俺みたいなオッサンが女子高生の隣に座ってたら、援助交際とかに間違えられるし……」
「今の笹部さん、ただのストーカーだっつの」
「まぁ隠れるつもりも無かったんだけどね」
立ち上がり、遥香の隣に座り直した男――笹部蓮司に、遥香はため息を付きながらアイスコーヒーを飲む。
「一応、報告だけでもと思って」
「何が」
「弥生を零峰学園に編入させた。良かったら、話し相手にでもなってあげて欲しい」
「はぁ? 零峰学園って一応名門校なんだよ? あの子勉強できんの?」
「それがねぇ……あの子、小学校も真面目に行ってないだろう? だから雑学とか兵器とかの扱いには長けてるけど、勉強は全然。遥香ちゃんは、昔から勉強出来てたよね? よかったら、弥生にも勉強を教えてやってくれないかな?」
「何でアタシが」
「家庭教師代を出す事も検討しよう」
「そこは検討じゃなくて断言しなよ……」
アイスコーヒーを飲み干し、スグに立ち上がる。蓮司の言う通り、遥香も蓮司のようなオッサンと援助交際であると勘違いされる事は甚だ遺憾であるからだ。
「ま、気にだけは留めとくよ」
それだけを言い残して、零峰学園へと向かう。
元々行く気が無かった場所だが、しかし弥生が今どうしているのかが気になってしまっているのは事実である。
そして、紛いなりにも一緒に戦った戦友だった少女だ。仲良く勉強する事自体はやぶさかではない。
零峰学園の正門から入り、警備員に「遅刻デース」とだけ言って校舎内に入る。
既に一時限目は終盤に差し掛かっている。数学教師の「遅刻が出来る身分か水瀬」という説教を軽く聞き流しながら「以後気を付けまーす」とだけ言って席に着いた遥香は、これまでに見慣れていない、教室の隅にいる少女へ目をやり――ギョッと驚いた。
それは、少女がいる事に対してではない。
彼女――如月弥生の頭には包帯を巻かれていて、目に見える範囲の身体には、無数の切り傷を付けていたのだ。
「ああ、水瀬。一応紹介だけはしておくぞ。彼女は今日転入してきた」
「如月弥生ちゃん、でしょ」
「なんだ、誰かから聞いていたのか。仲良くせず、お前のような人間にするなよ。学力はともかくな」
教師とは思えぬ言葉を吐く男の目は見ず、弥生の事だけを見つめる。
昔から弥生は、マジカル・リチャードとして戦う時も、自身の安全確保や状況判断に優れた少女だった。
そんな彼女が、目に見える範囲で負傷するとは、なんて事を考えていたら、授業終了のチャイムが鳴る。
形だけの挨拶をして、教師が教室から出て行った事を確認した上で、遥香は弥生へと向かい、彼女と視線を合わせた。
「えっと、三日ぶり?」
「……そうね。十四日に会っているのだから、三日ぶりという事になるのかしら」
クラスメイトは、一時限目が終了すると同時に弥生へと話しかけようとするも、しかし問題児である遥香が声をかけた事により行動できずにいる。
しかし弥生にとっても、遥香にとっても、その方が好ましい。
「学校内、案内するよ」
「ありがとう」
遥香がそう買って出ると、弥生も頷いて、一緒に教室を出ていく光景を、クラスメイトはただ見据えているだけだ。
「小学校の時とは大違いね。あの時は質問攻めを食らったのだけれど」
「懐かしいね。教科書で机叩いて、話しかけんな、だっけ」
「あの時は貴女が、クラス内で問題児となった私をたしなめた。けれど、今は貴女が問題児のようね」
「良く知ってんじゃん。調べたの?」
「ホームルームの時に、水瀬遥香っていう不良女子には気を付けろと、担任から言われたわ」
「弥生ちゃんも不良になるからって? そりゃ無理だ。弥生ちゃんみたいな堅物、アタシの手に負える子じゃないっての」
「貴女も本来は、相当の堅物だった筈なのにね」
遥香は校舎の案内などしていない。ただ世間話をしているだけだ。
そして弥生も、既に校舎内の構造等は頭に叩き込んでいる。教えてもらう必要が無いので、遥香と校舎内の散歩をしているだけである。
「屋上で話せる?」
「話せる事なら」
遥香の短い問いに、弥生も短く答える。
階段で屋上まで上がり、外へと繋がるドアを開け、二人しかいない事を確認して、施錠をする。
「その傷、レックスにやられたん?」
「貴女には関係ない。戦わないと決めた貴女には」
「……あっそ、なら別にいいよ。アタシにゃ関係ない事だし」
「ええ。逃げた貴女には、関係ない事だもの」
遥香の言葉と同等の意味を含んだ言葉を吐く弥生の言葉に、しかし遥香はムッと表情をしかめて「違う」と否定した。
「アタシは逃げてない。戦うのを辞めただけ」
「同じ事。貴女は昔言っていた。誰かを守れる力があるのなら、それを使いたいって。貴女の元に、まだベネットはある。けれどその力を使わない貴女は、ただ逃げているだけ」
弥生の物言いに。
ベネットの事を「ある」と、物であるかのように言った彼女の言葉を聞いて――遥香は俯きながら拳を握り、ブンと振ると、屋上扉に当たり、ガゴンと鈍い音を鳴らした。
「……うるさい、うるさいうるさいッ!! アンタなんかに何がわかんの!? アタシに、ベネットに、何があったかなんて知らないくせにッ!」
叫び散らした遥香の奇声に、弥生は目を閉じながら、首を振る。
「以前、私は貴女に『変わった』と言った。けど訂正する。貴女は何も変わっていない。……子供の頃からそうだった、考えなしの貴女」
「――ッ!」
やよいの胸倉を掴み、言葉を探る遥香。しかし、次第に冷静となった頭で考え、ゆっくり、その手を放す。
息を吐き、今浮かべる事が出来る精一杯の笑顔を、彼女へ向ける。
――その表情が、痛々しさを含んでいると、遥香自身が気付かないまま。
「……そうだよ。そんな考え無しなガキとさ、一緒に戦えないっしょ?」
「遥香」
「弥生ちゃんの言う通り。アタシはあの時から、何も変わってない。成長もしてなければ、する必要も無いってさえ思ってる。
だから弥生ちゃん。アタシの代わりに、全部やってよ。
――アタシの思い出を綺麗なままさぁ、アタシに日常を返してよ」
弥生は、ようやく感情らしい感情を見せた。
泣き出しそうな表情で、俯きながらも、コクンと小さく、頷いたのだ。
「……そうね。大丈夫。貴女の日常は、私が守る」




