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あの日、水平線に消えた夏。  作者: 割瀬旗惰
二章 壁と爆破実験
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第十話


 宇津野くんはもうやる気をなくしてしまったのか、みんなを集めることはなくなった。そもそも本当に原因を解明して海を取り戻すなんて考えは、最初からなかったのかもしれない。あくまでもSF小説のようなことが起こって舞い上がっていたのかも。小説の主人公になって世界を変えられると。


 空木はどうなんだろう。祠での真剣な眼差しを思い出す。あの時はああいってくれたけど、本当にどうにかできると思っているんだろうか。

 心配していた規制強化についても、あまり進んでいる様子はなかった。相変わらず海だった部分への立ち入りは厳しくて、一日中警備がいるけど、海から離れた場所の住人は徐々に平穏を取り戻していた。みんなこの状況に慣れてきている。

 私もこのまま海が戻らないんだと自然と思い始めて、夏休みが明けた後の学校がどうなるのか気になっていた。


 電車に乗って二駅先に行く。そこの駅前にある本屋に入ると、ファッション誌を買った。あの日、ショッピングモールで見てからずっと胸に何かがつっかえている。それが何かは分からないけど、少なくともあの世界への拒絶はなくなっていた。

 最寄り駅まで戻ると、反対のホームに吾妻さんがいた。これから帰るようで改札に向かっている。同じタイミングで改札を出ると吾妻さんに話しかけた。

「吾妻さんも今帰り?」

「うん。ちょっと海を調べに行ってた」

「え? 吾妻さんまだ続けてたんだ。あれから連絡ないし、みんなもうやめちゃったのかの思ってた」

「ん~、宇津野くんは少し飽きてるかもね。でもアタシはそもそも何か解決するつもりで始めたわけじゃないから。ただ興味があったから調べる。それだけ」

「へぇ~、それでどこに行ってたの? また北の方にある壁?」

「いや、今回は南の方に行ってみたの」

「そうなんだ。なにか面白い発見はあった?」

 吾妻さんはそれには答えないで足を止めた。

「ねぇ西堂さん。もしよかったらこれから家に来ない?」

 伏し目がちに私の答えを待っている。おでこには髪がペタッとくっついていた。

「うん。とくに用事もないからいいよ」

「ほんと? じゃあ行こ」


 吾妻さんの部屋は前回来た時と同じでブルーに統一された、女の子っぽさのない部屋だ。吾妻さんはエアコンをつけて、飲み物を持ってくると部屋を出ていった。てきとうに座っててと言われて、私はベッドの端に座った。

 部屋ではエアコンが猛然と冷気を送り出す。汗が引いてきて服がヒンヤリと肌に触れる。

 吾妻さんが麦茶の入ったコップを持って、部屋に入ってきた。二つのコップをローテーブルに置いて、ベッドと向き合うようにデスクチェアに座る。

「わざわざ来てくれてありがとう」

「ううん。全然大丈夫。それよりなにかわかったの?」

「実はね」

 コップの麦茶をゴクッと半分ほど飲んでから、フーッと息を吐いて続けた。


「実は、アタシ今日以外にも何回か南の街に行ったの。そこで海水の流れを見てたの。ここら辺は北から南に流れてるでしょ」

「そうなの? 私、全然知らなかった」

「それでね、最初に北の街に行った時にみんなで壁を見てたでしょ。そしたら沖の方で小さな青い何かが浮いてたの。壁の所ギリギリの海にね。それで、アタシそれが気になって見てたの。五分くらい経ったころだったかな、その何かがだんだん小さくなったの。見間違えかと思ってよーく見てみたら、どんどん小さくなって最後には消えたの」

 私がすぐに飽きてしまって空を見ていたあの時にも、吾妻さんは我慢強く観察してたんだなと思った。

「なんで消えたのかって考えてたんだけど、ずっと壁を見てたら波の動きがおかしいって気づいたの。もし見えない壁が本当にあるなら壁にぶつかった海水が戻っていくはずでしょ? でもそれがなくてまるで吸い込まれるように消えていったの」

 吾妻さんは徐々に前のめりになっていく姿勢を正して、コップに残っていた麦茶を一気に飲み干した。

「それで思ったの。あそこに壁なんてないんじゃないかって。ただあの内側に入った海水が全部見えなくなってるだけじゃないかって」

「え? それはおかしくない? だって海のあった場所に、調査の人がいっぱい入っていくの見たことあるよ? もし中に入ると見えなくなるなら、あの人たちも消えて見えなくなるんじゃないの?」

「でも、南の街からずっと見てたら、今日その青い何かが壁から出てくるのが見えたの。ただ、西堂さんの言うようにおかしな部分もある」

 そこで吾妻さんが口をつぐむ。


 奇妙な無言が続いて、やっと吾妻さんが口を開いた。

「アタシは宇津野くんみたいな夢想家じゃないけど、もし特定の条件であの壁の内側に入った物だけが、どこか別次元に流れていくとしたら。全部説明がつくかもしれないって思うの」

 吾妻さんはそこまで言うと「ううん、やっぱり違うな。忘れて」と言って立ち上がった。すっかり薄暗くなってきた空を見てからカーテンを閉める。そして部屋の電気をつけると、さっきまで座っていたデスクチェアには座らずベッドの端に、私の横に座ってきた。


「今度はアタシに質問させて。アタシ西堂さんに聞きたいことがあるの」

「なに? 私が答えられることならなんでも聞いて」

「……雑誌の撮影ってどんな感じなの?」

 思いがけない質問で驚いた。

「絶対誰にも言わないでね!」

 思いっきり顔を近づけてそう言ってくる吾妻さんの頬は、少し紅潮していた。

「アタシ、結構ファッション誌とか興味あるの。もちろん自分があんな派手で可愛いカッコしたいわけじゃないよ。見るのが好きなの。あとカメラも興味あってね。いつか自分でもああいうの撮ってみたいなって」

 もじもじと手を動かしながら喋る吾妻さんは可愛い。私は初めて見る吾妻さんの女の子らしい仕草に、ちょっと嬉しくなった。きっとクラスの誰も見たことないだろう。

「ん~、撮影は楽しいよ。結構時間に追われてるけどね。でもその分やりがいもある」

 そう言って笑うと吾妻さんも笑い返してくれた。

「吾妻さんがカメラに興味あるなんて知らなかったなぁ~。ねぇ、今度私のこと撮ってよ。ショッピングモールで飛び切り可愛い服見つけてくるからさ」

「いやいやいや、カメラはまだ全然勉強中だから、モデルやってた人を撮るなんて無理無理」

「べつにそんなの気にしなくていいよ。上手くなくてもいいから吾妻さんに撮ってほしいな。だめ?」

「だめではないけど……。本当に下手だよアタシ」

「うん、私だってちゃんとした撮影は数回しかないし、全然下手だよモデル」

 その後も、私がさっき買ったファッション誌を一緒に見ながら、この写真は良く撮れているだとか、これは微妙だとか語り合った。

 とても幸せな時間だった。初めてお小遣いをはたいて大好きな物を買いに行く時のような、純度の高い好きという気持ち。いつの間にか失くしていた感情に触れて、ファッションが好きでたまらなかった頃を思い出す。

 私はまた取り戻せるだろうか。



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