悪魔のささやき
さてどうしたものか。
少しでも動けば周囲の連中は、一斉に動き出すのは間違いない。
いくら俺でもこの人数相手に、力押しできる自信は無い。
「う……月雲か……どうなった?」
おはよう清十郎。お前はいつもタイミングのいい奴だよ。
その清十郎も周囲を取り囲む鬼祓師達を見て状況を悟ったのだろう。
緊張をにじませたのが見なくても解る。
「若宮、巫条、お前達はどうする気だ? 知っての通り飛輪は対霊的事件に対しては法的優先権利を持っている。遠間はこれまでの功績と何より父上のこともあり、極刑は免れるだろうが二度と術を行使できなくされるだろう。そして主犯は遠間だとわかっている」
通訳すると今投降して謝れば、お前達の罪は問わない、ということだ。
そりゃあ俺だって相談をする際に、このことで悩まなかったわけじゃあないさ。
「何が法的権利よ! さっき八代が言ったでしょ? 自分たちが助かるために女の子を差し出すような軟弱者達に許しを請うなんてこっちから願い下げよ!」
「そんなことで考えを改めるような軽い気持ちで行動したわけではない。それを阻むというのならとことんやらしてもらう」
ああ、お前たちはそういう奴らだよ。
俺が言うのもなんだが、おまえらも相当バカだわ。
臨戦対戦を取った二人に、周囲はさらに緊張が高まるのがわかる。
それを制したのは小角だった。
「ならば黄泉坂、お前はどうだ?」
壊れた眼鏡を取ろうともせず、その視線を俺の背後に、月雲の隣へと向けた。
「お前とて自分一人が助かるために他の大多数が犠牲になるのは納得いくまい。そしてその話を一度は受け入れたはずだ。心変わりに理由として、そうだな。確かに遠間の言うとおり我々は自分たちと他の人間が助かるためにお前を犠牲にしようとしている、犯罪者かも知れない。もしお前が許せないというのなら俺はその罪で死刑でもなんでも甘んじて受けよう。だがもう一度言うぞ。お前が一人犠牲になれば他のすべての人間を救うことが出来る」
「てめえ! 今更……」
「俺は黄泉坂に訊いている」
同時に周囲の殺気が俺へと集中する。
俺が何か喋ればすぐさま攻撃するってわけかい。
小角はゆっくりと歩いて俺の横を通り抜け、深夜の前に立つ。
俺の視線など気にするそぶりも見せずにな。
「ここでお前がどう応えようが我々の行動は変わらない。だがもう一度訊くぞ。お前が生贄になればお前は助からん。だがお前の命をもって何の被害もなく悪魔を現界から追放することが出来る。お前は英雄になれる。それにこのままだとお前の為にこうして我々に逆らった遠間達は処分される」
「八代が……?」
「そうだ。お前のためにこうして反逆まで行った遠間がな。黄泉坂とてそれを望んでいるわけではないだろう? お前が自発的に生贄を引き受けてくれるなら飛輪としても今夜のことはなかったことにする。凶日まで拘束は免れないがそれが終われば自由を約束する。疑うなら術で契約をしてもいい」
それは脅しだ。
悪魔の契約だ。
どうせ無理矢理犠牲にするのだから、自分の意思でしろ。
そうすれば他の人間は助けるって持ちかけ、選択の余地を無くさせている。
「八代を、助ける……」
深夜は熱にうなされたような眼で俺の方をみる。
声をかけたいが声を上げようものなら容赦なく術が俺を襲う。
今は無茶する場面じゃあ……いや、だが。
深夜は俺に視線を向けたまま「……しろ……」と小さく口を動かした。
「どうした? 聞こえないぞ?」
小角が尋ね、今度はその目を小角へと移した。
「嫌だってんだ。八代は生きていていいって言ったんだ。だから生きる。他の人間がどうなるかなんて知るか。死ぬってならおまえら全員勝手に死ね!」
整った顔にはっきりとした意思を浮かべて拒絶する。
他の誰でもない、あいつ自身の断固とした意思。
この拒絶はわずかなりとも周囲の鬼祓師達の動揺を生んだ。
一動作を行える程度の油断を。
俺は術を唱えて一気に飛びかかる。
小角を狙うと思ったのだろう。
周囲の鬼祓師達から援護の術が飛んで来た、が元々小角なんか眼中にねえ。
攻撃の軌道をそらす術を発動させると小角の眼前にいた深夜の手を掴み、我ながら器用に空中で身体を反転させると、深夜を抱き寄せる形で小角から離れて着地する。
もちろん手には霊符を数枚とりだしていた。
俺が飛び上がるのとほぼ同時に、二人も動いていた。
月雲は眷属を召喚し、祓い棒を手にする。
清十郎は手元から離れていた錫杖を手に寄せ、それを構えた。
「女の子がいやがっているのに無理矢理何をする気? セクハラ教師」
「生きたい人間がいて、それを守る。これほど解りやすい正義はあるまい」
俺達の間に身体を割り込ませながら啖呵をきる。
「後は任せなよ」
「あ、ああ」
笑いかけると、突然現れた二匹のオオカミに警戒心を抱くマヤを宥めながら素直に頷いた。
戦力差は圧倒的。
そしてこれに勝ったところで終わりではなく追っ手がかかる。
そのうえ三週間も後には悪魔の大侵攻が始まるというなんともいえぬ絶望的なこの状況で、俺たち三人はふてぶてしく笑った。
俺たちだって譲れないんだよ。
口の悪くて素直じゃないこと筆舌に事欠かないお姫様だが、お前等に生贄にされるわけにはいかないんでね。
再び対峙し、じりじりとにじり寄る。
「やむを得ん、力尽くで押さえる。同胞だが手加減して押さえきれる相手ではない。殺す気でかかるぞ。ただし対象は絶対に殺すな」
小角の命で周囲の鬼祓師達が一斉に動き出した。
最初に動き封じに来たのだろう。
突然重力が増加したように身体が重くなる。
俺たちが逃げ回れないよう、周囲に対人結界が張られ、式神や眷属達が次々に召喚されていく。
胸元に力が込められた。
深夜が俺の襟をそっと握ったのだ。
まっすぐに俺を見る顔に不安が見えるが、眼からは信頼が読み取れる。
ああ、大丈夫だ。確かに相手は大多数だが俺たちは別に同胞達を倒すつもりはない。
四人揃ってここを脱出すればいい。向こうもそれが解っているから動きを封じに来たんだろうが。
都合良くおおきなトラブルでもあってくれないものかね?
「大きなトラブル……?」
深夜が俺の襟を握ったまま、考え込むように言葉を吐く。
おっと口に出ちまったか。
そんな初めから強運頼みでは陰陽師失格だ。
奴らが動き出したときに、一点を集中突破で抜ける。
その隙はどこになるのか印術を唱えなつつ神経を尖らせる。
「え? 何あれ!」
その隙はこちらから出来た。
月雲が戦闘を忘れたかのように、開け放たれた扉から外を指さして叫んだのだ。取り囲まれても表情を変えなかった白い顔が青くなっていて、明らかに狼狽しているようだった。
だがあちらさんはそれを好機、として襲いかかって来なかった。
むしろ月雲が指さした方を振り返り、そして動揺が広がっている。
その隙に動くなんてできない。
なにせ俺も清十郎も二人とも固まっていたからだ。
まだ夜だってのに夕焼けのように赤い光が照らしている。
「ま、まさか!」
ドアを背にしていた小角が血相を変えて振り返ると、扉から飛び出していく。
何人かがこちらを見ながらもそれに続き、俺たちも少し遅れて続いた。
そして見た。
夜空に赤いオーロラが輝いているのを。
オーロラはもっと神秘的で綺麗なものだが、これは禍々しく、そして人の本能的な恐怖を呼び覚ますようだ。現に寒気が全身を覆っている。
「馬鹿な、そんな筈は……まだ三週間は余裕があったはずだ……」
茫然自失の小角の説明を聞くまでもねえ。
そう。
ワルプルギスの夜が訪れた瞬間だった。