雁谷静乃
「正論だな。残る人間が自分に言い訳するには充分過ぎるほどのな」
「……遠間、お前の気持ちはわかる。悪魔に狙われて今度は生贄だ。お前は仕事に対する責任感も強いし、護衛についた黄泉坂に情が湧くのも仕方がない。だが、ワルプルギスの夜がやってきて被害が出たら後悔するのはお前だ。お前達だぞ、遠間、巫条。一時の感情に流されずに冷静に考えてみろ。黄泉坂もだ」
「よおく考えての今夜の行動だよ。動物だって自分の仲間を助けるために行動するだろうが。その他の事をいちいち考えるか? だいたい俺は八年前に後悔し尽くしたんだよ。同じ事を二度と起こさせるか」
「静乃のことか」
「そうだよ……ん?」
こいつ静乃を名前で呼んだな。
俺たちでも普段は名字呼びなのに。
そういや今まで考えなかったが、こいつ学校にいつからいるんだ?
もし八年前もすでにうちの学校の教師だってんなら、生徒だった静乃のことも直接知っていたことになるが……。
「おい、もしかして静乃に能力の事を教えたのはお前か?」
「……女王蜂の方はそうだ。彼女は俺の生徒だった」
なるほど。
学校と家しか行き来しない静乃が能力の事を知ったのはそれでか。
それを聞きつけた飛輪の誰かが静乃をそそのかしたってことか。
「お前八年前はそれで納得したのかよ! 自分の教え子だったんだろ?」
「納得するわけないだろう。俺は納得しなかった!」
今まで見たことがないぐらい感情のこもった声だ。
そういやいつの間にか自分を俺っていってやがる。
「俺は彼女を犠牲にしたくなかった。お前の言うとおりだ。他の何万人が亡くなろうが知ったことではなかった。ただ彼女には、静乃には生きていて欲しかった」
小角は俺たちを見回す。
そして自嘲気味に笑うと、口を開いた。
「……俺は静乃を愛していた」
マジでか?
いや、そうだったかも知れない。
静乃が悪魔をおびき寄せるの女王蜂の能力を持っていたなら、だれかが護衛である必要がある。
親父もじいさんもいそがしかったし、おそらく護衛は小角だったのだろう。
覚えていないがその時顔も見たかもしれない。
彼女は誰にでも好かれるような人だった。
当時は歳も近かった小角なら、そんな感情をもっていてもおかしくない。
「俺は彼女にそんなことを辞めてくれるように頼んだ。頼み込んだ! だけど止められなかった。自分の命より世界が、自分を好きだと言った俺や、好きな子供達、つまりお前達が笑って暮らせる日々の方が大切だと!」
それは慟哭だった。
こいつがどれだけあの日に悲しんだのか、今なお後悔しているのがひしひしと伝わる。
それは月雲もそうだろう。
横目で見るとなんともいえない表情を浮かべていた。
「後悔したかだと! お前達に静乃の何がわかると言うんだ! 俺は何度も後悔した。だがそれで彼女が帰ってくる訳ではない。だったら彼女が死んだ意味をせめて守ろうと誓った! 彼女が愛した世界を守り切るのだと! それが彼女の望みだからだ! そのためには俺はなんだってやるとな!」
どことなく無感情で冷静な奴だと思っていたが……ここまで強い感情を秘めていたとは。
当時子供だった俺たちとは違い、小角はもう自分の力を持っている大人だった。
淡いあこがれ程度の俺とは比べものにならないほどの後悔だったのだろう。
「……そうだな。あんたには静乃に関してそれを言う権利はある。俺等がどうこういえる立場じゃあ無い。それは認める」
静乃を失った時の喪失感はあんたの方が遙かに重かっただろうさ。
けどよ。
「だがシンヤに対してあんたには何の権利がある? どうして生贄になれと強要できる?」
「それはお前もだ。彼女が自ら生贄になると答えて、それを止める権利がお前にあるとでも」
「あるね」
「……なんだと?」
「俺はマヤの友達なんだぜ。そしてマヤが飼い主を助けて欲しいと頼んできた。だったら俺には助ける義務も権利もある」
「……馬鹿な事を」
「知らないのか? 猫ってしゃべるんだぜ」
それに答えるように「なお」と返事した。
さすがだね。飼い主より物わかりいいよ、お前は。
……保健所の件は本気じゃないからな? 本当だからな。
「……いいだろう、遠間。その猫がお前に頼んだとして静乃の願いをどうする気だ? 彼女はお前達が生きて無事に過ごしてくれることを願っていた。お前達だけじゃあない。俺や俺たち飛輪の関係者全員だ。それに日本の多くの人々全て。その頼みはどうするというのだ」
「知るか」
即断するとこいつこんなに面白い顔が出来たのか、てぐらい呆気に取られた表情を浮かべた。
「静乃にはお世話になったし、尊敬していた。死んだときに何か出来なかったか俺も後悔している。だがよ。俺やあんた、多くの人間に後悔させて、悲しませて勝手に死んでいった人間の頼みなんか知った事かよ。そんなに頼みたければ生きて頼めば良かったんだ」
「そうだよ!」
じっと俺たちのやりとりを聞いていた月雲が賛同する。
「わたし達だってお姉ちゃんが亡くなったときどれだけ泣いたか。どれだけ周囲の人が悲しんだか。それだけでもずるいのに生きている人の事を縛り続けるなんてあんまりだ。わたし達は生きている。だから生きている大切な人の事を一番に考えて生きていく。わたしは死ぬ前の最後の願いとか絶対言わない。生きて、悩んで、相談して、失敗して、立ち直って。そうやって生きていく」
「そういうこった。死んだ静乃と生きた友達たるマヤの願い。どっちが重たいかなんて比べるわけもないぜ。それに俺だってこいつを生贄にするのはごめんだ」
「……若い。若さという奴だ、お前達のな」
「それに俺はもう一つ、気にくわないことがあるんだよ」
小角は何も言わずに歯ぎしりするようににらみつけてくる。
「お前達はワルプルギスの夜にこだわっているが、別にそんなもの来なくても自然災害はある。それで死ぬ人間だっている。昔の人間は台風ですら人柱を立てたというが、そんな馬鹿な話、今だと信じられないだろ? それを二十一世紀の文明国の人間がやろうとしているんだぜ?」
「普通の自然災害とは違う。この災厄は生贄で止まる」
「それだ!」
大げさに指を小角の野郎に突きつけた。
「ワルプルギスの夜は自然災害じゃあない。悪魔による侵略だ。つまりは人が死ぬのも、天変地異が起こるのも悪魔が原因だ。わかるか? 悪魔のせいなんだよ。誰かに責を取らせるとしたら悪魔を放置して滅ぼせなかった俺たち飛輪や前任達の咎だ。それを生贄を立てなければ多くの人間が死ぬ? 被害者を無理矢理犠牲者にして言い逃れしているだけじゃねえか」
「違う……」
「違うもんか。お前達のやっていることは何百人もの人を殺した殺人鬼が『気分がいいから誰か一人を殺したら見逃してやる』という強要を飲んでいるだけだ。それで選ばれた人間が断ったら『お前のせいで多くの人間が死んだ』だろ? 悪いのは殺人鬼なのに罪は被害者。それと何が違うっていうんだ」
「違う!」
「そうだよ。八年前も悪魔って殺人鬼が周囲の人間を殺しまくった。次は自分かも知れねえ。それで悪魔が静乃を指差した。『こいつを殺させてくれたら今回は殺すのを辞める』。それで静乃を差し出したんだ。ただそれだけだよ。それでまた気分が変わって殺しを続けようとするからその前に機嫌をとろうってわけだ。それをいつまで続けていく気だ? 静乃の為? 違うだろう。結局自分たちがかわいいだけなのを言い訳しているだけだ。本当に愛していて後悔したなら、同じことを強要できるわけねえもんな」
「黙れ!」
小角の前にいた二体の式神が同時に動き出す。
憎しみにも似た表情を俺に向けていた。
かつておれんちで何度も見た牛頭と馬頭。
仮面の下の表情は、顔を見知った俺に対して何らかの感情があっても見えはしない。
だが、容赦なく俺をねらっているのは肌で感じる。
叫ぶ深夜を月雲の方に突き飛ばし、俺は迎撃態勢をとった。
二体の式神が俺に向かってくるのと、体内のチャクラを開くのは同時だった。