深夜の決意
館の全体より長い距離を歩き、俺はドアの前にたどり着いた。
術で距離感も狂わせているのだろう。戻るまでに月雲が解いてくれれば帰りは楽だが、それは後だ。
かすかに聞こえる清十郎の声を聞きながらドアを解析する。
変な術はかかっていないし、鍵もかかってねえ。
ゆっくりとノブを回し、扉を内に開く。
部屋には電気が付いていなかった。
カーテンが開け放たれていて、月の光が部屋を照らしている。外観から想像出来たが中もかなり洋風の作りだ。深夜の姿は……ない。
「シンヤ、俺だ。八代だ」
代わりに「なお」という鳴き声が俺を迎え入れた。
すぐに独特の鈴の音が俺の方に近寄ってくる。
「マヤか、久しぶりだな」
かがんで頭をなでると、ごろごろと猫特有の喉をならすような声をあげる。
相変わらず賢い奴だ。
マヤは俺から離れ、元来た所に戻り始めた。
そこには天蓋付きのベッドがある。
そこでようやく人が座っていることに気がついた。
マヤがその側に走り寄っていく。
「シンヤ……」
声をかけて足を踏み出す。
同時に窓からの明かりが光度を増した。雲に隠れていた月が顔を覗かせたのだ。
月の光がはっきりと、ベッドに座る人影の姿を映し出した。
その姿に、思わず絶句してしまう。
シンヤは天蓋ベッドに腰をかけて、こちらに顔をむけていた。
相変わらずの茶色い髪の毛。
洋館には不釣り合いな白袴姿。
身体から溢れる力を少しでも抑えるためか、よく見ると首元や手首にもなにやら巻いている。
元々白人の血が混じっていて色が白いのだが、それが月明かりで照らされて際立っていた。
陶磁器、いやオパールのような透明感のある肌が、月明かりに照らされて輝いている。
言いたかないが見惚れるほど、綺麗だった。
だが……なんというか生気が感じられない。初めてこいつの写真を見たときと近い印象だ。
「シンヤ、俺の声が聞こえるか?」
「……八代」
術をかけられて意思がないとか、そういう類いではなかったことに安心する。
「……何しに来たの?」
「助けに来たんだよ」
さて、何をどう説明したらいいか。
「実はな、飛輪はお前を生贄として使うつもりだ。このままここにいたらそのまま差し出されちまう。逃げるぞ」
こいつがどういうリアクションをするか、俺なりにいくらかパターンを想像していた。
だが深夜の反応は予想外にも冷淡なものだった。
「なんだ、そのことか」
「知っていたのか!」
「聞いたよ。あたし世界で唯一、ワルプルギスの夜とやらを終わらせることができる特別な存在なんだろ?」
「お前の命を使うことでな! だから逃げるぞ」
立たせようと手を伸ばす。
だが深夜は無感情に、冷ややかな眼を向けるだけだった。
「いいよ、別に」
「わかっているのか? ここにいたらお前死んでしまうんだぞ!」
「知ってる」
「だったら……」
「知っているっていっているだろう。来なくて、良かったのに」
俺だって別に「助けてくれてありがとう。八代大好き、チュッ」なんて妄想じみた期待をしていたわけじゃあないけどよ。
素直じゃないのは知っているが、そこまでだといくら温厚な俺でも怒るぞ。
「いい加減にしろよ! 今回の為に月雲と清十郎は飛輪に逆らってまで来たんだぞ。俺ならともかく二人にそんな態度を見せたら殴るからな」
「助けてくれなんて、言ってないじゃん」
「お前!」
「だってさ」
更にどやしつけようとしたが、その表情をみて言葉が出てこなかった。
深夜は顔に笑顔を作っていた。
どこか作り物じみた笑顔を。
「悪魔の大侵攻。やってくれば大勢が死ぬ。それを被害を出さずに止めるのって、あたしにしか出来ないんだろう? 格好いいじゃん」
「馬鹿か! お前が死ぬ時点で被害ゼロはねえよ」
「でも、他の関係のない人は……助かるんだろ」
「なんで自分を犠牲にする必要があるんだ。誰が死んだところでお前に関係無いだろうが!」
「……関係無くないよ」
深夜は視線を落とし、マヤの頭をなでる。
「聞いたよ。八年前は戦いですごく人が亡くなったって。それもあのとき生贄として申し出た人がいなければもっと犠牲者が出たって」
「それが俺たちの仕事だ。鬼祓師になるって決めた時点で全員覚悟はあるさ」
「……だったら八代も死んじゃうかも知れないじゃないか」
顔をあげるとまっすぐに俺を見つめた。
その表情に思わずたじろぐ。
その瞳から、水が流れて出ていたから。
「あたしは見ていたよ。八代があたしを守る為にいつも大変だったのを。もし悪魔の大侵攻なんかあったら八代が死ぬかも知れない。……ううん。八代はきっと最前線で戦い続ける。もしあたしが生贄にならなくてもいいってなったら、そのためにがんばりすぎると思う。あんたがそういう人間だって、わかっているから……」
「……シンヤ…」
「今回だって飛輪って所に逆らってまで来たんだろ? そんなことをしたら生きて帰れても、もう八代に安息の場所とか……ないじゃん」
くしゃくしゃと表情を歪ませる。
瞳から流れた水は頬を滑って顎を伝い、シーツをにじませていく。
「あたしだって死ぬのは嫌だよ。でも、そうすることで八代が助かるっていうなら……あたしにはそれが出来るなら……」
そうかい、お前は、俺の為に……。
「あんた達が変な事をされないように、それだけはお願いするから。八代達を許してくれないならこの話なかったことにするって絶対説得するから。だから……」
「そうか……」
だったら俺に言葉で語ることは何もない。
俺は深夜の肩を左手で優しく抱き寄せる。深夜は涙にまみれた顔をこちらに向けた。
ふと深夜の表情がゆらぎ、こくりと頷くと瞳を閉じる。
俺たちは少しずつ顔を近づけた。