陰陽師(3)
「終わった、か」
俺はふう、と安堵の息を吐いた。
「終わったじゃない。よくもマヤを!」
いつの間にか、飼い主が目の前にいた。
「どうして。あんた助けられなかったのかよ!」
「落ち着け」
「落ち着いていられるか、マヤの仇!」
問答無用で首に指がかけられる。
てか爪が食いこんどるがな!
力尽くで指を引きはがすと、端正な顔立ちに涙眼を浮かべてにらみつけてくる怒れる獅子に、ゆっくりと諭すように言葉を紡ぐ。
「だから落ち着けって言っているだろう。見ろ」
俺の声に反応するように、猫がぴくりと動き出す。
それを見て、なおも首を絞めようとする手からようやく力が抜けた。
「えーと……」
「俺は鬼を祓っただけだ。動物に憑くのは単純な分、祓ってしまえば依代に傷は残らない」
「え、じゃあ」
「無事だってことだよ」
猫は起き上がると小さく「なお」と鳴いた。
「良かった、マヤ、マヤ!」
俺から離れるや否や猫に抱きついた。
口ではなんだかんだ言ってもやっぱりガキだねえ。
猫の方はというと苦しいのか鈴の音を激しく鳴らしている。
「おい、せっかく助けたのに絞め殺すなよ」
「そ、そんなことしないよ」
慌てて力を抜くと、ゆっくりと猫を抱き上げた。
こちらを振り向く。
「鬼ってのは基本恨みを持つ対象か、場所に災いを成すからな。憑かれただけの対象ならきちんと祓えば問題ないさ。どうだ傷一つ残って……」
猫を正面から見る。
右目の人間でいう眉毛当たりから口元にかけ、大きな傷が一本。
「えーと、そのだな……」
汗が背中に流れるのを感じながら、必死でいいわけを考える。
するとクククと飼い主が笑い出した。
「大丈夫だよ。元々マヤには傷があるんだ。たぶんそれで前の飼い主に捨てられたんだと思う」
そしてにっこりと、俺に向かって意地悪な笑みを浮かべる。
「安心したか」
「ああ安心した。いや元々心配していなかったよ。祓いにミスはなかったから」
「びびってなかったか?」
「びびってなんかねえよ!」
すげえびびってました。
コホンと内心を悟られないように咳払いをすると周囲を伺う。
逃げた鬼は今のが最後だ。
被害といえば、鬼の攻撃で自動販売機のゴミ入れが砕けた位か。
空き缶が散らばっていて掃除とか大変そうだ。
申し訳ないがそれは業者にお願いしよう。
やれやれ、ようやく任務は完了か。
「待てよ」
帰ろうとしたら背中から声をかけられた。
なんだよと振り返ると、猫を抱いたまま俺をギロリとにらみつけてくる。
「用があるなら早く言え」
「……そのありがとう。マヤを助けてくれて」
表情はそのままだが、一応お礼を言いたいというのは伝わった。
それはいいけどさ。せっかく親御さんが男前に生んでくれたんだからもっと愛想よくしろよ。
「仕事だ。気にするな」
「ほら。マヤもありがとうって」
本当に意味がわかっているのか、猫が「なお」と鳴く。
飼い主は愛想なしだが、こいつはなかなか愛想がいい。
「なかなか人なつっこい猫だな」
「マヤは本当は他の人になつかないんだぜ。きっと助けてくれたのを理解しているんだ」
「そうかもな」
「……それでとーま、あんた一体何者なんだ。鬼を退治するとか、なんか変な魔法を使ったりして」
「陰陽師」
何者かと問われれば、返す言葉は一つだ。
「鬼などの人に迷惑をかける魑魅魍魎を、人知れず退治する。それが俺たちの仕事さ」
「そういうの、やっぱりいるんだ」
「もちろんだ。昔から、そして今もひっそりとな」
そう告げると片目をつぶり、人差し指を口にあてる。
「みんなには内緒だぜ?」
どういう表情を作っていいのか口をぱくぱく動かすガキに背を向けると、俺はその場を離れた。もう危険な目に遭うことは無いだろう。
さっきの鬼の攻撃が当たったところが、まだずきずきする。
あの程度の鬼で傷を負うようじゃあ、まだまだ修行がたりねえなあ。
二人はどうなったのか、と考えていたらちょうど電話が鳴った。
取り出すとやはり清十郎からだった。
「よお。……そうかそっちは。こっちもちょうど終わったところだ。……わかった、じゃあそこで合流しよう」
電話を切ると、ふうとため息をはく。
長い夜は、ようやく終わりを告げようとしていた。