日常の終わり
強烈な衝撃があった。
思わず魅入っていた俺は、瞬時に正気へと戻ると臨戦態勢をとる。
その深夜はというと、顔を赤くして頭を抱えてうずくまると、妙な声をあげていた。
だがすぐにそんな状況ではないと気づき、立ち上がる。
異界から流れる、独特の風と匂い。
「これって……」
「ゲートだ……まさかこんな……三日前に開いたばかりだぞ!?」
本来鬼もゲートも陰気が集まると出来る、とされる。
夜に鬼が発生するのは陰気が集まりやすいからで、一度発生した陰気を祓うと、しばらくはでてこないとはされていた。
まして俺の家にほど近い、陰気が少ないところになんか。
だが出てきた以上対処するしかない。
ゲートに取り込まれると、その悪魔を駆除しない限りは外に出れないし、近くに他に戦力はいないのだ。
親父は朝から先日の仕事の報告の為に出かけている。
護衛対象を残して、薄情だとは思わない。
元々これは俺の仕事だし、バアルのような大物が何匹もでないだろうという判断だ。
母さんがいないのはそれについていったからだが。
じいさんが生きていた頃は護衛の式神なんてのがうちの近所にずっといて、いざ鬼が出てくると下級鬼と戦うことだってしていた。
式神は紙や草木などの形代から簡易的に命を吹き込む式神と、自ら意思をもつ上位式神がある。
神道だと眷属なんてのもいるが。
俺自身は式神が得意ではなく、親父は上位式神をなぜか使わない。
普段はなんとも思わないが、今みたいにネコの手でも欲しい状況だと恨めしく思う。
だがないものは仕方が無い。
六壬式盤を取り出し妖気を探っているうちに、そいつは姿を現した。
いつもの俺んちとスーパーを結ぶ通りがぐにゃりと歪み、カビのような物が周囲からあふれ出す。
深夜が隣でつばを飲み込む大きな音が聞こえた。
そして奥の闇、魔界からそれが姿を現しはじめた。
「また悪魔……」
「安心しろ。たいした奴じゃ無い」
そいつらを見て思わずほっとしたものだ。
陰腐とか呼ばれている小悪魔だ。
体長は十センチほど。
胎児のような姿にネズミのようなしっぽをはやしている。知能も何もない、魔界の小動物だ。それが四十から五十匹辺りか。
数が多少多いが、ここ最近祓ってきた奴に比べると雑魚もいいところだ。
「脅かしやがって。こいつらなら霊符が無くても楽勝だ」
「本当に大丈夫なの? 八代もう怪我したりしない?」
やれやれだ。
護衛対象に心配されるとはね。
「大丈夫だ。さっさと終わらせて夕食にしよう。楽しみにしているんだぜ」
買い物袋だけ手渡すと、結界術を深夜の周囲に張り巡らせる。
式盤で気配を探ったがやはりこいつらだけのようだ。
ゲートがまた目の前に開いたってのが気がかりだが、今気にしても仕方が無い。
小動物が深夜の蜜に誘われたようだが、てめらには贅沢すぎる。
さっさと終わらさせてもらうぜ。
不快な声をあげる陰腐どもが一斉に飛びかかってくる。
そのまえに俺は九字の印を結ぶ。
五芒の星が陽気を高めるなら、これは陰気を弱めたりする術の基本だ。
鬼からマヤを助け出したときにも用いたが、弱い悪魔を封じたりもできる。
たちまち格子の術が、陰腐どもの突進を空中で阻み、押さえつける。
「折角出てきたところ悪いが、決めるぜ」
すぐさま指で祓いである五芒星をキリながら術を唱える。
格子で動きを押さえたやつらをのきなみ吹き飛ばした
。
「完了だ、終わったぞ」
「まだだよ、まだ!」
「え?」
深夜の方に向けた身体を彼女の声でもう一度振り返る。
大多数が術を食らったにも関わらず、立ち上がってきていたのだ。
そんな馬鹿な。
あれで祓えないような強い悪魔じゃあ無いだろ!
「仕留め損なったのか?」
やはりまだ身体が本調子じゃないからか? だが一体や二体ならともかくこれだけを倒しきれないなんて……。
「八代、危ない!」
突然左肩に激痛が走った。慌ててそこを見ると陰腐が一匹、俺の肩に牙を向けて噛みついてやがる。いつの間に!
「このやろう!」
霊符を貼り付けてすぐ術を唱える。四散して消滅するのが見えた。
まさか陰腐一匹ごときに霊符を一枚使うとは。
新しい霊符を用意しようとして、痛さに顔をしかめてしまう。
思ったより傷が深い。
左肩から血が溢れでて、服を赤く染めていく。
こいつら毒とかは無かったか? いや、後の事よりこの傷で印が結べるか……。
「八代……血……」
「大丈夫だ、落ちつけ」
背後で深夜が狼狽した声をあげているのが聞こえる。
「早く、早く止血しないと……」
「だから大丈夫だから。また眼を瞑ってかがんでいろ」
こいつ半分パニクってやがる。
「このままだと八代死んじゃう!」
深夜が叫んだのと同時だった。
「な、なんだ?」
陰腐たちの姿が変わっていく。
小さな身体にコウモリのような羽が生え、爪や牙が鋭くとがっていく。
体長もそれに合わせて少し大きくなったようだ。
見るからに強くなっている。
陰腐にこんな能力があったか?
だがそんなことを考えている余裕なんて、ほとんど無い。
奴らは出来たばかりの翼をはためかせ、俺の方に向かってくる。
狙いは後ろの深夜だろうから、神行業の術で避ける訳にもいかない。
なんとか霊符を取り出すと、発動の術を唱えながら投げた。
周囲に結界が張られる。
だが霊符はあっという間に黒くなり、術が解けた。
牙をむき出しにして悪魔達が迫ってくる。
「深夜、お前だけでも逃げろ!」
左肩が痛むのを堪えて印を結ぶと結界の術を張る。
こいつは結構足が速いのをこの間みている。
陸上部にでも入ればいいととこにいけるだろう。
「逃げろって八代を一人には……」
「それが俺の仕事だ。こいつ等は狭間の世界に人を留めておく力が無い。早く!」
俺一人なら何とかなる。
数が厄介だが、一体ずつ確実に倒して行けば時間はかかるが倒せる。
だが深夜を守りながらでは無理だ。
それにこいつらは深夜を狙っている。
「そんな八代を放って出来ないよ! 怪我までしているのに!」
「ち!」
押し問答をしている余裕が無くなった。
陰腐たちが映えたばかりの羽を広げ、こちらに向かってきたからだ。
左肩の痛みを抑えて印を組み、結界の術を唱える。
奴らは大きくなった爪を結界に向かって何度もふるって来る。
さすがに結界を破るほどの力は無いようだが、一瞬でも緩めたらあっという間に群がってくるだろう。
このままだと数に圧される。くそ、どうしたら……
「八代……」
深夜の心配そうな声があがった。
この状態でこいつだけを逃がすことが出来るか?
今だと俺から離れた瞬間深夜を狙う。
結界符を持たせてももたないだろう。ならいっそ神行業の術で二人とも飛び上がるか?
深夜への身体の負担は大きくなるが、このままよりは断然いい筈だ!
「任せろよ」
精一杯強がって見せ、俺は術を唱え始めた。




