夕焼けの下で
「結構買ったな、八代」
「千春だけにお菓子を買うわけにはいかないだろう」
袋の中には、二人の好きなお菓子をそれぞれ入れてある。
「なんだかんだで八代ってお兄ちゃんだよなあ」
「歳が離れているからな。それに、伊緒里は今日家事を手伝ってくれているんだ。何もねぎらわないわけにはいかないだろう?」
「そりゃそうだ」
歯を見せながら楽しそうに笑う。
前ほど不機嫌そうな顔を見せなくなったな、こいつ。
そんな風に思っていたら顔を上げてきた。
眼が合う。
「……あー悪かったな。ご飯まで作ってもらって」
「世話になっているのはこっちだし。それにマヤのご飯も買ってもらったから」
別に夕日に照らされたこいつの顔が妙に綺麗だ、なんて思ったわけじゃないよ、うん。
「でも伊緒里っていい子だな。ご飯作ろうかと聞いたらすぐに手伝ってくれた。来た日も布団とか準備してくれたし。普段から手伝ってんの?」
「……まあな」
「あの子も八代たちみたいに、陰陽師になるのか?」
「あいつには資質がないから無理だ」
「え、兄妹なのに?」
「ああ。千春の方はあるんだが。伊緒里は一人母さんに似たみたいで。あ、だから親を見て母さんのまねをしているのかもな」
「親……八代の両親を見て……」
眼をそらしてそっぽを向く。
心なしか顔が赤くなっているように見えた。原因は、考えるまでもないわな。
「何か悪いな……うちの親、その、年甲斐もなく、な」
「あー、い、いいんじゃないか? 両親が仲いいっていいことだぜ」
「一応あれでも客がいるから遠慮はしているんだけど……」
「え、あれで? そうか、いやうん。そうか……。ほらおじさん忙しかったようだし」
深夜は乾いた笑い声を上げる。
うちの両親は世間では中学生のバカップルか? という位仲が異様にいい。
さすがに他の家と違うのではと俺は小学校四年ぐらいに気付きだしたが、たぶん妹弟二人はまだ気付いていない。
「あたしん家もいい方だけど、さすがにあれ程じゃあないかな」
家族の構成は聞いていたが、さすがに込み入ったことまで聞かなかった。
「本当はお父さんが単身赴任でって話だったんだけど、寂しいからって母さんが付いていったんだ。あたしも一緒にって誘われたけどさ」
「外国語が出来ないからとか?」
「授業で学んでいるのに出来ないわけないだろ? それにちっちゃいころはオーストラリアに住んでいたんだぜ?」
……日本の高校生の大部分を敵に回したぞ、今ので。
「引っ越しが多かったし、ここが一番住み慣れた所だったの。また帰ってくるし、向こうの学校が合わなさそうだし」
置換すると向こうで友達を作る自信がない、となる。
言わないけど。
「ばあさんが住んでたんだっけ? ロシア人とのハーフの」
「ダブルっていうんだよ。そうだよ、いいおばあちゃんだった。あたしおばあちゃん子だったし、いろいろ教えてもらったなあ……」
懐かしそうに空を見上げる。
「八代はどうなの? 家が陰陽師だから八代も子供の頃から陰陽師になることがほとんど決まっていたんだろう? やらされているとか思わなかったのか?」
「んー小さいころは漠然とだったな。師匠のじいさんが厳しかったし、修行がいやだと思ったこともあったかも」
そうだ。
でもただ本当に漠然とだった。
俺自身が陰陽師を目指したのは、やっぱり彼女のことがあってからか。
「でも俺はなりたいと思ってなったことだ。確かに危険もあるし、面倒くさいこともある。でも陰陽師だからこうして戦うことができる。守ることもな」
「……あたしのことも、それで守ってくれたもんな」
「それも含めてな。そういや足大丈夫か? 傷が目立ってないといいけど」
「すぐに治るよ。今はこうやって隠しているし」
そういって長い足を見せつけるように上げる。
膝上位まで丈の靴下、いわゆるニーソックスをはくようにしているようだ。
それは傷を隠す為なんだろうけど……なぜだろうか。
肌の面積が減っているのに、こちらの方が妙にエロく見えるのは。
「えーと、なんだ。傷跡が残らないように治療符は使ったけど、治るのだけは自然任せなんだ」
「謝ることなんかないって。……でも八代は家業だからこそ今こうやって……えーと……」
「ああ。親には言わないけどあの家に生まれて良かったよ。だからこうしてそれなりの力があるし、同じ志の仲間もいる。相生関係っていうんだよ。陰陽道で言うところの」
笑いかけると複雑な表情を見せる。
笑っているようで眉間に皺を寄せているという、なんともいえない顔だった。
「……あのさ」
どちらかというとこわばった表情で質問を投げかけてくる。
「あんた仲間の子がいるじゃん。前も見舞いに来て、最初あたしの護衛をするって言ってた」
「月雲のことか?」
深夜は無言で頷く。
「あの人すごく男子から人気があるみたいだけど」
「え、マジで?」
「クラスの男子が騒いでいるのを小耳に挟んだ。かわいくて社交的で目立つし、性格もよさそうだって。先輩方の中には何人か告白して玉砕しているんだって。だいたいあたしが知っているぐらいだから学校の連中は全員知っているんじゃないか?」
「月雲がねえ……」
たしかに見かけちょいと上品な感じだし、「あの子いいな」みたいなことをクラスメイトが話していた気はするが。
そんなに人気があったのか。
告白されたとか、そんな話本人から聞いたこと無いけど。
「八代あの人とつきあってるの?」
「月雲と? まさか」
「そんな噂がある」
「まあ、子供の頃から一緒ではあるからな。もう一人の妹みたいなもんだ」
実際そんな関係だな。
伊緒里たちも『お姉ちゃん』と呼んでいるし。
「そ、そうなんだ」
「そういうと清十郎が『じゃあ俺は兄貴だな』って、でかい顔をするから内緒だぜ?」
出会ったときと同じように口に指を当てて仕草を取ると、「馬鹿みたいだ」と言いながら笑う。本当にこいつ案外表情豊かだよなあ。
よほどツボにはまったのかしばらく歩きながら大笑いする。
ちょっと笑いすぎで心配なったころにふと真顔に戻った。
「実はさ。あたし、自分が特別だって浮かれていたんだ」
顔は前を向いたままだ。
「面白く無い毎日でさ。そこにやってきたのが八代だ。マヤがおかしくなってビックリしたけど、今まであたしが知らない世界が突然現れた」
そういや学校で会ったとき、嬉しそうだったな。
「それであたしには特別な力があるって言われて。そうかあたしは他の人とは違うんだ。特別なんだってさ。結構嬉しかったんだ。でもさ……」
深夜は口ごもりながらうつむく。
「それでやってきた悪魔があんなんで、すごく怖くて。八代はあたしのせいで倒れちゃうし」
「それは気にするな。元々陰陽師の仕事はそういうものだからよ」
ようやく腫れが収まった左目をなでながら答える。
実際身体中傷とあざだらけなんだけど、あの化け物を相手にそれで済んだのだからむしろ強運だ。
「あたし知らなかったんだ。特別であることには覚悟がいるってこと。こんな力なら無い方がいいってさ。……勝手だよね。特別がいいと思っていたのに、今度は普通がいいって……」
「特別だといいと思うのは当然じゃねえ? 俺だってそう思うことあるぜ」
うつむいていた顔を今度は見上げてくる。
「そうなの?」
「俺に特別な力があって鬼や悪魔を瞬時に消滅できたりとか、実は神様の生まれ変わりでその怪我とかを瞬時に治せたり、死んだ人を生き返らせれたりとかな。それもしんどい修行とかしないでできたら最高だな、とかさ」
「……そうだね」
「ないものはねだってもどうしようも無いけど、あるものはなにかに活用できるだろうさ。今考える必要も無いし、自分がやりたいことを見つけた時にあって良かったって考えれるかもしれねえだろ。これがあるから良かったって、思えたらそれでいいさ」
「あればよかった、か……」
「だいたい特別ってんならお前充分特別だろ? なんだよ、お金持ちのお嬢さんで、頭もよくて美人だって。それだけでどれだけの人間が羨むと思っているんだ」
ついつい嫌味な言い方をしたがきょとんとした顔をむける。
そしておもむろに自分を指さした。
「美人?」
え、いや、確かに一般的にはかなり美人だ、ろう。
髪が短くて男っぽいけど、整った顔は間違いない。
客観的にみて、うん。
客観的にみて。
「そりゃよく言われるし知っているけど……てこら、なんで殴るんだ!」
「……今微妙にむかついた」
あたふたしてしまった俺の心の分だ。
あと殴ったなんて人聞き悪い。デコピンしただけだろう。
頭を押さえる深夜に上から声を投げかける。
「悪魔は普通に暮らしていたら見ることすらないからな。いろいろと考え込むのはわかるさ。能力に関しては自覚すれば制御もできるかもしれない。ま、その辺は俺もなるべく協力する。迷惑だろうがもう少し我慢してくれ」
「……八代が迷惑なんてことは無い、けど」
「そいつはどうも」
視線に感じて横を見ると、深夜が俺の方を見上げていた。
「八代ってさ……」
「なんだよ」
「なんか歳あまり変わらないのに泰然としている所あるよね。なんでも受け入れるというか」
「陰陽師の考え方かな。陽気も陰気も、どっちもないと困る。自然と摂理と森羅万象を借りて行使する術だしな。陰気が強すぎるとバランスが崩れるからそれを正すのが仕事だ」
「話とか凄く聞いてくれたりするのも仕事だから?」
「それは普通だろ」
俺は家でも学校でも多弁な方では無いが、別に人嫌いでは無い。
それにこいつの話を聞くのも別に苦痛とか感じないし、こう言うと調子に乗りそうだがまあ、割と楽しくはあった。
「相生関係ってのは、さっき言っていた何かがあるから別の何かがあるってことだよね」
「まあな」
「さっきお前陰陽師の家に生まれたから、いい出会いがあったって言ってたじゃん」
「ああ」
「あたしもさ。良かったよ。日本に残ったからこうしてお前が助けてくれるわけになったんだろ?」
「……そうだな。そういうのも相生関係だ」
気がついたら深夜の顔が近くにあった。
俺を見上げている眼はどこか潤んでいる。
不思議な色合いの瞳が、ますます神秘的に輝いていた。