平穏な日
「……これで良し、と」
書いたばかりの霊符を、もう一度確認する。
うん、我ながらいい出来映えだ。
先日の戦いで霊符を使いつぶしてしまったので、俺の霊符はほぼ空っぽになっている。
親父の予備をいくつかもらっているが、やはり自分が書いた霊符でないとしっくりこない。
霊符は先に込める呪文を和紙に書き込み、あとでその術を込める。
術を込める作業を行う日には吉日が決められているので、今日の所はここまでだ。
「ふう……」
脱力すると全身で汗をかいているのがわかった。
霊符を書くのはかなりの集中力を要するのだ。
こういった毎日の地道な作業があってこそ、いざって時に鬼や悪魔と戦える。
着物から部屋着に着替え、シャワーを浴びて出てくるといい匂いがしてきた。
今日は母さんが出かけているから、晩は出前でも取るかという話になっていた筈だが、はて?
伊緒里が何か作っているのかな?
「伊緒里、お兄ちゃん手伝うことあるか?」
家事は得意ではないが一応長男だ。
台所に足を伸ばし、声をかける。
そこで思わず固まった。
そこにいたのは深夜だった。
夜に襲われたし一人にするのは危険、てなことであれからずっとうちにいるのだからいるのはおかしくはない。
今日も一緒に帰ってきたし。だが……
深夜は制服の上からエプロンを着け、野菜を切っては鍋に入れ込んだりとかしていた。
その動作は自然ですごく手慣れていることは、さほど料理に詳しくない俺が見ていもわかる。
隣では伊緒里が、指示を受けるままに塩を入れたりとか、調理器具を出したりとかして手伝っていた。
小動物のように軽快に動く妹と目が合う。
「あ、お兄ちゃん、夜はシンヤさんが作ってくれるからもう少し待ってて」
「あ、ああ……」
上の空で返事する。
眼は深夜から離せずにいた。
制服の上にエプロン姿で料理をする女の子というのはなんというか……結構な破壊力があった。
「どうしたのさ」
「いや……別に……」
しまった。
さすがについ見とれてしまいましたとは言えない。
内心の動揺を悟られまいと必死で言い訳を考える。
「ああ、腹減ったのかよ。少し待っていろ。じきに出来るからよ」
「そ、そうか。期待しているぞ」
「何が期待だよ。偉そうに」
「けっ」と悪態を吐く。
……うん、こうすると普段のお前なんだが。
邪魔をすると悪いので退散しようとしたら、「シンヤさん」と伊緒里が呼びかける声があった。
「やっぱり片栗粉ないよ。もしかしたらお母さんにしかわからないところにあるかも」
「ああ無かったか。その方がとろみがついて美味しいんだけど……」
「だったら俺が買ってくるよ」
家からさほど離れていない所に小さなスーパーがある。
夏なんかはアイスを買うのに重宝していた。
「いいのか? どこかにあるかもしれないぞ」
「日持ちしないものじゃないからあっても困らないだろう? 他に何か欲しいのがあれば買ってくるけど?」
「何かあったっけ?」
「胡椒が少ないな。後は豆板もあれば。せっかく買いに行くなら挽肉ももうちょっとあった方が……」
二人でそう言い合う。
いや、お菓子とかジュースとか、そういうもののつもりで聞いたんだけど……。
「何かと言われると説明が難しい。あたしも一緒に行くよ」
「……その方がいいな。今は家に陰陽師は俺だけだ」
親父の式神はいるがね。
あいつ式神が得意なくせに、うちでは掃除とか修繕、見張り程度の式神しか置かないんだよな、なぜか、
「お、仕事を忘れていないんだな。偉いぞ八代」
「なんだよ、偉そうに」
ぶつくさ言い合いながらもエプロンを伊緒里に預け、出ようとする俺についてきた。
「おにいちゃん、でかけるの?」
「スーパーにちょっとな」
「何かお菓子買ってきて」
「おうよ」
千春の声を背中に聞きながら、家をでる。
だいぶいい時間で夕焼けが空を染めていた。
「行こうぜ」
犬歯を見せながら、当たり前のように制服姿の深夜が横に並んだ。