平穏、そして襲撃
食事の準備が出来て、俺たちは長机に座る。
千春が俺側で、伊緒里が母さん側に並び対面する感じ。
客である深夜は机から少し遠目に、ちょこんと正座していた。
当然だが、かごから出されたマヤも隣だ。
親父は例の封印されていた鬼を退治するために、日夜駆けずり回っている。
今日も帰って来れないだろうな。
「おにいちゃんさあ」
食べ始めてしばらくすると、誰ともなしにしゃべり出すのが我が家だ。
今日は千春からだった。
「仕事だからって女の子を連れてくるようになるなんて。やっぱりあれ?」
「黙れませガキ。意味も知らないのに使うな。だいたい月雲だってよく来ているだろ」
「月雲おねえちゃんは身内じゃんか。女の子と言わないよ」
「千春、月雲ちゃんにそれは失礼よ」
母さんに、はあいと素直に謝る。
こいつは生意気なくせに母さんにだけは絶対逆らわない。
俺?
当然母さんに逆らうことの恐ろしさは、千春の年齢の頃には知っていたよ。
「ごめんなさいね、騒がしくて」
「いえ……明るくて、はい。楽しそうで」
「ご飯口に合うかしら?」
「はい! おいしいです」
借りてきた猫みたいという言葉がある。
今の深夜はまさしくそんな感じだった。
正座を崩すこと無く身体をこわばらせている。
母さんや伊緒里が話しかけると、固まった表情で「はい!」か「いえ……」のどちらかで答えていた。俺調べで三対一位の割合だ。
母さんはともかく小学生相手に緊張するってどんなだよ、お前……。
友達がいない最大の理由って、もしかしてこれかもしれねえな。
ちなみに本物の猫たるマヤの方はというと、ご主人の所を大あくびで離れて、今は俺の横で食事している。
こっちはなかなかに大物だった。
猫に興味あるらしい隣の千春がちょっかいを出すのだが、敏感に察知して手から逃れる。
他の人になつかないというのは本当らしい。
俺がそっとなでると素直に触らせてくれた。
「ごろごろ」と気持ちよさそうな声をあげる。
「にいちゃんだけずるい!」
「知らないね。これこそ人徳だよ、人徳」
「ぼくも猫触らせてよー触りたい!」
「だったら交換条件だ。そのとんかつを半分俺によこせ」
「ず、ずるいぞ! そんなこと……」
「おや、いいのか? マヤに触りたいんだろう?」
これ見よがしに抱き上げてみると「ぐぬぬぬぬ」とうなった。
震える手でとんかつに箸を伸ばす。ふ、勝った。
「こら、八代。千春をいじめないの!」
「千春! お客さんの前なのよ!」
互いに叱られ、俺たち兄弟は顔を見合わせる。
そしてしずしずと正座した。
『すみません』
『よろしい』
俺と千春の声が重なり、母さんと伊緒里の声が重なる。
直後にマヤが「なお」と鳴いた。
「ぷ、……くくく……」
一人取り残されていた深夜が、正座のまま肩をふるわせる。
どうやら笑っているらしい。
「いいよ。後でマヤを抱き上げるから。そのときに触ったら」
「ほんと? やった!」
「すみません。わがままな弟と大人げない兄で」
妹よ、さりげなく兄まで貶めるな。
だがそれがきっかけになったのか、深夜のこわばりが解けた気がする。
食事が終わってお茶を出される頃には、いつもの表情をみせるようになっていた。
それどころか食後の洗い物を手伝ってくれるなど、かいがいしい所を見せる。
一人暮らしだから出来てもおかしくないのだが、手際のいいことに驚きだ。
意外な一面というか、なんというか。
深夜はそんなに食べなかったので、母さんが味が合わないのでは、と声をかけ「あたし普段から食が細いので」と照れ笑いしながら返す。
ま、その程度には話しできるようになっていた。
でもこいつ嘘は言ってないが、ピーマンとかたけのことかに全く手を付けていないあたり、好き嫌いが多いのもあると思う。
だから白人の血混じりなのに、胸元がこんなんなんだな。
……それは偏見か。
でもこいつのことが、だいぶわかってきた気がする。
性格が複雑だとかわかんねえ奴だと思っていたけど、ようするに子供なのだ。
子供って自分が知らないことを親や兄姉がやっていると、すぐにすねたりする。
そして親には偉そうにしゃべっても、知らない人には全然喋らなかったりとかするもんだ。
要はそれなんだろう。
弟に猫を触らせてあげたり、妹がやっているゲームの話――動物を育てるらしい――を興味深げに聞いたりしている様子を見ると、精神年齢も近いのかもしれない。
結局の所単純なんだよな。
そうとわかると意地悪をしたくなるのは人間の性だ。
「おいおい。中間テストも近いのに、ゲームにはまったりして大丈夫か?」
「学校の勉強なんか教科書少し読めば大体わかるだろ?」
至極当然のように言い放った。
……前言撤回。
やっぱりこいつの頭の中は俺にはわかんねえ。
「八代、テストが近いなら少しは勉強しなさい。仕事が忙しいのはわかるけどそれとは別でしょう。今日の報告書は後日にしてもらえるように頼んでおくから」
おおっとやぶ蛇だったか。
風呂が沸いているという話なので、おねむの時間が近づいている千春を先に風呂にやり、それに続いた。
上がってきた時には深夜と伊緒里はだいぶ打ち解けていたようで、「シンヤさん」「伊緒里」と呼び合っていた。
どうやらさっきの話をしていたらしい。
「それじゃあシンヤさん今日は怖かったでしょう? 何でしたらわたしの部屋で一緒に寝ませんか? 二人の方がきっと怖くないですよ」
「気持ちは嬉しいけど、折角布団用意してもらっているから」
深夜は曖昧に断るが、簡単に距離を詰めれるぐらいならちったあ友達いるだろう。
ま、仲良くしているのはいいことだ。
「明日な」と二人に告げて部屋に戻った。
一応少しは勉強しようと机には向かったが悪魔を祓った直後だ。一人になると一気に眠気が押し寄せてきた。
またいつもの一夜漬けでいいやとさっさとベッドに潜り込む。
疲れたけどなんだか懐かしい気がする。
彼女が、静乃がいた頃のような雰囲気だった。そんなわけねえのにな。
あの頃は千春が生まれたばかりで、母さんが入院していた。伊緒里も全然小さくて、俺も小さくてもっと馬鹿だった。状況すら全然違う。
何より静乃と深夜はまるで違う。性格も容姿も、近いところを探す方が困難だろう。
今までこうして客がいたこともあるし、よく来る月雲と伊緒里の方がよほど仲がいい。だからとりわけ今日が特別だってことは無いはずなのに。
変なの。
不思議な気持ちになりつつ、布団に入った俺はいつしか眠りに落ちていった。
そして――
嫌な気配で跳び起きた。