01 ジェットコースター
「裏野ドリームランドのジェットコースターの事故、知ってるか?」
「ああ、なんでも桃の霊が乗客を転落させたって……」
「桃の霊ってなんだよ笑 子供の霊だろ?」
「違うわ、あれは設備管理のミスで……」
「結局どれが本当なんだ?」
「何より怖いのが、廃園になってもまだあれが動いてるってことだよな……」
――ある噂
廃園となった遊園地に、かつての楽し気な面影はなかった。
遅い、と思いながら時計の時刻を確認する。15時15分。当時なら、そろそろおみやげ屋さんが込み合う時間帯だ。
「お~い!」
私を呼ぶ、野太い声。これがもし彼氏のものだったらもっと幸せなのだろうかと自問する。
愚問だった、と自らあざけた。
「遅い。15時集合だったはずだよ」
「ああ、すまんすまん。ちょっと買い物をな――おっと」
私の助手――残念ながらこの冴えない男が私の助手なのだ――七尾順二は、持ち運ぶのも一苦労な大きな白い箱を抱えていた。
「なに、それ」
「決まってんだろう、桃だよ、桃。奴は桃をくれ、と泣き叫ぶみたいじゃねぇか。だからこれはその――厄除けだよ」
「……くだらない」
私がそうつぶやいて睨むと、七尾は少し怯えたような顔をして、咳払いをした。
「ウッ、オッホン! 今回の調査内容を確認するぞ! 今回の調査対象は、ここ、廃園した『裏野ドリームランド』のジェットコースターに出没する謎の少女の声だ! 少女の身元は未だ不明、なんでも、『桃をくれ』とうめいているらしい。姿は見えず、触れたことのある者もいないが、その邪気にあてられて具合を悪くしたり、気絶したものが数名いる」
邪気――か。
「被害者に霊感のあるなしは関係なし。だが決まって女の子がやられてる。小さな子供なら甘いものを持ってると勘違いしているのかもな」
七尾の推測はあながち間違いじゃない。でもそれは、男の子が狙われない理由にならない。だとしたら、他に考えられることがあるとしたら?
たとえば、少女の霊、彼女はここでずっと、
誰かを、探している。
「……で、彼女の邪気が極めて強まるのが8月3日、今日ってわけだ。頼むぜ橘、俺には霊力、霊感ってものがないからよぉ、何かあったときは――」
「その桃の箱が守ってくれるんじゃない」
死者の時は、ずっと止まったままだ。生者がそれに寄り添えるのは、ほんの数日だけ。ほとんどの人にとって他人の死はいつか薄れ、忘れ去られてゆく。
ただ、私は違う。私には、チカラがある。
「おいおい、そりゃねぇだろぉ~っ!」
私は怯える七尾をほうって歩き出した。まずは、ジェットコースター。
後ろから、私を追いかけるマヌケな声が響く。
「待ってくれよぉ、霊能探偵~っ!」
**
「なぁ、本当に乗るのか?」
まだ動き出してもいないのに、七尾はブルブルと強肩を震わせている。
「あんたの調査結果に従うまで」
数ある娯楽施設のなかで、ジェットコースターは最も彼女が現れやすいと言われる場所のうちのひとつだった。
「だからって、別に乗らなくてもいいじゃないか。まだ一応動くらしいが、以前事故があったんだろう? 普通ならすぐに取り壊すというのに、なぜまだ残ってるんだ」
「さあね」
「死ぬのが怖くないのか? 俺は怖い」
珍しく真剣な顔つきだった。その顔に免じて、少しだけ真面目に考えてあげる。私は静かに、口を開いた。
「……それでも、いい」
「……あのなぁ、命は大切にするもんだ。たとえどんな境遇でもな」
「私に説教する気?」
小さく笑うと、七尾は恥ずかしそうに頭を掻いた。
「ちげえよ。これはその――年長者の教えだ。ったく」
「厄除け」を乗り場のそばにおいて、私の左に七尾が乗り込んだ。すべてを諦めた顔をして、うなだれている。
「やってみなくちゃ、分からないよね」
何気なく口を突いて出た言葉に、私自身が驚いた。その言葉は、昔――消し去りたいほど昔、何度も聞いた言葉だった。
「いってらっしゃ=い!!」
何も知らないインストラクターが、弾ける笑顔で私たちを見送った、ような気がした。開きっぱなしのゲートを無視して、滑車が動き出す。
しばらく平行に動くと、ガタン、と仰々しい音を立ててゆっくりと、そして急激に上昇していく。
「ひ、ひょええええええ~っ!! 橘、橘っ!!」
目を、閉じる。あの言葉を、反芻する。
「やってみなくちゃ、わからないよ!」
ねぇ、
ねぇ。
あなたは、今どこにいるの?
そこに、いるの?
ギギギ、と苦しみに耐えるような音を立てた滑車は、勢いよく急降下していった。大勢の悲鳴と驚嘆が、私を包む。これは彼女がみせている怪奇現象? それとも、私の過去の記憶? ……惑わされるな、気配を探せ。
「おほぉ~っ!! 死ぬっ! 死んじまうっ!! ぎょえええええええ~っ!!」
私は、強風を受けながら彼女を探した。風の中で、蚊の鳴くような声が聞こえる。
いた。
その声は、徐々に大きくなっていく。人々の楽しさを包み込むような快晴の空の真ん中に、姿が少しずつ浮かび上がってくる。
『もも、もも――』
「うん?」
できるだけ平常心を装いながら、少女の声に答えた。
『もう一度、もも、もも――』
彼女の白い手が伸びる。逃げてはいけなかった。落ちていく滑車の中、私は彼女を見つめつづけた。顔色は青白く、おしゃれにセットした髪にかくれて目元は見えない。
そして、足の先は空の青に吸い込まれている。
『もう一度、もも、もも』
彼女がだんだん近づいてきた。もう終わっているはずのコースターは、まだ落ち続けている。いつの間にか、人々の声も、七尾の声も消えていた。
「なによ」
クスリ、と笑ってしまう。それはこの子の健気さからか、恐怖からか。
『もも、もも――』
「言いたいことがあるなら、ちゃんと言わなきゃ」
だって、昔、
そうやって叱られたでしょ?
気に障ったのだろう、急に邪気が強まり、私に覆いかぶさってきた。ブワリ、と私を包む強風と怨念、その力強さに気圧されそうになった時、私の周りに声が戻ってきた。
「おかえりなさいませ~! 順番にこちらからどうぞ~っ!!」
楽しかったね、怖かったぁ、意外と平気だった! 様々な声が過ぎ去っていく。私は、しばらくの間動けないでいた。
憑かれた。
身体が重い。彼女を怒らせてしまったみたいだ。軽率な発言を後悔した。腹いせに、死にかけの七尾の腹をたたき起こす。
「ふぎゃっ!? お? た、橘……終わったのか?」
「憑かれたわけじゃないんだから、しっかりしなさいよ」
「い、いや、疲れたよ……華の女子高生とは体力が違うんだ」
「なにそれ」
むくり、と冬眠から覚めたクマのように巨体を揺り起こす七尾。その顔は未だ青白い。
「で、いたのか」
「次、ミラーハウス」
「ミラーハウスぅ!? そりゃないぜ、おい、少しは休ませてくれ!」
私だって休みたい。だけど、もう時間はなかった。
廃園以後、1年に1度だけ霊力を強める少女。その子はずっと、誰かを探していた。
その子が探しているのは――。
さっき、彼女が言った言葉を思い出す。
『あそこで、待ってるから』
そう、あなたはジェットコースターに乗ったって全然平気で、疲れきった私たちを置いてミラーハウスに駆け込んでいた。
その笑顔を、もう見ることはできない。
「どうした? 怖い顔して。怖気づいたのか? ん?」
「うるさい! 行くよ」
「へいへい」
ねぇ、さすがのあなたでも、もう疲れちゃったでしょう?
だから、もう楽になっていいんだよ。
あれから、もう何年も経ってしまったのだから。