密輸盗賊
『混沌とした世界の中でシリーズ』のスピンオフですが、本編を読まなくても楽しめます。
東京都内には、奇妙な会員制のバーがある。会員になれるのは、暴力団員やテロリストなど、犯罪に手を染めながら生活することが日常化している裏社会の住人達。
公安警察も存在を知らない犯罪者の巣窟と化した店内のカウンター席で、色黒な肌に丸刈り細マッチョの男が不安を口にした。
「西川五右衛門って奴が、今度の拳銃密輸現場に乗り込んでくるかもな」
その男、八神は指定暴力団流星会の幹部で、滅多なことがない限り不安を漏らさない。八神の右隣りの席に座る、茶髪に赤い眼鏡をかけた、痩せ型の若い優男は、興味津津に首を傾げた。
「西川五右衛門って誰や?」
「知らないのか? 西川五右衛門。裏取引の現場に乗り込んで、密輸した拳銃や取引に使う金品を強奪していく盗賊だ。単身で現場に潜り込み、3分で取引現場を得意な格闘技で制圧して、全てを奪って立ち去るっていうのが、奴の手口。そうなってしまえば、取引は中止になり、仕事に支障が生じる。厄介な義賊だよ」
「そいつは厄介やな。これまで俺が関与した取引は失敗したことがない。そんな奴が取引現場に現れたら、俺が倒したるわ。格闘技なら俺も得意やからなぁ」
「気を付けろよ。サラフィエル」
八神が心配そうに右隣りに座る若い優男を気に掛けると、彼は嬉しそうに笑った。
「アホ。俺を誰やと思ってるんや。負けんよ」
翌日の午後11時、都内の廃倉庫の中で違法な取引が行われた。取引現場には八神とサラフィエルしかおらず、2人は共に同じアタッシュケースを抱えている。
死角のない正方形の空間のアスファルトに覆われた地面を2人が歩く。距離が20センチまで縮んだ所で、八神は手にしていたアタッシュケースを開けた。
「密輸したコルト・パイソンを3丁持ってきた」
近くで中身を確認したサラフィエルは、同じようにアタッシュケースを開けた。
「こっちは150万円や。取引成立やな」
何事もなく取引は終わるはずだった。閉じられていた扉が開き、男の声が廃倉庫に響く。
「そこまでだ!」
侵入者の声を聞き、2人は互いのアタッシュケースを閉じ、それをアスファルトの床に投げた。その後で顔を上げると、丸刈りの頭に筋肉質な巨漢が腕を鳴らし立っている。
「お前が西川五右衛門か?」
八神が尋ねると大男は首を縦に動かす。
「そうだ。そこにあるアタッシュケースを渡してもらおうか。痛い目に遭いたくないだろう」
西川五右衛門と名乗る男は、前触れもなく八神の腹に向かい拳を振り下ろす。だが、男の拳は、一瞬でサラフィエルの手でつかまれた。
「なるほどなぁ。その拳で殴られたら一溜りもないわ」
西川五右衛門は、サラフィエルの手を振り払い、相手の拳が届かないほど間合いをとった。
「面白い。俺の拳を受け止めたのは、お前が初めてだ。一方的に殴って終わりというパターンに飽きたから、丁度良かった。名前は?」
「サラフィエル。テロ組織、退屈な天使たちの幹部だと言えば、この世界で知らない奴はおらん。ちゅうことでルールでも決めよか? 武器の使用禁止。サシの格闘技で勝負や。3秒間倒れたるか、負けを認めたら負け。これでどうや? もちろん俺が負けたら、あそこに転がっとるアタッシュケースを持っていっても構わんで」
「分かった。お前を倒して、密輸した拳銃を奪う。それを売って大金を手に入れるんだ」
勝負に乗った西川五右衛門は、ものすごい勢いでサラフィエルに突進してくる。巨大な体が激突する瞬間、サラフィエルは上に飛び、男の首に蹴りを入れた。
その反動で男の体を飛び越え、西川五右衛門の背後に着地する。その一瞬で、西川五右衛門の右足を蹴り飛ばす。
崩れ落ちそうな巨漢を視界に映しながら、サラフィエルは後ろに下がった。だが、西川五右衛門は敵の2発の蹴りに耐え、後ろへ体を向ける。
「サラフィエル。お前の蹴りは体に響く。フットワークが軽いところも評価に値する。久しぶりに本気を出せそうだ」
西川五右衛門はサラフィエルを褒め、大声を出して、気合いを高めた。その隙を狙い、サラフィエルが少しずつ歩みを進める。そして、3歩で蹴りが届くといった所で、西川五右衛門は右拳を振り上げる。
だが、それを読んでいた敵は、男の右手首を自身の左手で掴み、右足を蹴り降ろす。
それよりも早く巨漢の男は左拳で敵の下腹を殴ろうとする。しかし、サラフィエルは西川五右衛門の右手首を捻り、強引に外へ向けさせ、攻撃を躱した。
そして、サラフィエルは西川五右衛門の右手を離し、気配を消して背後に回り込む。西川五右衛門が背後を振り向き、反撃を開始しようとする。だが、彼の視界が霞み、耐えられない程の衝撃を受けた西川五右衛門の体は崩れ落ちた。一瞬だけ首に何かが当たったような感触があったことを思い出しながら、西川五右衛門は立ち上がることすらできず、意識を失った。
決着から5秒後、八神は拍手をしながら、サラフィエルの元へ歩み寄る。
「スゴイ闘いを見せてもらった。ところで、瞬きして決着の瞬間を見逃したのだが、何をしたんだ?」
「0.01秒のスピードで手刀を首筋に当てたんや。あれを当たられて、気絶せんかった奴は1人もおらん」
八神が尊敬の眼差しを向ける。それと同じように、サラフィエルは西川五右衛門をリスペクトした。
「西川五右衛門。お前の拳はパワーがある。あれを当てられたら、俺がお前のように倒れていたはずや。格闘センスも悪くない。ただ、俺を相手にしたのがマズかったちゅうことや」
サラフィエルは床に転がるアタッシュケースを手にして、取引現場から立ち去る。その後で八神は、慌ててアタッシュケースを抱きしめ、サラフィエルに続いた。
右隣りを歩く八神は、一汗かいたサラフィエルの顔を見る。
「それで、西川五右衛門はどうする? 警察にでも突き出すか?」
「西川五右衛門は取引現場から、密輸した拳銃を奪う盗賊やからな。警察に突き出したら、密輸のことがバレてまう。せやから、裏社会で1番腕のいい闇医者呼んで、治療してもらうわ。まあ、これで用心棒として一儲けできそうやから、トドメの一撃は手加減したんやけど」
「一儲け?」
八神が首を傾げると、サラフィエルは笑顔で答えた。
「用心棒や。西川五右衛門を倒したちゅう証人や実績を手に入れたんやから、一儲けできるやろ。これで活動資金を稼ぐウリエルのも借りができそうや」
「まさか、金儲けのために西川五右衛門と戦おうとしたのか?」
「そうやで。骨のありそうな格闘家やったから、ワクワクしたわ」
八神はサラフィエルの目的を知り、目を点にした。
この日からサラフィエルの用心棒ビジネスが始まる。