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イヴの妄想  作者: 深瀬静流
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一子ちゃんを追っかけろ  中編

 ずっと先のほうに駅へ向かう一子の姿が見える。そのうしろ三メートルを伊吹が歩く。

さらに遅れて万作が歩いていた。

 尾行しているつもりなのだろう、伊吹は電柱の陰に隠れたり横道にひょいと曲がって首だけ出して一子を伺ったりと忙しい。

 後ろから見ていると、まるっきりバカみたいだ。貢は泣きたくなったが、同時に我が子への愛情があふれて悲しくなった。

「イブ君、きみのことは一生パパが守ってあげるからね」

 貢はぐすっと鼻をすすった。

 その音が聞こえたわけでもないのだろうが、先を歩いていた万作がふいに振り向いて、ため息をついた。無言で前を向くとそのまま歩いて行ってしまう。

 貢はとぼとぼと万作のあとからついて行った。

 伊吹は一子に気づかれることなく駅の改札を抜け、一子の乗った車両の隣の車両に乗り込んだ。きょろきょろと乗客の隙間から隣の車両の一子を伺っている。

 万作は伊吹に近づき、似合いもしないサングラスに手を伸ばした。

「イブ、サングラスとれ。壊したら二子に叱られるぞ」

「あ、万札」

 二子の部屋の引き出しから勝手に持ち出してきたサンローランのサングラスを伊吹の顔からはずして自分のシャツの胸ポッケトに入れる。伊吹は車両のすみで小さくなっている

貢を見つけて声を上げた。

「あ、パパもいる。パパ、こっちこっち! パパも一子ちゃんがラブホに行って赤ちゃんをパカパカ造ったりしないか心配で尾行してきたの?」

 大声で手招きしながら言う伊吹に、貢は真っ赤になってうつむいた。乗り合わせていた乗客が、ぎょっとしたように伊吹を振り向く。

「貢さん、次の駅で降りたほうがいいですよ」

 万作にいわれて、貢はおずおずと近づいてきた。

「万作君。もしかしてきみは、長い年月、この試練にずっと耐えてきたのかい?」

「慣れですよ。学校じゃもっと大変ですからね」

「すごく迷惑かけてる?」

「いや、何事も諦めが肝心ですから」

「悲惨だ」

 伊吹はデイパックからあめ玉を取り出して万作と貢に配った。

「おなかが空いたらぼくに言ってね。おやつをいっぱい持ってきたから」

 駅をいくつか通り過ぎて一子が電車を降りた。伊吹たちもそのあとを追う。混雑した改札をくぐって駅舎を出たところで、青年が待っていた。

 身長は175センチぐらい。髪はスポーツ苅りで、よく日に焼けている。笑った歯の白さが印象的な好青年だった。

――本田さんだ。

ハジメちゃんはぼくの目を盗んですぐ二子ちゃんのベッドに夜這いに行こうとするようなやつだけど、本田さんだって男なんだから油断できないよ。

一子ちゃんは世間知らずだからいいように遊ばれて、子供を作るだけ作らされだあげく、本田さんは海がめに乗って海のかなたへトンズラしちゃうかもしれない。

そしたらぼくがその子供を育てなきゃならなくなるんだ。

パパは単身赴任で一生帰ってこないから、長男のぼくがブラジルの鉱山に出稼ぎに行ってお金を仕送りするんだ。

二子ちゃんもハジメちゃんと結婚するなんて言ってるけど、すぐ離婚しちゃうよ。

いまは簡単にくっついて簡単に離婚する時代だから、シングルマザーばっかり増えて民主党が子育て支援や高校の授業料の無料化で税金をばんばん使って、出産費用も国が出してくれるし、子供の医療費も国が出してくれるし、それって全部税金で、ぼくはブラジルに移民して日本の高額な税金の支払いから逃げ出して、そんでもってブラジルの土となって一生を終わるんだ。

円谷瞳さんと結婚するという夢に向かって毎日問題集と格闘しているけど、一子ちゃんや二子ちゃんの子供のためには諦めるよ。

三子ちゃんだけは男で失敗することがないのが救いだ。だって三子ちゃんが男みたいなんだもん――。

「万作君、イブ君の念仏みたいな独り言はなにかな?」

 気味悪そうに貢は伊吹から後退る。

「聞き流してください。耳をかさなければ害は無いですから」

 万作は伊吹の性癖を説明するのもめんどくさくて横を向いた。万作の投げやりな態度におろおろして、貢は万作の筋肉質な腕にしがみついた。

「万作君、その態度はないだろ。僕は仕事で長い間不在だったんだよ。その間の家族のことは、ほとんど知らないんだよ。ただただ働いて、給料を振り込んで、会社の食堂でご飯を食べて、休みの日はコンビニ弁当ですませて、本社からは日程の遅れやトラブルが出るとガンガン叱られて、下からは文句や要求や悪口に突き上げられて、中年太りする暇もないくらい苦労しているというのに、僕のことなんか、家族は思い出しもしないで毎日楽しく暮らしているんだぞ。イブ君なんか僕のこと忘れているし、単身赴任で一生帰ってこないと思っているし、僕の価値って、いったい何なの!」

 貢は万作の腕を掴んだまま、電車の中でとうとう泣き出した。泣いたまま下車して、若者たちで賑わっている雑踏の中にでる。中年男に腕を掴まれたまま泣かれて、さすがの万作も弱り果てた。まわりからの奇異な視線や、ティーンエージャーたちのあからさまな失笑に辟易する。貢に気を取られている隙に伊吹の姿が消えていた。

「あ、イブがいない!」

 万作は貢の手を振りほどいてスクランブル交差点や雑踏を見回した。

「貢さん、伊吹を探してください。あいつは檻から逃げたライオンより危険なんだ」

「え、どういうことよ。まだ僕の知らないことがあるっていうの」

 それには答えず、鋭くあたりを見回す。人であふれた歩行者天国の中に、デイパックを背負った伊吹の小さな姿を発見した万作は、大きな体に似合わない俊敏さで走り出した。

 貢もあとを追ったがついていけない。しかし、万作のただならぬ様子は貢を焦らせた。



     一子ちゃんを追っかけろ  後編に続きます。


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