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イヴの妄想  作者: 深瀬静流
8/17

一子ちゃんを追っかけろ  前編

「おはようございまーす」

 玄関で坂本肇の間延びした声がしたとおもったら、さっさっとリビングに入ってきて、新聞を読んでいた貢にぴょこりと頭を下げた。

 貢はソファーの背もたれから身を起こして顔をしかめた。

「何だね君は。勝手にあがってくるなんて非常識だろ」

「まあまあ、堅いことを言わないで、お義父さん」

「なにがお義父さんだ。図々しいにも程がある。不愉快だ」

 貢は読んでいた新聞を乱暴にたたんでローテーブルに叩きつけた。

「あら肇さん。おはよう。二子ちゃんならまだ寝てるわよ」

 キッチンで洗いものをしていた宝子が肇に振り向いた。

「じゃ、起こしてきますねー」

 二階の二子の部屋へ行こうとする肇に貢は青筋を浮かべた。

「きみ、娘の寝ている部屋へ入っていくつもりじゃないだろうな!」

「え? いけませんか」

「当たり前だろ!」

「でも、俺たち、俺が大学を卒業したら結婚するんだし、昔風に言えば許嫁? 今風に言えばフィアンセ? だから問題ないっしょ」

「結婚? 君は誰の許しをもらって結婚するなんて言うんだ? いつ結婚の許可をした? いつ正式に僕に結婚の申し込みをしたと言うんだ」

「俺、お義父さんには結婚の申し込み、してないし。つーか、許可いらないし。結婚はお互いの合意でするもんだし? ぜんぜんオッケーね」

 ニコニコ笑いながら言う肇に、貢の額の血管が狭窄した。

「君には常識というものがないのか。普通は互いの両親に会って、結婚の承諾を得て、次に両家の両親が顔合わせして、それから結納という運びになって結婚するんだぞ。そういう手順も踏まず、自分たちで勝手に結婚すると決めて、それで世の中、通るとおもっているのか!」

「とおるっしょ。それに、お義父さん、古いし。笑われるっすよ、そんな二十年も昔のしきたりをもちだすなんて」

 肇がけらけら笑った。

 キッチンから宝子が出てきて貢の前にお茶を出して、肇の分のお茶もローテーブルに置いた。

「肇さんもお茶、どうぞ」

「あ、どうも」

 肇は貢の座ってるロングソファと直角に置かれている二人掛けのソファーに座った。

 宝子は貢の隣に腰を下ろした。

「本当に二子ちゃんと結婚するの?」

 珍しく真面目な顔で宝子が尋ねると、肇はびっくりしたような顔をした。

「いやだな、おばさん。去年からずっとそう言ってるじゃないの。俺たち、本気だよ? 愛し合ってるもん」

「親の前で愛し合ってるもんなんて言うな!」

 貢は怒鳴った。

「いいじゃん、べつに。ほんとのことだもん」

 口を尖らす肇に、貢のいらいらがつのり、その矛先が宝子に向かった。

「宝子さん! あなたがしっかり子供たちを見てくれていないから、こんなチャラ男が二子ちゃんにくっつくんだよ。見てみなさい、この格好。髪は茶髪で耳にはピアスが四つもついていて、女みたいにネックレスはジャラジャラで」

 肇がまあまあと手で制して口を開く。

「髪の色は二子好み。ピアスは二子にあけろっていわれたの。このネックレスも二子からの誕生日プレゼントね。この指輪も二子が選んでくれたの。ファッションも全部二子。俺、まるごと二子の色に染まってるの。愛してるからね」

 肇が自慢げにのろけると、貢の鼻息が荒くなって目がつり上がった。

「し、しかし、君が勝手に二子と結婚すると言っても、君のご両親の意見もあるだろう」

「俺の親たちは二子のこと気に入っててすごく喜んでるっすよ。バカみたいに可愛い可愛いを連発してます。俺の家の庭に俺たちの新居を建てるんで、俺が図面引いたんすよ。なにせ、建築学科だから、俺」

「い、家を建てることまで決まっているのか?」

 貢は泡を吹きそうになった。

「あら、初めて聞くけど、その話」

 宝子も驚いた。

「二子から聞いてないっすか。しょうがないな。この前図面見せたのにな。二子はのんびりしてるから俺は気が抜けないっすよ。金銭感覚もずれてるし、料理や家事なんか興味はないし、結婚したら、俺がやることになりそうで怖いっすよ。でも、俺、二子を愛してるし」

「いちいち愛してる言うな。気色悪い。しかし、住むところはいいとしても、生活費はどうするんだ。いくら大学を出たからって、この不景気の時代に就職が決まらなければどうにもならないだろ」

「俺んち、工務店っすから。親父のところで働くっすよ」

「工務店なのか?」

「はい。六代続いた生粋の江戸大工の一人息子っす。親父、腕がいいんすよ。金持ちの特別注文建築って、めんどくさい、凝りに凝った屋敷の建築の注文が二十年先まで予約で埋まってるんす。これでも一応株式会社でして、そのうち俺が跡を継ぐから、二子は将来は社長の奥さん?」

 あはは、と笑う肇に、貢は言葉を失った。

 このチャラ男、もしかして、しっかり者かもしれないと思い始めた。

 そこへ一子が現れて「肇さん、いらっしゃい」と声をかけてから宝子に顔を向けた

「ママ、真珠のペンダントネックレス貸して」

 「一子さん、デートすか? うれしそうですね」

 肇が冷やかすように言うと「いやぁねぇ肇さんたら」と、くすぐったそうに肩をすくめる。

「真珠のだったら、ママの化粧台の右の小引き出しにはいっているわよ」

「ありがとう」と返事をして二階にあがっていった。

「一子ちゃんに恋人できたの?」

 貢はギョッとした顔で宝子に尋ねた。

「恋人かどうかはしらないわ」

「そんないい加減なことでどうするの宝子さん。どうしてあなたはもっと娘たちの交友関係に注意しないかなぁ。大事な娘たちに何かあったらどうするの」

「貢さんたら、帰ってきたらお小言ばっかり! 子供たちのことでわたしのことを責めてばっかりいるけど、わたし一人になにもかも押しつけて責任取らせるなんてひどいわ! 一子ちゃんも二子ちゃんも大人なんだから、いちいち親が口出ししなくてもいいでしょ!」

「あなたがそんなだから、この坂本肇みたいなチャラ男が二子ちゃんにガムみたいにくっついちゃうんだよ。一子ちゃんが会うっていう男だって、どうせろくでもないやつに決まってるよ」

「そんなの、会ってみなけりゃわからないじゃないですか。貢さんて、こんなに偏屈でひねくれた人だったんですね。がっかりだわ!」

「あなたこそ、こんなに間抜けな女性だったとは思わなかったよ。イブ君の成績が悪いのも、子供の頃から勉強させる習慣をつけさせなかったあなたが悪いんだ。あんなにバカな子供に育ってしまって、もう、取り返しがつかないよ。僕のかわいい、大事な一人息子だったのに!」

「イブちゃんのことをあなた一人の子供みたいに言わないでください。あの子はわたしに神様が授けてくださった、わたしの大切な息子なんですからね。頭が悪いって、そればっかり言いますけど、頭が悪いくらいなんですか。頭が悪くったってどうってことありません。頭がわるい人は社会の恥だとでも言うんですか。頭が悪い子供の親は小さくなって生きていけとでもいうんですか。頭が悪くてすみませんでしたね。頭が悪いばっかりに父親にこんなふうにいわれて、ほんとに可哀想な子。イブちゃんはわたし一人で育てます」

「宝子さん、イブ君のこと、頭悪いって、言い過ぎだよ」

「あなたが言ったんじゃありませんか。なんて卑怯なのかしら。見損なったわ」

「そこまで言うかな!」

 肇は夫婦の言い合いを、おもしろそうに見物していたが、ひょいと口を挟んだ。

「イブは俺が引き取るよ。俺、イブ可愛いし。新居にはイブの部屋も作るし、親父の下で大工の仕事をみっちり仕込んでもらうよ。だから、イブのことで喧嘩しないでよ。ね?」

 宝子と貢はぽかんと肇を見つめた。

「いやいや、イブ君はうちの大事な息子だし」

「そうそう、いくら頭が悪くても可愛い息子だし。ね、パパ」

「ね、ママ」

 貢と宝子は手を取り合って堅く見つめ合った。

 一子が外出の支度をして再びリビングに顔を出した。

「行ってきます」

 一子はピンクのスカートの裾を翻して軽やかに出ていった。

 そわそわしだした貢を無視して肇が宝子に話しかけた。

「デートの相手って、この前話していた水族館のイルカの飼育員の本田さんでしょ」

「ええ。イブちゃんがイルカのプールで遊ばせていただいたご縁で交際が始まったみたいなの」

「遊ばせてもらったんじゃなくて、プールに落ちてイルカに引きずり込まれて、溺れて死にかけたんでしょ。おばさんはのんきだな」

 あはは、と肇が笑えば宝子もあははと笑った。

「なにその話。僕は聞いてないよ。イブ君がプールに落ちて死にかけたって、なにそれ。笑って言うこと? 本田っていうやつのことも肇君が知ってて、父親の僕が知らないって腹立つなあ。どうして僕の知らないことばっかり、次から次に出てくるのよ!」

 癇癪を起こした貢の視界を伊吹が掠めた。

「イブ君じゃない? あの子、どこへ行く気なんだ。帽子かぶって、顔の半分が隠れるサングラスかけて、デイパックしょって、水筒と双眼鏡を首からぶらさげて、こそこそ足音忍ばせて、一子ちゃんのあとをつけて行ったよ」

「また何か始めたんでしょ」

 慣れたように宝子が言えば、肇が悔しそうに顔をしかめた。

「二子との約束がなかったらイブのあとをついていくんだけどなあ。すっげえおもしろいのにな。けど、俺、今日は二子と同伴出勤して服を選んでもらう約束してるしなあ」

「なに? イブ君がどうしたって」

「貢さんは気にしないでください。わたしたちは慣れてますけど、貢さんには刺激が強すぎると思うから」

 宝子の冷たい言いかたに貢はキレた。

「気になる! 気になるぞぉ!」

 伊吹のあとを追おうとして貢は立ち上がった。

 廊下を万作がさりげなく通り過ぎて玄関に降りた。

 奥の部屋から太郎と花子が走ってきて万作のシャツの裾を掴む。

「ぼくも行く」

「花子も行く」

「だめだ。留守番してろ」

 にべもなく太郎と花子の手をもぎ放す。そこにキツ子が遅れて現れて太郎と花子の腕を

掴んだ。

「きょうはお留守番ですよ。万作ちゃんは大事なご用でお出かけなんだからね」

「いやだ、イブちゃんと一緒に行く」

「いやだ、イブちゃんと一緒に行く」

 ウエーンと二人が泣き出した。

「万作ちゃん、早くお行き。一子ちゃんのデートが伊吹ちゃんに邪魔されたら大変だ」

 万作は困ったように髪をかき回しながら玄関を出ていった。

 それを見ていた貢が、太郎と花子の頭を撫でてから急いで万作のあとを追った。


      いち子ちゃんを追っかけろ  中篇に続きます。


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