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イヴの妄想  作者: 深瀬静流
12/17

花屋敷のばらでございます。 前編 

 花屋敷のばらは真っ赤なポルシェの助手席でゆっくり安全ベルトをはずした。

 その間に運転席から降りた、モデルのような美青年の使用人Aが、ポルシェの前を回って恭しく助手席のドアを開ける。しかしのばらはいっこうに降りようとせず、シートに座ったまま福沢邸の堅牢な玄関を睨みつけていた。

 バラの花をあしらったネイルアートの指先でいらいらと長い髪をかきあげ、深紅のシフォンのエレガントなワンピースの裾を直して足を組む。

 のばらの形のいい唇が、変形するほど歪み出した。

「どうして誰も出てこないのかしら。福沢様のお屋敷の執事は、大切な来客の出迎えにも出てこないほど礼儀知らずなのかしら。信じられない無礼ですこと。使用人A、ちゃんと万作様にはわたくしが来ることをお知らせしたのでしょうね」

「福沢万作様はお留守ということでしたのでお伝えできませんでした」

 使用人Aはさらさらの髪を少女マンガの主人公のように優雅にかきあげてほほえんだ。

「では、電話に出た人間には伝えたのでしょうね」

「いいえ、伝えておりません。福沢万作様にお伝えするようにとのお言葉でしたので、万作様がお留守とわかった時点で電話を切らせていただきました。完璧にお嬢様の指示通りでございます」

 使用人Aが誇らしげに胸を反らした。

「万作様がご不在なら、家のものに伝えておくのが常識というものでしょうが、この役立たず」

 のばらが吼えても使用人Aは動じることなくほほえみを絶やさない。

「有能な使用人はご指示を正確に遂行するものですよ。お嬢様」

「そういうのを機転の利かない役立たずというのです」

 この使用人Aは、姿だけは見栄えはいいけど、ほんと、使えない――と、花屋敷のばらは腹の中で舌打ちして優雅に車を降りた。

 彫刻が施された重い木の玄関扉の横に取り付けられたインターホンを押し、門柱に取り付けられた防犯カメラの前で髪を整えてポーズを取った。そしてにっこりほほえみかける。

“カメラを通して、今ごろわたくしの美しさに驚愕していることでしょう”

 花屋敷のばらは絶対の自信でふんぞり返った。

「はいはいはいはい。お待たせしましたー」

 インターホンから家政夫の鈴木さんの声が返ってきた。足下に犬がじゃれついているのか、盛んにワンワン吼えている。

「万作様、いらっしゃるかしら」

 高飛車な態度ののばらを気にするでもなく、鈴木さんは忙しげに早口で言った。

「坊ちゃんならお隣だよ、お嬢ちゃん。お隣に行ってねぇー。じゃ、おじさん、忙しいから切るねー。そうだ、行くなら坊ちゃんに電話があったって伝えてよ。やけに気取った男からの電話で、ハナヤシキって言ってたな。どこかの料亭だと思うけど、ハナヤシキから電話があったって伝えてね。じゃあねぇー」

 インターホンがぷつんと切れた。

「料亭ではなく、万作様の婚約者の花屋敷のばらですわよ。アホ!」

 切れたインターホンに怒鳴っても鈴木さんには聞こえない。それでものばらは怒鳴らずには入られない。そういう性格なのだ。

 生まれたときから結婚する相手が決められていて、その相手と成長記録の資料とホームビデオの画像をやり取りして早十七年。

 一度もじかに会ったこともなければ、電話で会話したこともない相手だが、花屋敷のばらは夢見る乙女だから当然婚約者に関心がある。

 万作の赤ちゃんの頃から始まって、愛らしい幼児期を経て少年から青年に成長した福沢万作の、男らしくもりりしいビデオの映像に、次第に胸をときめかすようになっていた。

 スイスの全寮制の女子寮で暮らしていたのばらは、周りを取り囲む同性に飽き飽きして、ついにスイスを飛び出して万作のいる日本に帰ってきた。

 婚約者と離れている必要などない。のばらも万作と同じ十七歳。日本で、万作の通っている高校に編入して、これからは万作の婚約者として、共に成人すればいいのだ。

 のばらの頭の中では、万作との愛あふれるバラ色の高校生活が展開していた。

 お隣というから、門を出たところの右か左にあるお屋敷に居るのだろうと思って、福沢邸の門の前にポルシェと使用人Aを置いてのばらは歩きだした。

 五十歩ほど歩いた塀の角に、猫の額ほどの狭い庭つきの二階家があったが、そんな安普請の建売にVIPな万作様がいるわけはないと思って、そのまま福沢邸の塀に沿って歩き続けた。

 ところが、歩いても歩いても塀が続いている。のばらはぎりぎりと腹が立ってきた。踵の高いハイヒールですでに一時間以上歩いている。

 お隣というから、すぐそこだと思っていたのに、こんなに歩くのだったら車に乗ればよかったと後悔しきりだ。とうとう一周して門に戻ってきてしまった。ポルシェの運転席では、使用人Aがシートを倒して居眠りしていた。王子のような美しい寝顔を見たらどっと疲れが吹き出してくる。二時間近くかけて塀を一周してきたが、お隣といえる家は、やはり最初にあった安っぽい建売の一軒家だけだった。

 あんなみすぼらしい庶民の家に万作が居るとは思えなかったが、念のためのばらは相田家の門扉を開けて玄関ドアのチャイムを押してみた。

「はぁーい。どちらさま」

 主婦なのだろう、ほんわかした声が帰ってきた。

「こちらに福沢万作様がいらしてるかしら」

 つっけんどんに言うと、相手はやはりほんわかと答えてくる。

「万作さんはまだ学校ですけど、そろそろ帰ってくるころですよ」

「そうですか」

 居ないなら仕方がない、出直してこよう。のばらは勝手に会話を終了して玄関に背を向けた。

 門扉を出て福沢邸に戻るために歩き出す。すると後ろのほうからべたべたと靴で地面を叩くように走る足音が近づいてきて、荒い鼻息が聞こえた。

「ぐびぇ、ぎびぇ、ぴぇぇ」

 鼻でも詰まっているのか、人間とは思えない声がする。

「待てイブ。走るな、転ぶぞ」

 さらに後ろから声がして次の瞬間、べちゃっと物が地面にたたきつけられるようないぶかしい音がした。

 振り向くと、中学生くらいの男の子がカエルがつぶれたような格好で転んでいた。

 派手な泣き声をあげて手放しで泣き出す。中学生にもなって、なんと運動神経の鈍い情けない子供だろう、とのばらは顔をしかめた。後ろから走ってきた大柄な高校生を見たとたん、のばらの心臓が躍り上がった。

「あれは万作様!」

 ステキ!

 高身長でハイクオリティー!

 知的でハンサムで男らしくて頼もしくて、足が長くてビデオで見るより断然かっこいいわ!

 想像以上のいい男にのばらは頭に血が上った。

 万作は倒れた男の子を抱き起こして、顔をすりむいていないか手で顎を掴んで点検すると、転んだときに両手をついたので、手も怪我をしていないか確かめる。チェリーブラッサムのようにかわいい男の子は、されるがままに甘ったれてビービー泣き続けている。とても中学生とは思えない情けなさだ。たぶん頭がゆるいのだろう。

 万作は腰のポケットからハンカチを出して少年の顔をくるくる拭いてやってから、泣くな、といってズボンの裾を膝までめくりあげた。

「痛いよぉー万札ぅー。血ぃ、いっぱい出てるぅー」

「だから走るなって言っただろう」

「だってぇー」

「しょうがないやつだ」

 万作はもう片方のズボンの裾もまくりあげて、こちらの膝は無事なのを確認すると、少年を軽々と背負って歩きだした。

「いつまでも泣くな」

 叱りつけても、万作の優しさがにじみ出ている。

 甘えて万作の首に両腕を絡めて、くたりと背中にもたれかかった中学生の男の子に、のばらの嫉妬がメラメラ燃え上がった。


                     ――後編に続きます――


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