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翼には、両親は居なかった。
何故居ないのかは、分からなかったがそれが当たり前で別段何とも思わなかった。
幸いにして、翼を引き取ったのは一族の長である七衛。
当時の日瀬家当主であり、最低限の衣食住は保たれ。
魔法師一族である事から、魔法師としての教育を受ける事も出来た。
ただ、周囲の余所余所しさは幼くとも敏感に感じ取っていたが、翼にとってはどうでも良かった。
気に掛かる事があるとすれば、教えられていた『真名』を持っていない事。
それだけだった。
「ねぇ、先生。どうして、私には真名がないの?」
何度聞いても、曖昧な笑みで明確な答えを得られないまま。
魔法師にとって、『真名』は心を魂をも縛る。
その人間本来の名であり、知る事の出来る者はごく僅かな限られた親しい者のみ。
当人は勿論、名付けた親。
そして、名を交わした者のみ。
魔法師にとって、『真名』は何よりも大切なモノであり。
それを交わすというのは、所謂婚姻関係を結ぶと等しい。
否、それ以上に重い意味を持つ。
それだけ大切とされており、仮に魔法を暴走させたとした場合には、その『真名』を持って止める事が出来ると教えられていた。
「なんで、私にはないんだろう……」
誰もが持つ真名を持っていない。それは、幼い翼にとって自分の存在を否定されているような気がしてならなかった。けれど、そこには大人達の様々な思惑が絡まり、付ける事が出来ないのでいたのだが、知る事のない翼にとって不安でしかなかった。
そんな翼に、真名を与えるのは共に修練を積むようになった、蒼柳連利が真名を持たない翼にそっと付けた。
「は、り?」
「そう、玻璃だよ。僕が、瑠璃だからね。1文字取ったんだ」
「玻璃、玻璃……」
「気に入った?」
「うん!」
唯一人、真名を持たない翼を可哀想と真名を与えた連利は、真名を与えたばかりかそのまま名を交わして、それ以来二人はずっと一緒に居るようになり、大人達の思惑から外れる事になった。
暑い夏の日に交わした真名は、二人の絆を強め地位を確立させていき、若くして当主と補佐官の地位に落ち着いた。
不安定だった翼は、連利の存在に安定して行き、連利は翼を支える事で力を増した。相乗効果が目に見えている以上、大人達は二人の関係に口出しする事が出来ないまま、口出しする者が居ない程になっていった。
屋敷の一角に、若い幹部を集い会議を行う一室が設けられている。
広い室内には、樫木で造られたテーブルと椅子が中央に置かれ、調度品も少なく実務的な造りをした部屋であった。
「定刻となりました。お集まり頂き、ありがとうございます」
然り気無く、腕時計で時間を確認した連利はテーブルに座した、各家の当主を見遣り丁寧に挨拶を述べ、立ったまま1歩後ろに下がり翼の座る斜め後ろに静かに移動をした。
「突然の召集にも関わらず、集まってくれ助かる。実は先刻、長から厄介な話が持ち込まれた」
「厄介な話?」
「詳しい事は、連利」
頷き、翼は後ろに控える連利に声を掛けて説明を任せ、集まった顔をゆっくりと見てから椅子に深く座り目を瞑る。
事の厄介さに、溜め息しか出ないが早急に手を打たないといけない事柄であるのは、否応なしに翼は理解していた。
更には、潜入員が誰が適任なのかも。
ぼんやりと、連利が説明する声を聞きながら真名を貰った日に想いを馳せる。
あの暑い夏の日に、交わした真名を………。
そして、これ迄に何度その真名により救われて来たのかを、充分に理解していた。
理解をしていたとしても、翼にとって潜入を任せる話を当人にする勇気が、まだ出来ないで居た。