探索者と軟体生物とダンジョン④
この物語は一つの大陸が舞台である。
人と魔がひしめき合う、広大な大陸である。
大陸は現在で言うところの「世界地図」として登録されている。
大陸の外における可能性は今のところ捜索されていない。
「全世界」とは「大陸全土」ということに等しい。
今より更に先である次世代の船舶製作の技術と、航海における航行技術の確立が確定するまでは恐らく大陸「外」への可能性を広げることはできない。そもそも。この大陸の人類の興味は「外」よりも大陸「内」に向けられている。
ダンジョンという魔物と宝が眠る地下迷宮。
未だ人類が到達できない最北の人類未踏地。
先人が見渡すことの出来なかった大陸全て。
飽くなき人類の探求心は未知で溢れる「内」側へと向いている。
もしもの話。たとえばの話。人類の興味が「外」へと向けられるのは一体いつの話になるのだろうか。新大陸の発見は誰が一番先なのか。そもそも新大陸は存在するのか。
その答えはまだ出ない。
それでも、これからの行く末で人類は必ず答えを見つける。
歴史はそうやって歩みを進めるのだから。
***
「お前は私が殺すんだ!」
そんな物騒な事を言って背中を預けている頼もしい女は、過去に出会い命まで奪われそうになったあの女盗賊だった。
迫り来る危険と殺意が顕現したと思わせぶりな矢が飛んできた。
ルートを外れて迷い込んだ森が、まさか異民族の土地とはいず知らず。チラリと見えたのは人間には無い尖った耳に、美しい美貌。
もしかして。今の矢を射った者には心当たりがあった。
矢を扱い、森の声を聴き、魔法の奥義を知るとされる部族。
「鉱石の声を聴く者」と呼ばれている、鍛冶で有名な小人族に並ぶ伝説の部族。自分は今ようやく、エルフの森に入り込んでいたことに気がついた。
何故、こんなことになってしまったのか。
それには、まず青年は数時間前の自分を思い出すことにした。
青年は地図を見ながら疑問に思った。どうして、この森を抜けることが出来ないのか。辺りを見渡せば、いつまでも似たような風景。
永遠と森が続いて抜ける事ができない。おかしい。地図の通りに行けば今頃森の獣道を抜けて
自治区の入り口に着いていても良い頃合いだ。なのに、何時間も歩き通してもいっこうに森の中。おかしいを通り越して、気味が悪くなってきた。上がりが無いすごろくを延々とプレイしている気分になってきた。
試しに近くの木々の根本に印なるものをつけて森を歩いた。10分ほど歩いて、見慣れた印がついた木を見つけたところで青年は歩くことを止めた。体力を使う肉体行動から、考えることを始めた。
「この森はおかしい」
結論から出して、原因究明は疎かだ。青年は脱出方法を考える。魔物の幻覚だろうが、正体不明の超常現象だろうが、関係ない。余計な事に考える時間を割くつもりはない。原因の元が目の前に現れたならば、その時に考えよう。
既に水晶から、鞘に収まったロングソードを出して手に取る。魔物――――モンスターとの遭遇も視野に入れる。
独りならば、この孤独に精神にダメージが入っていたかも知れないが、青年にはスライムがいる。
近くの巨樹の根本にもたれると、フードの中からスライムが出てくる。背筋を伝って、肩に乗っかると首筋に自らの水体を当ててきた。熱しられた頭が急速に冷えていく。
「そうだよな、まだ迷っただけだ」
スライムを撫でながら青年は自分に言い聞かせる。友人、いや仲間がいて良かった。青年はスライムに常に助けられている事に気づいていない。
「どうなっているんだよ、これっ」
いつまでも抜けない森に嫌気が差したのは青年だけではない。青年の後を追う女盗賊もまた森の被害者だった。距離を取りながら、大木の下でもたれる青年を凝視する。女盗賊は精神的にも、肉体的にも疲労が来ていた。
隙を見せ眠りにつく為に、青年がキャンプを張れば寝込みを襲うつもりだった。しかし、追跡を続けてから彼はそんな一分の睡眠も見ていない。自分の方が音を上げたいところだ。
しかし、青年に戦いを挑み、捕まったときはもう諦めていた。あの悪名高い監獄塔に運ぶ為に身柄護送で馬車に揺られていた時のこと。突然馬車が後転してしまった。絶望に身を置いていた自分が救われたのは偶然だった。助かるなんて思ってなかった。脱走してから知ったが、護送中の馬車の中にいた(女盗賊の他にも数人いた)人物を取り戻したい者達が起こした事。それは運命なんじゃないかと思う。
本来の目的が風化し忘れつつある今、己がすべき事は憎むべき青年への復讐だと、天の声が聞こえた。だから、必死そうな顔で走り回っている青年を、脱走してから一週間以内に見つけたのは当然なのだ。彼の後を追うことに躊躇いは無かった。
そこに理由はない。それが私の運命だった、というだけだ。
「絶対に殺す……」
もう少しで、青年は眠るはずだ。寝込みを襲い、復讐を完遂するのだ。両手に食い込む武器の感触は冷たい。
魔物と遭遇していないことから青年はエンカウントする事を考慮する。眠るわけにはいかなかった。体に鞭打って、無理にでも先を急ぐ。スライムをフードの中に入れ直して、森の中を進む。
重くなっていく手足は鉄でも担いできたように痺れが出てくる。瞼が視界と意識を切り離すべく閉じかかる。掌を頬に叩きつけ、眠気を有耶無耶にする。痛みが鈍く、眠気を全て吹き飛ばせるほどの効能は無かった。
ガサガサ、と蠢く草の茂みの物音に青年は目を見開く。しばらくして茂みの中から出てきたのは野兎だった。小動物はそそくさと、森の中へと繰り出す。それを見届けて無意識に力んでいた青年は、肩の力をそっと抜いた。
余計な力が青年の体力を着実に奪っていく。抜けられない森に、予断を許さない暗闇、まだ見ぬモンスターの姿の影。どれを取っても辛いのに、それが三重苦となって責め苦を強いてくる。
体力もいつまで保ってくれるか分からない。精神の方がもしかしたら、先に音を上げてしまうかもしれない。
後ろの茂みから、また音がする。また、野兎か何かと思って振り向くと刃が飛んできていた。
「なっ……いってっ…!?」
完全に不意打ちだった。剣を抜く暇も無く、飛来してきた物がナイフだと気づいた時には、ロングソードは間に合わなかった。鞘に収まったロングソードでナイフを弾く。
頭に刺さらないのが、むしろ幸運だったと言えるだろう。未だ出番を鞘の中で待つロングソードを引き抜き、茂みの中の来敵に敵意を向ける。
続けて別方向からナイフが飛んできた。今度は初見の反応に対して落ち着いた姿勢で、ナイフをロングソートでたたき落とす。余裕が生まれたことで対応が早くなった。
ただ、まだ見えずにいる敵の姿に不思議を感じた。こちらから飛び込んでも良いが、罠である可能性も頭の中に入れておくべきだ。
少し時間をおいて、ナイフが飛んでくる。ここで奇妙な敵の行動に疑問を青年は持った。
「消耗戦か!」
青年にとって、不利な状況は続くのである。
「ようやく気づいたか?」
女盗賊はこちらの意図に気づき、苦い顔をする青年の表情を窺い笑った。
明確な殺意の塊であるナイフを投げることによって、「敵」が己のすぐ傍で息を潜めている事を相手に伝える。同時に、姿を見せない事から敵の総数は一人ではないというブラフをたてる。あくまで、敵がお前の周りにいるぞ、というメッセージを無言のナイフと共に投擲する。
緊張が以前続けば青年は常に飛んでくるナイフか投擲物に集中を続ける。まだまだ余っているナイフに添えるように、森の中で拾い、研いでおいた折れ枝を青年へ投げる。
フェイクを織り交ぜて、更に精神と体力を削るのはゲリラ戦の戦法の一つだ。こうして弱っていく得物を後ほど確実に仕留めるためだ。時間差なのも、青年の緊張状態の維持の布石だ。
まだまだ苦しんで貰う、と言わんばかりに茂みの中を移動しながら宿敵の顔を見る。盗賊業を続けてきたおかげで、夜目はこちらの方が利くのだから。
研いだだけの折れ枝といった、殺傷力の薄い投擲物にまで注意をしなければならないことから青年の中に過負荷は溜まるばかりだ。積もり積もって負の感情という体積は増えていく。
時間はもう15分経過していた。青年の体感時間は、「敵」という存在が見えない位置から攻撃を続けるせいで限りなく引き延ばされる。一分一秒が際限なく伸びていってしまう。
最初のナイフの飛来から、16分が過ぎた時点で変化が起きる。ナイフや折れ枝ではない物が飛んできた。
青年へ真っ直ぐに矢が飛んできた。鏃の先が肩に突き刺さる。小さい突起が痛みを伴い傷口を広げ、血が熱を持って溢れていく。突き刺さる矢を取り去るべく、矢の精密さを高める矢尻の矢羽根を掴んで勢いよく抜いた。痛みがじわじわ、と来ていた。
ナイフから矢へ変わった武器変更の変化の匂いに青年は対応しきれていなかった。茂みの中で潜めていた気配(と、かっこよく言っているが青年は呼吸や物音を聴いて判断している)が強まった事に気づいた。
飛んでくる矢の数は増えて、ロングソードで矢を叩き落とすのではなく回避すべきだと判断を移して、飛んできた矢を転がって避ける。暗闇の中でナイフ以上の豪速である矢の群れに殺されかねない。
矢羽根を抜矢した時に触れていた矢の材質の感触は、滑らかで良い材質の木を使っていることが理解できた。独特で非常に堅い樫の木に似た感触を感じたし。
野兎とは比べる間もなく大きい生物が茂みの中からバッと出てきた。暗くてどんな生物かは分からなかったが、二足歩行と暗闇でもハッキリとした体のラインは、人間であるということはハッキリと分かった。
「んだ、これ!?」
高い声から女ということが判明した。女の顔は暗闇で分からないが、茂みの中からこちらに走ってきた地点を、精確に矢で射られている事から同じ境遇(敵から攻撃されている)の人物のようだ。
不思議と聞き覚えのあるその声に頭を傾ける。ボニーテールとこの服装。暗闇でも近づいて、よく見れば見たことのある顔で、よく知っている。忘れようがない。
射撃され続ける矢を女――女盗賊は手に持っている短剣で器用に叩き落とす。驚異の集中力と技術である。それとも、この土壇場で底力を発揮しているのか。
茂みの奥からチラチラと見えている金髪や長い耳から察するに、昔のおとぎ話の世界に出てくるエルフの特徴に合致している。弓矢を扱い、自然と生きる森の民。森を愛するエルフは過去の人間と争いから、人間を毛嫌いし、不浄のモノと見ている。
聖なる森に迷い込んだ不浄の塊をエルフは浄化しに出てきたに違いない。
「お前は私が殺すんだ!」
無意識に互いの背後をかばうようにカバーしあう形となる。敵の敵は味方ということだ。
奇妙な共同戦線が幕を開けようとしたところで、青年の意識は体全身を突き刺す鋭い痛みと共に沈んでいった。これからだというところで、意識は闇の中へ葬られたのだ。
***
体の痺れが痛みを伴って駆け巡る。意識が、現在に追いついた。夢から唐突に覚めてしまい、頭が痛い。
現状理解をする。俯せに地面に倒れていて、背中に圧迫感を感じた。背中の圧迫を払いのけるために、立ち上がろうとする、と重量がのしかかる。岩のような無機質感ではない、人の体温を感じる有機物。女盗賊が青年の背中に腰を下ろしていた。
「ここはどこだ、っていう顔してるな?牢獄だよ」
意識が戻って、付近にいた女盗賊から開口一番に聞いた事実で、青年は酷く落胆した。背中に女盗賊が腰を下ろしていたことよりも、だ。
次の瞬間には、首の肌に圧迫と痛みを感じて、疲労が飛んでしまった。女盗賊の掌がギリギリ、と首肌に食い込み、骨が軋んで悲鳴を上げた。
「な、っにぃ、をっ……!?」
抗議の声を上げようとするも、食い込み続ける掌によって声帯から発する声が圧殺される。
「お前と牢屋へぶち込まれてから……殺したくて仕方が無かったんだよ」
殺意によって塗り固められた彼女の声に暖かさは無い。只、殺す、という一点に過密している意志しか伝わらない。起きあがろうとすれば、体を押さえつけられる。
やばい。これはやばい。死ぬ。殺される。こんなところで。誰も知らない奥深くの牢獄で。エルフに捕まって。女盗賊に殺される。殺される。
青年はひたすら弱気になっていく。体に残存していた疲労と痺れが、この逆境を跳ね返す余裕を与えない。ゴリゴリ、と心臓を鑢で削られていく気分だな、と青年は危険に晒されているのに自然と落ち着いた。死を目前に、直視した副産物なのだろう。
死に抗うために全身の体温が上昇して熱くなる。指にはめていた指輪の無機質な冷たさが妙に身に染みる。じんわり、と染み込んでいく。
自然、と立ち上がれた。あまりにもあっさりと立てた事に、青年自体がその場に立ったことに気づけなかった。指輪に意識を集中して、青い宝石がほんの小さく照り輝いたこと。
立ち上がり、身長差と腕力から形勢はさっきと全く正反対になった。女盗賊からすれば、皮肉なモノである。
「わかった、わかった。私の負け!負け!」
剣は無くても、青年の男としての腕力によって女盗賊を容易くねじ伏せる。青年は女盗賊に恨みはないので(女盗賊は青年に対して恨みしか無いが)、殺すこともなく調伏することでこの場を制した。
ギブアップ宣言を受けて、青年は女盗賊の上からどいた。
こうして、つつがなく牢獄の中での上下関係は決定する。
青年は女盗賊から聞いた話をまとめてみることにした。
どうやら自分が突如、倒れてしまったのはエルフが射た矢に塗られた毒(予想予測の仮説で真実ではない)の影響のようだ。遅効性だっただろうか、それとも掠っただけでもこの効能なら本来はもっと早くに倒れたかもしれない。
一人では勝てない、と即時即決を決め込んだ女盗賊。武器を投棄し、彼女は武装解除した。こうして、二人はエルフ達に拘束されて移送された(女盗賊も途中で意識を飛ばされて、ここがどこか分からないそうだ)。
秘密を知られたからには生かして返さない。
そんな何処かで聞いたような、在り来たりな怪奇憚の言葉が脳裏を過ぎる。
ここから起死回生のチャンスは訪れるのだろうか。そもそも助けの手が差し伸べてくれるのだろうか。
ぐるりと、牢屋の中を見渡してみる。
牢屋は目算で7,8畳。右端に用を足すための厠がある。臭いを閉じこめる為に、蓋がついていたのはありがたい。
「助け来る?」
女盗賊が牢屋の隅で膝を抱えて、伏し目がちだ。彼女の表情から絶望の難色を示しているのは明らかだ。
今後、青年に降りかかるだろうエルフによる処刑を想像した。想像したら、己にどれだけむごい事がやってくるか。拷問か、尋問か。
どっちでもいい。否、青年は自らに言い聞かせ、同じくして嘘をつく。嘘をついて、目の前の現実から目を背ける。耐え難い現実からの逃避は、人間が極度のストレスを和らげるのが目的だ。
だから嘘を言った。
「きっと来るだろ」
無責任にも程がある。その嘘に保証はない。苦し紛れに言い放ったその言葉を受けて、女盗賊は静かに苦笑を浮かべた。
会話をしようか、と女盗賊に言えば、
「めんどうくさい」
そっぽを向いて、そう言った。いくら腕力で負けて力関係は肉薄したといえど、それは出るまでの話。元々、敵とも言える相手と呑気に話すこともないだろう。
青年はため息をついた。
自分の安否と置かれた状況確認の次に、青年は心配すべき懸念が増えた。青年のフードの中からスライムが消えていたことである。
まさか倒されたわけではないだろう、と考えた。
まさか見逃してくれたのではないか、と考えた。
スライムの無事と安寧を祈りながら、牢屋に唯一の光が差し込む高窓を見上げた。高さは大体3m弱といったところか。
光の明るさから、まだ昼間だということが分かる。青年は少しでも情報集める為に女盗賊にある提案をする。
「あの窓から、外がどんな感じか確かめよう」
「…窓?」
「あれだよ、あれ」
女盗賊は素直に提案を受け入れてくれた。それとも、ただ単に脱出する為の確率を上げる算段なのだろうか、と青年は考察する。捕まって同じ環境に居る以上は運命共同体である。段取りと説明を受けて、開始する。
女盗賊が青年の肩に跨り、立ち上がろうとしたところで一言彼女は言った。
「へんな所、触んなよ」
「触らないって」
今更分かっていることを言わないで貰いたい、と青年は考えながら立ち上がる。肩車しても、まだ少し届かない。
予定の範囲内の出来事だった。足りなかった高さを補填すべく、女盗賊が青年の肩を踏みしめて立ち上がる。女盗賊がバランスを崩して後ろに倒れないように、青年は足首を掴んだ。
「うぉ………手ぇ冷ぇぞ!?」
「それは悪かった」
「……てめぇ」
どうやら青年の掌が冷えていたらしい。言われてみると、掴んでいる足首の方が暖かく感じる。青年へ睨んだ視線を向けたが、そんなことよりも窓から見える光景を優先した。
女盗賊は外の様子を見て、しばらくしてから、青年の頭上で声がする。
「もういいぞ」
その声を合図に体を低くして、女盗賊が肩から飛び降りる。女盗賊の表情は暗く、良い報告は受けれそうになさそうだ。それでも、情報は共有しておく必要がある。青年が聞いた情報は更に場の空気を悪化させた。
「ここ、塔の中だ」
***
絶望と共に夜明けはやって来る。牢獄の中の囚われの二人の寝覚めは良好とはいえなかった。どちらか言えば、往生際が良かった。
どういう原理でこんな建造物があるとか、そんな原理は、この場合の懸念から除外された。そんなことはこの際、どうでもいいのだから。
自分たち二人は、高い塔の中で囚われている。その事実だけで十分だった。御伽話のお姫様なら、嬉々として白馬の王子よろしく助けを待っていたのだろう。囚われの姫には、ヒーローが訪れて悪の魔の手から救い出し、ハッピーエンド。
しかして、それはおとぎ話の範疇である。現実は違う。助けなんか来ない。
このエルフの森に入った事を知っている人物が、女盗賊と青年という目下囚われの身である御身以外に知り得る人物はいないだろう。女盗賊の素性はいざ知らず、としてもだ。
青年は分かっている。一度、同期だった男の小話である。ギルド内でダンジョンに行ったきり、ついぞ男は帰ってこなかった。きっと、死んだのだろうと皆は予見した。便りもなく、戻る気配はいっこうに見せない。
青年は悟ったのだ。男は死んだのだ、だと。そうして自分はそうはなりたくない、と自戒と共に自らに言い聞かせるように奮い立たせる。失敗談や経験則みたいに、積み重なるだけだ。所詮は他人事なのだ。
仲間の異変を感じて熱血漢の如き、意欲を見せて友を探す人情溢れる男。否、東の島国の言葉で言えば、益荒男というのだったか、と青年は考える。そんな男の中の男は自分の中の人脈にいなかったことを思い出す。
一人だけ。あの人物ならば、もしかしたら。そんな純情な乙女が想い人に胸の内を明かし、断られたセンチメンタルな気分になる。
やっぱり、無理なんだろうな。
手元にある食糧にかぶりつきながら、腹を満たして青年はため息をついた。パンに似た、小麦を使った食べ物だと食感から分かった、味は素っ気なかったが、空腹が後押しして美味しく感じた。
「パンの親戚か?」
それは、エルフからの施しだった。それでもエルフは姿を見せるのだけは嫌っていた、という考えは当たっていた。夜が明ける度に、牢獄内に一日分の食事と思われる量が皿に置かれている。パンの親戚と思わしき食べ物と果物が基本食である。
捕虜を餓死させる気は無かった。それでも、安心はできない。青年は最初、毒が盛られている可能性も考えた。少量しか食べないことにしたが、空腹に耐えかねて全て平らげる。
女盗賊は一貫して、エルフから与えられる食事に手を付けなかった。二日間に渡り、女盗賊がいらない、と答えた。その度に青年は、じゃあお前の分も貰うからな、と言いながら女盗賊の分を食わずに確保だけする。念には念だ。
何も食べず、何もしゃべらずに牢屋の中で横たわる女盗賊。彼女のお腹からは、時を挟んで空腹を知らせる虫の音が聞こえてくる。その度に顔を赤くしていた女盗賊の横顔を青年は横目で流し見る。
屈辱と空腹に耐える彼女の横顔は健気だった。
しかし、それも三日目の朝(青年が目覚めた日を初日として、その二日後)で孤独の抵抗は終了の鐘を告げる。礼儀を持って青年は、今日もいらないのか、と聞いたところ、
「いや!! 私も食べる」
そう彼女は答えた。
「…! そうかそうか」
空腹には勝てなかったようだ。確保していた分も含めて3日分の食事の半分を食べ終える頃には、牢獄内で初めて笑顔を垣間見せた。
「………うめぇ」
そうポツリ、と彼女は呟いた。
四日目を迎える頃、ようやく青年は女盗賊と会話に漕ぎ着けた。
「お前、何で盗賊なんかやっているんだ?」
「アぁっ?」
切り出しは悪かったか、と青年は思ったが取り越し苦労に終わる。変わらぬ口調で女盗賊は問いに答えを返す。
「気づいたら、成っていた?」
厳密には解答ではない。疑問に疑問を重ねる愚答である。青年はしばし考えてから、また聞く。
「気づいたら?」
「そう」
「いや、だから何で盗賊業に?」
青年の、藪をいくらつついても本命の答えが出ず、むしろ混乱する解答には頭を悩ませる。
「色々やってみたら、天職が盗賊だった」
意見を挟みたいところだったが、言葉を受け止めるだけにしようと青年は思う。腹の中で飲み込んでみる。再び、疑問は浮かんできた。
「他に道は無かったのか?」
女盗賊は考え込んだ顔をしてから、青年に答えを返した。
「無かったさ」
すぐに他の方向へと顔を向けた女盗賊の表情からは、心の深層を窺い知れない。何を思っていたのだろうか。
***
ユニコーンを探した時は5日目の終わり。ここに投獄されてから、5日目の朝の事である。状況は一変していた。青年は「5」という数字に愛されているのかもしれない。反面、彼が「5」が好きというわけではない。嫌いでもないが。
塔の中事態も静かだったが、その日は騒がしかった。騒音、と形容した方が正解だろう。騒音は時間を過ぎていく毎に大きくなっていく。
「………やばくね?」
女盗賊が無神経に呟いた、その一言に大いに頷きたい。但し、檻の中から出られないという壁が情報をブロックしている。
火災や天災が起きたような喧噪ではない感じがした。それは、あくまで青年の勘と予想。火災でない、と断言したのは火による災いによって起きる火の臭いがしなかったことと、煙がないこと。天災でない、と思った理由は唯一の窓から見える空の景色が「天晴れ」と呼べる程の快晴。
雲一つない、誰がどう見ても分かる晴空だ。これにより、天災でないことは分かる。
「残る案は……」
「ぎぃ―――ぁ!」
ここに来てから近く(それでもエルフの姿は見えない、牢獄の部屋の外だと思われる)から悲鳴が聞こえた。初めて聞いた、顔も知らないエルフの声は苦痛に耐えかねて口から捻り出たのだろう。
「エルフの悲鳴?」
悲鳴が上がったことに対する未知の恐怖を肌で感じながら、青年は呟いた。
「おい、何でエルフなんだよ?」
「ここはエルフの住処だ、エルフしかありえないだろ」
女盗賊は、おーっ、と感心したように声を上げた。青年は、女盗賊の納得した声色をよそに考える。発生した混乱に乗じて逃げる算段を。
「………無理だ」
この牢屋を出るための鍵が無い上に、武器も無いのである。そう、考えていると牢獄の格子を挟んだ向こう側に一人の男が立っていた。
突然現れた、男の容姿を確かめる。エルフのような尖った耳が無いし、美しい相貌とは言えない平均的な美貌である。男は青年と女盗賊の姿を目に捉えると、牢獄の格子の前まで来ると、男が掌に握っていたモノをぶら下げて、こちらに見せつけるように差し出す。
「こんなところにいたか」
男は青年を見ながらそんなことを言った。言葉に含まれた感情からは迷走した子供をようやく見つけた親のような甲斐甲斐しさにも聞こえた。
言われた青年はその言葉を頭の中で反芻させる。言葉の意味から察するに、男は自分を捜してここに来たということになるのだが、青年は男とは知り合いでも無い。こんなエルフの隠れ里にまで見知らぬ男が自分を追ってくるのとなると、どんな事情が絡むのか。
黙考していた青年に、女盗賊が肘で小突きながら小声で声をかけてきた。
「誰だ、お前の知り合いか?」
女盗賊の知り合いでもないことが今の彼女の発言で確定する。該当しているのは青年だけとなった。けれど、いくら記憶を探っても男の顔は誰なのか思い出せなかった。
「お前は誰だ、という顔をしているな」
男はどこからともなく羊皮紙の紙を取り出し、青年に見せつける。そこに書かれている内容を読みとり、青年は全てを理解する。この男は雇われた傭兵で―――自分を何故ここまで追ってきたのか。
「遠方遠征「大迷宮」攻略」
「ようやく分かったかって話だな」
羊皮紙に書かれた依頼状には青年を捜し出して、探索者組合本部まで連れて来いとのこと。傭兵の補足説明によれば、参加有無についての解答の返文を本部に提出しなかったこと。
経済都市ベルンから行方知れずになっていたことから、捜索依頼が傭兵に向かったことだった。
「因みに、そっちの女はコレか?」
傭兵は苦笑を浮かべて、小指を突き立てながら言った。青年が正否を返そうとしたが、それよりも女盗賊が青年を殴りつける。頬に鈍い痛みが走るが、体重の乗らない軽い拳だった。
「いてぇ!」
「誰がこんなヤツなんかの!」
傭兵はそれを見て肩を竦めた。殴りつけられた青年を見て、少し申し訳ない顔をしていた。女盗賊の癪に触る発言をして、青年が殴られる要因を作ったことからの謝罪の意を含んでいるようにも感じ取れる。
殴られた青年は、傭兵の不用意な発言よりも女盗賊が殴った、という事実の方が怒りに傾く。
「そうかい。どっちにしろ、いつまでもこんなところにいても一銭の得にもならねぇって話だな」
牢の錠を鍵で開錠し、笑いながら指を指した。
「お二人さん、体は鈍っているか?脱獄明けには少しきつめのランニングと行くが、覚悟しろよな―――って話だ」
***
牢獄塔を一気に走り抜けながら、外へと走るまでの道中に気絶させられたエルフを横目で流し見する。パッと見はこれといった流血や傷が無いことから、一方的に気絶させた。
手加減して、相手を無効化するには強さが必要なのだ。この傭兵が力量の高いことが判明した。牢獄塔の一階の大部分は牢獄ではなく倉庫になっており、収容した囚人から没収した持ち物が保管されていた。
倉庫を他に造る案は無かったのだろうか。脱走時に同じ建物内に持ち物があれば、持ち物を探す手間が省ける。脱走を確実に成功させる為の確率は更に上昇するに違いない。そういう倉庫と牢獄は出来るだけ遠くに造るべきで、そもそも牢獄周辺に倉庫があってはいけない。
倉庫はモノを置く、ということが主要でモノを大量に置かれているのが通例だ。その大量物の中に紛れることで、隠れる事が可能だ。故に倉庫といった「隠れることのできる場所」は遠ざけなければならない。
青年は考察から、エルフ達は牢獄から囚人が脱獄できないとでも思っているのだろう。塔を下りる際に(青年達よりも上の階があったが、気にしていられない)自分たち以外の囚人はいなかった。
しかし、倉庫内には自分たちの持ち物以外に埃を被った道具や武器が置かれていた。牢獄に収容されて生涯を終えた人がいたのかもしれない、その人の持ち物が今も残っている。というところまで青年は想像して、自分の荷物を探す。
大した時間はかからなかった。
「見つかったようだな」
青年は自らの荷物を抱えて、倉庫を出ようとしたが女盗賊は埃を被った物の物色に余念を割いていた。
「こんなところに押し込まれたんだ、ちょっとは貰っていくぜ」
この非常時に何をしているんだ、と言いたかったが先程殴られた頬がズキリと疼いて言葉を押しとどめる。本職が盗賊なのだ。大した時間はかからなかった。
小さく金目になりそうな物を目星で見つけた女盗賊は用を終えて誇らしげに、さっさと行こうぜ、といった。呑気なモノである。傭兵も時間に関して(盗賊業についても)咎めなかったが、咎めない理由は外に出ると分かった。
「燃えている!?」
西の方角の晴空が、紅く真っ赤に燃えていた。火災の気はしなかった、と思っていたのだが予想は見事に外れた。予想が外れた原因は、牢獄内から唯一見えた空の方角が東だったことだ(空の方角は傭兵に聞いた)。
「エルフは森を神聖と見ているらしいからな、火を森にかけてやれば慌てふためき消化に人員を向けるさ」
傭兵は、民家には火をかけていないからな、と言葉に加える。エルフの信仰を上手く理解し、利用した手腕に女盗賊は傭兵に感心していた。
「お前、ワルだな」
女盗賊は親指を立てて、尊敬の意を(女盗賊なりの)讃辞と共に送る。
「それほどでもない」
傭兵は謙遜して前へと走る。己が行った策を褒められ、悪い気はしなかったらしい。但し、森を燃やした事への罪悪感でもあるのか誇らしげではない。そういったところは、ある意味善人っぽい臭いがする。
「急ぐぞ、ここからはエルフとの交戦もあり得るからな」
遠距離から飛んできた矢を掠って、青年は神経毒にやられたことを思い出す。次からは矢の軌道だけでなく、矢の鏃にも気をつけることにしようと堅く誓う。
青年達は東の方角へ走り抜けるが、エルフが消火活動を優先したおかげで一度も交戦することなく森の中へと逃げた。再度、捕まることを危惧したので森を一気に駆け抜ける。
森を抜ける頃には空は夕暮れ空を迎えていた。エルフの里は森の中でも特に深いところにあったらしく、いくら移動しても森を抜けることができない。
結局、森を抜けると同時に青年達一行は朝日の顔を拝む結果になっていた。森を脱出する際に、女盗賊とは別れた。
「これ以上、お前の顔は見たくねえ」
青年に悪口を数点吐き散らして、どこへともなり走り去っていった。その様子を見て、傭兵はこんなことを青年に言った。
「ずいぶんと嫌われたモンだな?」
放っておいてほしい事だったが、傭兵は突っかかってくる。色恋沙汰に多感なのか、興味があるのかは知らないが。傭兵は恐る恐る青年に問うた。
「もしかして、襲ったのか?」
「違ぇよ!?」
***
「珍しいな、スライムが人間に懐くなんて」
傭兵は青年のフードに収まっているスライムを見ながら感嘆し、そんな言葉を漏らした。スライムに敵性が無いことを知り、呑気に観察している。
青年は、スライムと森の中で奇跡の再会を果たした。森を疾走していると、夜目が利く女盗賊は魔物がいると忠告した。スライムがいると聞き、もしかしたら、と祈れば青年はその方向へと向かうと案の定―――捕まってから別れてしまった相棒がいたのだ。
女盗賊と傭兵に事情を話し、半信半疑ながらもスライムが襲ってこないのを見て二人の納得を得た。そうして、現在に至る。
青年と傭兵は青年の友人が待つ自治区に向かって歩いている。後、数刻も経たない内に自治区に辿り着くだろう。今回の大遠征についての情報を傭兵から青年は聞き出している。
「お前が達成したと、ほぼ同時期で迷宮達成した「勇者」や、大国の「色持ちの騎士」と部下数名、後は俺と同じ「傭兵」が何人か参加だな。探索者の中では、有力な探索者組合の「攻略経験探索者」が参加を表明している」
「……マジか」
青年は聞けば聞くほど表情が驚愕に固定される。今回の大遠征に力を注いでいるかよく分かる有意義な話だった。
「で、結局どうするのかって話だ?」
「どうするって?」
「お前は参加するか参加しないか」
青年は考え直す。エルフに捕まり、一時は死を覚悟した。一生、牢獄の中で生を終えると。家族の事を思い出し、何の目標も無かったはずの青年は思ったのだ。
歴史に名を残すことなくこんな誰とも知らず牢獄の中で死にたくはない、と。女盗賊が寝静まった頃に、青年は一人孤独にそんな事を祈った。
すると、どうだろうか。世界は青年を救った。こうして、牢獄から逃げ出て来たのだから。今でも遅くはないだろう、と世界に言われたような気がした。参加したくないと決めたはずの過去の矜持を持った自分と、矛盾した感情を今の自分は抱え込んでいる。
青年の意志が弱かったのではない、じわりじわりとやってくる死の恐怖は彼を挫かせるのに造作もなかったという訳だ。青年は酷く自分の心情に混乱したが、
「お前ならやれると思う」
傭兵の言葉が青年の心を鋭く揺さぶられた。未だに答えを出せずにいた青年の後押しとして、大きすぎたのかもしれない。これが青年にとって大きな選択なのは、自分自身もよく分かっている。
だから、青年は他人の後押しの言葉が一番大事だった。
「やっぱり、参加する」
「ふむ、それなら頑張れよって話だな」
傭兵がニヤニヤしながら青年を励まし、引き続いて歩いていると、自治区が遠目に見えてきた。もう、目と鼻の先だ。
因みに傭兵によると、期日までの余裕から青年の友人と会うくらいの期間はあるとのこと。森からの距離が自治区と近かった事が幸運した。それと、傭兵の懐の深さだろう。本来なら、探索者組合本部まで強引に連れて行かれたに違いない(組合の権力を使って)。
自治区はその周りを大きな塀(といっても、魔法大国ほどではないが人間の進入は容易ではない)を覆っている。入り口の扉には自警団と思われる、金属の胸当て《プレート》や兜といった装備で身を包む兵士が扉を挟むように両端に立っていた。
友人からの手紙に添えられた書類(これによって入地にかかる手間が減るらしい)を渡し、入地許可を受け取る。滞在日数はどうやら5日間が最高のようだ。5、という数字には縁というよりも運命しか感じない。
ここまで来ると呪いだな、と自嘲しながら笑った。いや、やっぱり笑えない。
自治区内の規律について散々言われた。自治区内での犯罪行為は自治区内でのルールに従わなければならない、は特に念を押された。
犯罪をするわけがない青年と傭兵は半ばに聞き流し気味だった。
こうして、手続きを終えて来賓客や外の人間を泊める宿屋に荷物を下ろしに向かう。宿屋が一軒しかないのは、「外の人間を一カ所に集中させる」のが目的なのだろう。二カ所ともなると、見張ったりするのに面倒だからだ。人員も二カ所と一カ所じゃ大きく違う。
宿屋に向かう途中で、思いもよらない知り合いに出会ってしまった。傭兵に先に行くよう伝えると傭兵は、
「言われなくても分かるが、逃げるなよって話だ」
そう言って、先に行ってくれた。青年はその後ろ姿を見届けるとその知り合いに向かって歩いていく。
これで何度目だろうか。
その知り合いは青年よりも先に、向こうが話しかけてきた。
「また、お会いするとは思いませんでした」
いつもと変わらぬ笑みを浮かべて彼女―――魔王娘はこちらを見ていた。
***
自治区の道端で魔王娘と青年は通算三度目の邂逅を果たした。
「こんなところで会うなんて、奇遇だな」
「全く、その通りですね」
相槌を返してきた魔王娘はどこか嬉しそうに笑みを表情に前衛に出してくる。嬉しいことでもあったのだろうか。
「そういえば、その指輪……つけてくれたんですね?」
その指輪とは、青年の指に嵌っている青い宝石の指輪のことだ。青年は思わず聞き返す。
「これか?」
指輪をつけていた事が魔王娘にとって喜ばしいことだったのか、益々魔王娘の顔には笑顔が出ていく。その喜びように、照れを覚える。
「魔導皮膜付きのモノだし役に立つかなーって思っただけ
だ」
誤魔化した。これだけわかりやすかっただけに、それを聞いた彼女は。ツンデレさんですねー、とせせら笑う。
「この指輪の効力は?」
譲渡だけで、効能については不可解である指輪。いかな力を秘めているのかは聞いておくべきである。
「?」
魔王娘は首を傾げて、何を言っているのだろうこの人は、というニュアンスに見えるジェスチャーをした。可愛らしいが、青年から見ればあざとく見える。
「その指輪に力を込めましたか?」
どうやら力を込めることで、発動する魔法が備わっているのだろう。青年は一連の会話から、その事実を確かめる。
「「立ち上がる」こと、……それが」
ピッと青い指輪に指を向けて、言った。
「その指輪の力です」
「それだけ?」
「え?」
がっかり半分、驚き半分というのが青年の今の感情の割合だ。青年の本音、実は指輪には攻撃魔法が使えるとか、身体能力が鬼神の如く強くなるとか。
魔法の中でも、とてもポピュラーな効力がある指輪なのではないかと期待していた。期待は容易に裏目に出た。効果を聞いて尚も指輪を捨てることはない。
青年はいかに自分が貧乏性なのか再認識する。
会話を置いて一呼吸する。
彼女はにこやかに笑った。植物で形容するならば向日葵のような笑顔である。止めようのない笑顔だ。
青年は魔王娘の、その姿を見て酷く歪んで見えた。先程の、奇遇という巡り合わせの言葉に。素直に頷いた魔王娘に疑惑を感じる。真実を問わなくては、その歪みを修整できそうにない。
だから、聞く。疑問をぶつけてみようと思う。
「あの傭兵に情報渡したの、お前だよな?」
彼女の向日葵みたいな笑顔がひきつった瞬間が訪れた。隠し事や嘘がばれた子供みたいに幼稚で頼りなさそうな印象を与える。
「何故、そう思ったのですか?」
彼女は笑顔を崩して、こちらの瞳を覗き込む。どうしてそんなことを聞いたのだ、と言い出しそうに悲しみに沈む。
「俺の行く進路上に知り合いが居たら、」
悲しむ顔をする魔王娘に言葉を続ける。青年は思う。今の自分は声を荒げていたのかもしれない。
「そいつが傭兵に情報を出してくれた人さ」
聞き出すまでもなく青年は推理していた。あんな山奥のエルフの隠れ里に牢獄されていた自分を、どうやって傭兵は見つけることができたのか。傭兵からは既に聞き出していた。
しばしの時間を、間接して口を開いて答えを出す。
「……正解です」
「………そうか」
その答えを聞くと、青年はすごく残念な気分になった。抽象的で曖昧極まりないが、そうとしか言いようがなかった。
この想いの答えを書き表すならば、どう書こうか。
悲しみを浮かべ続ける魔王娘の顔を見ていられなくなる。青年が自分自身でその原因を造ったことを棚に上げる。
そらした視線の先に、ガラスが反射した光景で分かった。
「ああ、そうか―――」
魔王娘が笑顔を引きつった理由が、近くにある家の窓を見て分かった。今、自分がどんな表示をしていたのかを。
すごく歪んでいて、歪な怒りの顔だ。
こんな顔で、質問を続けてしまったのだ。魔王娘も、青年の感情の異変を簡単に察知するだろう。失望に満ちた瞳で見られ、怒りが見え隠れする感情の言葉だ。
これからどんな怒りの吐露が来るか、それを想像して魔王娘は悲しんだのだろう。
「今夜、暇ですか…?」
魔王娘は空気(というよりは、青年に悪い印象を与える話が続くコト)を変えようとしたのか、笑顔を無理に作って提案する。
「暇だよ」
声を切り替える。なるべく普通に戻す。彼女に安心を与えるために。青年が、彼女の悲嘆を形容する顔を、今はもう見たくない気分から来る心遣いだ。
夜の宿屋にわざわざ訪問してくれる、という約束を取り付けると魔王娘は去っていく。去り際に見せた顔が酷く落胆していたように、青年には見えた。多分、気のせいだろう。いや、気のせいだったと思いたい自分が居たに違いない。
そんなこんなで、それから夜まで特にやることもなかった。友人を訪ねようかと思ったが、家に向かえば諸事情で明日まで帰らないそうだ。やむを得ず、宿で暇を持てあます。
傭兵は疲れたから今日はもう休む、とのこと。捜索に使った体力を回復に充てるらしい。彼曰く、ここのベッドは最高だとか。
体を休めるべくベッドに青年は寝転がる。彼の意識が断絶し、それから目を覚ます。覚醒した宿屋の窓から見えている世界は既に闇に染まっている。
「癒される」
彼は暗黒世界を眺めながら、スライムを愛でるように表面を撫で上げる。その後、宿屋から出される夕食に手を付ける。ちゃんとした食事で胃を満たす充足感に青年は満足する。
光源がランプだけにするように宿屋の店主から告げられる。夜は灯りをできるだけ消すように、とのこと。
青年はスライムにも主食である水を与えようとしていたところなので、慌ててスライムを影に隠す。魔物が宿屋内にいると発覚すれば、宿屋から青年は追い出されかねない。
店主が身を引いて、ゆっくりと扉を閉じる。こつこつ、と廊下から足音が聞こえてくる。階段を下りる音が聞こえたところで、青年は安堵する。
時間に意味を持たせることなく、無意味な時間が通り過ぎていく。
数刻おいて、コンコン、とノックの音が聞こえた。扉からではなかった。夜の月光が漏れる窓から聞こえた。
「…入ってもいいですか?」
よく聞かなければ聞こえなくなりそうなほどの声だった。その声の主が誰か青年は知っている。その消え入りそうな声に青年は応じた。
「鍵は開いているぞ」
***
窓から入ってきた少女――魔王娘は靴を脱いで、ベッドの上に正座している。青年は壁にもたれながら魔王娘を見ている。
「距離感を感じますね」
光源もランプに灯した明かり程度で、そもそも光源の元はベッドの近くにある小机の上だ。青年の顔は魔王娘から見ることは適わないのだ。
「どうすれば良いんだ?」
距離感を縮める術を上手く思いつかなかった。青年は魔王娘に問いかける。
「せめて……こちらに」
魔王娘は青年に対して手招きした。ポンポン、とベッドに腰掛けるように示唆してきた。青年から見れば相貌が年端もいかぬ少女の傍に座ることに激しく抵抗感を感じている。
許可が下りたのでベッドの縁に座る。魔王娘と少し距離をおいた。こんな時、大きめのベッドで良かった、と青年は思った。
そもそもの話をすると、こんな夜更けに少女と青年が二人きり(スライムは人にカウントしない、というか魔物である)で会うこと自体が彼にはイレギュラーである。
「今からする話は、とても大切な御話です」
魔王娘がいつも見せる暖かい雰囲気とは打ってかわって、真剣な顔つきに変わる。連動するように、青年の心構えというものも変化する。空気に馴染ませるように。
「まず、その前に理解して頂きたいのは」
一呼吸をおいて、魔王娘は深呼吸する。目を閉じて、何拍か置いて言葉を紡いだ。
「このままダンジョンの攻略が進み、人間が領土を広げてはなりません」
「………?」
いざ聞いてみれば、その言葉は忠告だった。どういうことだろうか、それは。
「領土が広がることで、大きな戦乱が起こります。私はそれの回避に今現在奔走しています」
話が勝手に進んでいく。突然の人類レベルのスケールの大きい話に、ついていけなくなりそうな青年は思いついた質問を聞いてみることにした。
「大国同士のぶつかり合い?」
穴蔵から出てこなければ統率することもない魔物は、人類の安寧と平和を脅かす障害にはなり得ないだろうと候補から外す。ならば、理性を持ち欲望に忠実な「人間」達が敵と考えるべきだ。
人間が集まり、大きな国と為し得た「大国」と「大国」がぶつかる。これくらいが大きな戦争ではないだろうか。
「いいえ」
魔王娘は真っ直ぐな瞳で見つめ返した。この質問に対しては即答での切り返しの反応を見せて、青年はますます腑に落ちない。
今の質問は、大国と大国の話だ。では、ぶつかるべき相手を変えてみることにした。
「大国でクーデターが起きる?」
「それは、あるかもしれませんが―――それではありません」
今の話で一気に混乱する。青年は考える。目の前の年端もいかない娘が、これから未来に起きる出来事をどこまで知っているのか。話すことが嘘であれ、真実であれ。
この魔王娘は何かを知っているのは確実なのだろう。そもそも、自称魔王の娘については何かの符号を指しているのではないのか、と仮定する。魔王、と言われて魔王と勝手に青年が連想しただけで、本当は政府の上級階級に「マオウ」とかいう役職があり、別の何かなのではないか。
そうでなければ目の前にいるこの娘が100年以上も前に居たとされる「あの魔王」の娘な訳がない。あり得ないのだから。
「現段階ではお答えできません―――けれども、いつか来るべき時が来れば話せるでしょう」
「今は、話せないってことか」
「はい」
時期が来れば話す、ということはその時期がいつ来るのか。疑問をぶつけようとしたが、青年は止めた。今、聞くべきではないと判断したからだ。
いずれ来るべきその「日」を待つことにしよう。本音はそんな争いについての話をするべき日が来ないことを願うばかりだ。
「私と一緒に来てくれませんか?」
「どういうことだ?」
魔王娘は青年に向けて手を差し伸べた。有効の証であるように握手を求める場合は差し出すだけだが、彼女は手の甲を下に向けて差し出している。
「争いを回避する為にはあなたのような人が必要なのです、あなた達二人のように信頼で結ばれた関係を見てからずっと―――」
途中で魔王娘は言葉を止めてうつむくが、喋るのを止めただけだ。差し伸ばした手は変わらずに。
「お願いです、私と共に来てください」
懇願するかのように、真摯に真っ直ぐの瞳で青年の目を射抜く。異性に見つめられる事に、しかも至近距離で見られる事に慣れていない為に、恥じらいから少しだけ逸らす。
青年は魔王娘の言葉から取れる背景と彼女の言動や表情が一致しない錯覚に陥った気分になる。陽の当たる場所で生まれ育ったような天真爛漫な彼女が争いを止めるために動いている事が信じられない。
せめて、青年が納得できる魔王娘の「背景」が必要だった。
「答えを返す前に質問させてもらうよ」
「え、はい?」
きょとん、と可愛らしく首を傾げて魔王娘は応じる。
「どうやって自分の位置を知り、傭兵に伝えた?」
ずっと疑問だったのだ、そろそろ答えが欲しいところだ。少なくとも後を追われている印象も気配も無かった。どうやって、エルフの里や森、牢獄の位置を把握していたのか。どんな奇術、魔法でも使ったのか。そのタネくらいは青年としては聞いておきたかった。
「い、今はお答えできません」
出し渋るような答えの材料だっただろうか、と青年は考えながら質問を続ける。彼の答えを「後押し」する為の彼女自身の「背景」の答えが必要なのだ。
「どうやって争いがあるって知った?」
「あの…今はお答えできません」
「じゃあ、どこの国の出身?」
「お答えできません」
「王族か貴族の人?」
「お答えできません」
「あの魔剣はあの後どうなった?」
「…お答えできません」
「協力者は自分だけ?」
「答えられ、ません…」
「まず、一緒にどこに行くのか?」
「答…え、あぅ……答えられないのです」
彼女の「背景」についての質問はいくらしても返ってこなかった。後半に至っては、泣き入るような小さい声になっていった。青年が聞いた質問である――ネタの種、情報元、魔剣についての行方も、素性も、これからの展開も、何一つ「答え」になっていない。
青年は考えた。これから起こるべき事を想定して、自分がするべき行動をしなくてはならない。
青年は決断した。
「―――ん」
「え?」
魔王娘の耳に青年の声が聞きづらかったらしく、もう一度彼女は尋ねた。
青年―――彼が、返してくれる答えを心待ちにしている。もしも、この答えに応じてくれたらどんなに素晴らしいことか。
彼女は知らず知らずに自分が、高揚と緊張が早鐘を打つ胸の辺りの肉をキュッと服の上から掴む。今、彼は何と言ってくれたのか。もう一度言って欲しい。
その言葉を。
青年の唇から形作られた意志の固まり、言葉が魔王娘の耳に届いた。
一瞬、魔王娘は自分の耳を疑った。
そんなことはない。
まさか。
もう一度、彼の答えが聞きたい。
何と言ってくれたのか。
青年が言った言葉が今度こそ、耳に届いた。
「ごめん、無理だ」
「―――え?」
「誘ってくれたのは嬉しいけど、一緒には行けないよ。俺じゃなくて、もっと他に適任の人がいると思う」
青年は口調を柔らかくして、自分が思える中で最も丁寧に断ったつもりだった。だが、魔王娘にとってそんな心遣いは気にならない、問題なのは「YES」なのか「NO」なのかが最も重要だったのだ。
魔王娘は泣いてしまいそうになる。けれど、青年の前で泣くのは卑怯だ。本人の前で泣く事は卑怯者だ。これでは、泣き落とした悪女になってしまうではないか。
「そうですか、それは―――残念です」
だから、魔王娘は笑って別れることに決めた。魔王娘は静かに笑い、別れを告げた。
「では、また縁が合えばお会いしましょう」
魔王娘は腰掛けていたベッドから立ち上がり、入ってきた窓から出て行った。
青年を「後押し」するほどの「答え」が返ってこなかった。
だから、これは例えの話。もしも、納得できるような「彼女の答え」が返ってきていたら、青年は別の答えを出したに違いない。しかし、だ。歴史にもしもは無いように。もし、あそこで答えていたら―――という事は無い。
青年は出て行った窓から目が離せなかった。さっきまで腰掛けていたはずのベッドの跡に触れてみて、仄かに残る体温を感じる。
そうして、青年はベッドに倒れる。
一日の疲れを吹き飛ばす為に。
青年はその夜に、とても長い夢を見た。
青年が旅する内容だったようにも、青年が迷宮を探検する内容だったようにも思える。
夢の中で青年は戦う。
全身を黒い漆黒で見に包んだ真っ黒な闇色の騎士と戦ったり、伝説上の生き物とされる長大な龍と火山で戦ったり、迷宮の最奥にしか現れない迷宮の主と戦ったりした。
夢の中で青年は人に会う。
大国を守護する騎士、人々から讃えられる勇者、世界的に有名な魔法使い、見たこともないような探索者。老若男女、色んな種類の人々と出会っては別れては又出会う。
夢の中で青年は世界を見渡す。
かつて魔王が住んでいた主のいない魔城、誰もその先を進んだことがない未踏の地、入ったこともない塀の中の魔法の国、誰もが目指し辿り着いた事がない山の頂上。
余りにも長すぎた夢。どうやら午前のほとんどを寝ることで潰してしまった。
傭兵が起こしに来るまで、ずっと青年は熟睡していたようだ。青年はその時の夢をこれから人生で見渡す光景なんじゃないかと思った。
青年は覚醒してからしばらくすると、夢で見た風景がぼやけていく。鮮明な夢とは言えなかった。でも、そんな夢で良かった、と青年は思った。
これから見たこともない土地を見るのに先に見たら感動が薄れてしまうではないか。
青年は友人を尋ねるべく身支度を整えて宿屋を後にしたのだった。
***
自治区の住人である彼―――青年の友人は酷くため息をついた。
彼は感傷的な気分に囚われていた。とある悲しい知らせに、悲しみを感じずにはいられなかったのだ。つい最近までピンピンしていた大親友が死んだことに。一ヶ月前に尋ねに来た青年の顔がちらつく。やはり、青年を止めるべきだったと後悔していた。だが、それはもう過ぎたことだ。
悲しい知らせには到底信じる事が出来なかった。それでも、世界に知れ渡った大事件とも言えるニュースはやはり真実だったのだろう。
遠方遠征「大迷宮」攻略の失敗―――ほぼ全滅し、たった二人の騎士と勇者が命からがら帰ってきた。彼らの情報によると、その迷宮は今までのような常識が通じないような未知の迷宮だったとか。
彼ら曰く、この世に地獄があるとすればそこは迷宮の中にある、とのこと。
全滅の結果は世界を震撼させた事には違いない。探索者組合本部は今回の編成に問題や不備があったのではないかと、上層部で責任の擦り付け合いだという噂だ。
友人は窓の外を見ながら、またため息をつくしかなかった。遺品で回収できたのは彼がつけていた魔法の指輪だけだったらしい。その指輪を友人は握りしめる。
「惜しいヤツを亡くしたな」
握りしめた指輪をできるだけ遠くへ投げるために、振りかぶれば窓の外へと投げた。魔法の指輪はどこまでも飛んでいった。友人がどこまでも飛んでいけ、と願いを込めたばかりに指輪はその願いを汲む。
かつての主人の指を探すつもりなのか。指輪はどこまでも飛んでいく。森を抜け、草原を越え、山を横切り、街を跨いだ。指輪は効力が消えて、森の獣道に落ちた。
偶然なのか、獣道を歩いていた女性が突然上から振ってきた指輪に気づいて、近づいてきた。落ち着いた雰囲気があり、気品に満ちた振る舞いからは深窓の令嬢か、貴族の娘とも取れる。美しくはあるが、まだ幼さが後を引く。
訂正するならば、女性というには年齢を重ねていなかった。少女とも言うべきであろう。少女は足下に落ちていた指輪を拾い上げる。
「 」
少女は指輪を握りしめ一言呟くと、一筋の涙が彼女の頬を伝ったのだった。
この④にて、短編としての「探索者と軟体生物とダンジョン」は完結です
今回も誤字脱字があるかもしれませんが、ご了承下さい
では、完結したので少しキャラについての解説をしたいと思います
「青年」
彼には「名前」がありません。最初の物語で名前をつけることが最期まで出来ずに、彼はあくまで「青年」のままです。
彼には探索者としての才能は戦いよりも観察に適している事をイメージして進めました、結果として洞察力に秀でる描写が強かったのではないかと。
“必殺技”も使えなければ、特別“強い”のでもなく、“攻撃魔法”も使えない、そんな主人公として生を終えた彼はいかがでしたか?
「スライム」
ファンタジーではお馴染みのスライムは青年の「相棒」として彼を支えます、青年もスライムに助けられる。自分としては良いコンビなのではないかと思います。描かれなかった大迷宮では青年と共に最期まで戦いました
「女盗賊」
この小説で初めて出てきた女のキャラにして、青年の「敵」です。
書き始める前から彼女のキャラ案は決まっていましたので書きやすいキャラだったのは間違いないです。
これからも彼女は盗賊を続けるのは確定でしょう
「魔法使い」
ファンタジーと謳いながら魔法が出てこないではないか、ということに気づいて急遽思いついたキャラでした。青年には「魔法」を教えたのですが、結局使う場面は来なかったのが残念です。
薬の知識を持ち、魔法を扱う魔法使いは今日も誰か人の役に立とうと頑張っています。
「傭兵」
青年を助けに現れたこの作品での「傭兵」でしたが、勇者も騎士も出ずに傭兵は先に出てきます。青年の人生を決定づけた「後押し」には意味がありました、青年もあの「選択」には後悔は無かったのです。
傭兵は金だけでなく、人の情にも弱い――という特徴は最後まで使われなかったですが
「魔王娘」
彼女は一体何者なのか?という謎の疑問は結局晴れませんでした
魔王の娘、と名乗るだけで彼女自身の本当の姿は笑顔の下です。
また、いきなり出会いのシーンをすっ飛ばして時系列がいきなり飛んでしまい②で突然出てきたことで読む側は情が移りにくいキャラになったような気がします。
ラストシーンの涙は彼女のモノで、誰のために悲しんでくれたのかは言うまでもないと思いますが
これにて解説を終えますが、気まぐれな自分で御座います
気づけば消えているかもしれませんのでご了承ください
「短編」としては終わりですが、「連載」としてはいつ始まるのやら
では失礼します