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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

眼球少女

作者: 川崎真人
掲載日:2011/07/15

 アクセスありがとうございます。

 真っ黒な煙が覆うような夜空はなんとも不気味で、じわじわと地上に降りて人々を食い尽くしてしまいそうな、化け物じみた迫力がある。そんな闇夜に良く馴染むのは、海中を泳ぐ魚のような妖艶さで飛びまわるカラス達だった。

 暗闇の中で宝石のように輝く羽毛を撒き散らし、カラス達は一人の少女を取り囲んでいる。ここはとある大病院、フェンスに囲われた屋上の真ん中で、カラスをまとったその少女はなんだか禍々しい存在にも見えた。

 どこかしら虚ろな表情で、ひょろりと立っていることそれだけで、少女はカラス達を従わせるようだった。カラス達は少女の一挙一動に注目するように旋回し、早く寄越せと物欲しげに身を捩じらせながら、翼を大きく開いて飛び回る。

 少女が僅かに腕を振り上げる。華奢で、まるで満月が放つ光のように白く美しい腕だった。ばらばらだったカラス達の動きが止まり、その一筋の光に向けて一斉に飛び込んでいく。

 途端、少女の右腕が、脈打つように疼き始めた。心臓の鼓動に合わせて、肉を掻き分けるようにして、まるで血液のようにぼこぼこと、大量の目玉が少女の腕から噴出した。

 少女の皮膚から飛び出る無数の目玉を、カラス達が我先にと奪い合う。泡のように吹き出した漆黒の眼球は、真珠のような輝きをもってして、カラス達を強く誘惑していた。

 男がそれを見ていた。屋上のフェンスの前で立ち尽くし、カラスの群れに怯える臆病な男はただ一人、群れの行く先をびくびくしながら捉えていたのだ。

 ……今のは、なんだ?

 目玉をついばむカラス達。自らの足元で、自らの体の一部をごちそうのように貪るカラス達を、少女はどこかいとおしそうな目で見詰めている。それは同時に、どこまでも満たされない空虚で暗い瞳でもあった。

 「出てきたら?」

 カラスにまみれた少女がそう言って、男の方においでおいでをした。

 気付かれていたのか……男は唾を飲んだ。相手はせいぜい中学生くらいの女の子。しかし異形に手招きされるというその感覚は、男の心を心臓ごと鷲づかみにした。

 男は躊躇する余裕すら与えられず、操られるようにして少女の前に立った。少女が両手を上空に向けて合わせると、ぼこぼこと泡が立つように無数の目玉が溢れ出す。輝く黒真珠は少女の指の隙間をくぐりぬけ、どろどろと落下してぐちゃりと地面を転がった。

 その姿はぞっとする程おぞましく、同時に、思わず身震いしたくなるような美しさをも放っていた。男は少女に魅入られる。

 「そのフェンス、乗り越えるつもりだったの?」

 少女が男に問いかける。風鈴を鳴らすかのように、美しい音色。それと同時に、地面に転がった眼球のいくつもが、あらゆる感情を秘めた視線で男の体を釘付けにした。

 眼球は決して喋らない。けれど、男の抱える何もかもを見透かすようであった。

 男はそれに答えない。ただがくがくと震えていた。

 「どうして、おれがここにいると分かったんだ?」

 大丈夫だ。男は言い聞かせる。今の自分は、死神だって怖くない。

 「別に。誰か見てないかなと思って、十分おきにああ言ってただけよ」

 少女は何でもないことのように言って、それからこらえ切れなくなったみたいに噴出した。男の存在を暴いた得意さが、隠し切れずに無邪気な笑いに現れる。

 「どれくらい見ていたのかしら? どうして逃げ出さなかったの? あたしのことが怖くない?」

 少女が両手を翻すと、その手にあった大量の目玉が転がった。おびただしいカラスが一斉に飛びついて、少女の足元を真っ黒に染めあげる。

 「なぁ……あんた、その目玉は……」

 男は導かれるようにして少女のところに歩いていった。その姿は、目玉にたかる卑しいカラスと同じようなもので、少女に魅入られてしまったかのようだった。

 突如、一匹のカラスが男に向かって飛び込んだ。銃弾の如く突っ込んで来る真っ黒なその額に、さらに深い黒色の目玉が現れているのが見える。第三の目だ。男が咄嗟に身構えるよりも早く、カラスは男の右の眼球に食らい付いた。鋭くくちばしで男の瞳を抉り取り、眼球を摘出して飛び去っていく。

 粘膜がぴちゃりと地面に爆ぜた。男は悲痛の叫びをあげて、顔を抑えてうずくまる。ばたばたと地面に降り立って、男の眼球をカラスはとても美味そうに嚥下していた。

 「あらあら。可愛そう」

 少女はこともなげにそう言った。そして自ら男に近付いて、どろどろの血液に滲んだ男の両手を顔から離させる。眼球を失って空っぽの男の瞳に、少女は自らの指先を突っ込んだ。

 男が悲鳴をあげる。地獄のような絶叫だ。眼球を銜えていたカラス達はばたばたと、あわただしく男から距離を取る。

 瞳が熱い。とてつもなく禍々しいものを埋め込まれたような、おぞましい激痛が男の思考を支配する。瞳から侵入し、心臓の奥まで響き渡るようなその衝撃は、ほとばしるような快感を男の全身にもたらした。

 「大丈夫。すぐ馴染むわ」

 少女は自慢するかのように、嬉しげに弾んだ声でそう言った。

 「良く見えるのよ。カラスだって食べたがるんだから、ホントにすっごい目玉なんだ」

 男は目を開けた。少女に埋め込まれた目玉が写し出す新たな世界は、今までと打って変わり、とても輝かしいものに思われた。知りえなかった世界の美しさが、男を内部から破壊するかのような迫力を持ってして、拒みようもなく飛び込んでくる。何もかもがくすみ、無意味に見えてフェンスの前に立ち尽くしたあの時とは、雲泥の差があると言えた。

 「分かったぁ? ……本当にすごいでしょう?」

 少女は言った。あらゆる輝きを取り戻した視界の中で、しかしその少女はこれまでと変らない、圧倒的な神聖さを持って男の世界を支配している。男は顔をあげ、縋り付くように少女を見上げた。

 「どう? 良かったら食べてみる?」

少女は男に手を差し伸べる。その小さな手のひらの上、ぞっとするほど美しい少女の眼球が乗っていた。


 ドナーが見付からなかった。もう何年になるだろうか。

 白いベッドの上で横たわる少年は一人、やがて大人になるまでドナーが来るのを待ち続けた。空虚に白い輝きを失った世界から男を救い上げるのは、小さく淡いその希望だけ。本来与えられるはずだったあらゆる輝きのその全てが、ドナーという希望に収縮されているように感じられた。それなのに。

 男は体の中で何かがはちきれそうな感覚を覚えた。倒れそうに洗面台に駆け込み、喉の奥にせり上がったそれらを、どろどろとした粘膜と共に一斉に吐き出した。

 無限に続くような長い長い嘔吐。窒息しそうになりながら男が吐き出したものは、洗面台から溢れ出さんばかりの黒い眼球だった。

 無数の眼球が男の表情を観察する。粘りつくようなその視線から、男は永遠に逃げられないような錯覚を起こす。腺を引き抜き、男は勢い良く蛇口を捻った。

 流水が無数の目玉をぼこぼこという音と共に流し去って行く。途中何度か詰まりそうになりながら、目玉達は名残惜しそうに男を見詰めていた。

 「調子はどうかしら?」

 少女が上機嫌に男に尋ねる。「悪くないな」男は答えた。

 「人間がこれを食べたらどうなるんだろうとは、思ってたんだけど。まさか、あたしと同じことが起こるとはねぇ」

 ふふん、少女は能天気に鼻を鳴らした。男はそれに微笑み返そうとして、途端に息苦しさを覚えてその場でむせ返る。ゴホッ、ゴホッ、と力なく堰く音が響くと同時に、男の口内からいくつかの眼球が転げ落ちた。

 少女がそのうちの一つを拾う。慣れ親しんだものを見るように、少女はしばし眼球と見詰め合う。それからにへら、柔らかい笑みを浮かべて男の方を向き直った。そして尋ねる。

 「おいしかった?」

 男の答えは決まっていた。溢れ出る眼球を喉の奥に押しとどめながら、こう口にする。

 「おいしかったよ」

 「そう」

 少女は嬉しそうに声を弾ませた。

 「気が向いたらあなたの目玉も食べさせてね。自分のを食べてみたって、ふつうの味しかしないんだもの。どんな味がするのか、あたしだって知りたいわ」

 粘膜と共に床にばらまかれた無数の眼球は、向かい合う二人をおもしろがるように見詰めていた。

 町中で救急車のサイレンの音が鳴り響いているのが聞こえてくる。男と少女は二人並んで窓の前へと移動した。外で発生している異常事態を、空虚な瞳で観察する。

 町をまばらに歩く人々を、三つ目を持ったカラス達が襲い、容赦なく目玉を抉っていく。片方の目を失った人々は、そのあまりの激痛と喪失感から泣き叫び、顔を抑えてうずくまる。一度眼球の味を覚えてしまったカラス達は止まることなく、次の獲物を求めて羽毛を撒き散らしながら飛び立った。

 被害者はまだまだ増えるだろう。三つ目のカラスはいくらでもいるし、眼球への渇望に狂った彼らを止めることは不可能だ。しばらくの間、彼らは捕まることなく人間の目玉をついばみ続け、病院には眼球を失った人々が次々と運び込まれていく。

 「ねぇ」

 少女が歌うようにして口火を切る。

 「カラスについばまれた人達を、あたし達の目玉で良く見えるようにしてあげないかな?」

 男は「そうだな」とうなずいた。生きていられるほんの僅かな残り時間を、少女と共に目玉を配りながら過ごす。少女が望むというならそれも良い。男は心の底からそう思った。

 「あたしね。ずっとそうしたかったの」

 少女は無邪気な顔ではにかんで、男を向いてこう言った。

 「みんなにあたしの目玉を配ってあげてね。あたしという存在は、みんなの瞳の中でずっとずっと生き続けるの。それって素晴らしいことなんじゃないかな? だけど一人じゃ心細いし、多分無理だから。一緒にいてくれる誰かがいて欲しかったの」

 男は大人になってから、一度として零したことのない笑顔を浮かべる。驚いたような顔をする少女に、男は自らの眼球を乗せた手のひらを差し出した。大切な人に親愛を込めて、これから始まる素敵な未来を祝福しながら。

 読了ありがとうございます。

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