3、水族館
「空島飛鳥」
「え?」
「名前。空島飛鳥って言うんでしょ」
私は飛鳥くんの黒い車を借りてある場所に向かっていた。助手席に座る彼に私はそう言うと青になった信号を合図にアクセルを踏む。
「いい名前」
そう言うと彼は曖昧に笑った。
「ありがとうございます。でも、俺はそんな好きじゃないっていうか」
「どうして」
「……母が付けた名前なので」
彼の沈んだ声に、これ以上聞くべきではないと悟った。
「……そうなの」
飛鳥くんは大学1年の18歳だ。陸上部に入っているらしく、毎日大変だと言っていた。
「気付いたら、もうすぐ19ですよ。こんなんじゃ、すぐオジサンですね」
「失礼ね。私はもう23歳よ。オバサンじゃない」
すると飛鳥くんはじっと私の顔を見てから言う。
「俺、最初見た時、大学生かと思いました」
「嘘言いなさい。あなた、私の事〈お姉さん〉って言ったわ」
彼はくすくす笑った。
彼と話していると退屈しなかった。
彼は年下だからと言って、図々しくもなく、遠慮もしない。
自由に生きている気がした。
* *
駐車場に車を止めて外に出ると彼は言った。
「まさかとは思ったけど、いいところって……ここですか?」
「そう、水族館。一人でくる勇気がなかったの」
「千陽さんって……」
「なに?」
すると、彼はにっこり私を見て言う。少し胸がドキッとしてしまう。
「意外と可愛い所あるんだ。お高い女王様タイプかと思いました」
「親しみやすい?」
「はい、ギャップに惚れます」
「馬鹿」
私より遥かに高い彼を見上げて笑いあった。
薄暗い館内をじっくり見て回る。
私は、駆け出しのカメラマンの時に買った大事な、古い一眼レフで彼のシルエットをたくさん撮った。
私がここへ連れてきた時、彼は少し呆れていた。でも、真剣にイワシの群れを見つめる彼はきっとここにいる誰よりも少年のような目をしている。
そういう人なんだ、と私は微笑ましく思った。
時計を見ると、あれから二時間も経っていた。
私は自動販売機でコーヒーとココアを買って飛鳥くんに声をかける。
「飛鳥くん、ちょっと休憩」
ベンチに座って、彼にコーヒーを渡す。
「千陽さんは、ココアなんだ」
「悪かったわね。私、カフェインには敏感なの」
寝る前にカフェインを少し取るだけで、眠れなくなってしまうのだ。
「良いじゃないですか。日の出を見に行くんだから」
飛鳥くんは言った。
「何言ってるの? これから運転するのはアナタよ。私は寝る」
そう言って私はココアを飲んだ。甘くて、美味しい。
すると、飛鳥くんは一言こう言った。
「やっぱり、お高い女王様タイプなんじゃないですか」と。