10、微妙な立ち位置
夜明けが近い。
新聞配達のバイクの音が夢うつつの私を現実に引き戻す。
私は、飛鳥くんを想った。いつか、この顔に、名前に惹かれて出会った彼と私、いったいどんな関係なんだろう。
そんな事を思ったのは、先日行った営業先の編集部で会った高校のクラスメイトのせいに違いなかった。
増田千佳子と言った。すぐに思い出せないくらい、同じクラスと言えど、仲が良いとは言えない関係だった。中退した私だから尚更だ。
私が編集部に向かったのは、彼女の担当している雑誌に私の写真と旅行記を載せてくれるという連絡が入ったからだった。
〈とりあえず半年間六回に渡って書いてもらおうと思ってるの。締め切りは毎月五日。最低でも十日には見本版を作りたいから、お願いね。……何か質問は?〉
千佳子は手際良く説明をして、顔を上げた。顎の辺りでパッチリ切りそろえられた前下がりのボブが揺れる。
〈……ええ、大丈夫よ。よろしくお願いします〉
〈じゃあ原稿はA4版でお願いね。………ねえ千陽〉
千佳子が書類を片付けながら言った。
〈なあに?〉
〈あなた、変わってないね〉
〈え?〉
〈少し、取っつきにくい所。昔から、何を考えているか分からなかったもの〉
〈そんなことないわよ〉
私は言った。
〈ある。それを証拠に、いつの間にか高校退学して、いつの間にか海外にいたじゃない〉
〈もう、いいじゃないの。若かったのよ〉
私は苦笑いした。
千佳子は、そんな事より、と得意気に右手の薬指を見せた。ちょうど、結婚の記者会見のような感じだ。
〈婚約したの。二年付き合って、やっと結婚〉
千佳子は、やれやれと首を振りながら、幸せそうに笑った。〈五つ上でね、ほんと、無口なの。芸術家ってほんと個性的よね。画家なんだけど〉
〈そうなの。でも良かったじゃない。おめでと〉
私は千佳子にそう言うと、彼女は、ふふ、と笑った。
〈まあね。幸せってこういう事言うんだな、みたいな〉
〈いいわね〉
今まで、プロポーズされた事なんて数え切れない程あるけれど、結婚なんて有り得ない、と断っていた。もし、彼らの中の誰かと結婚していたなら、私も今頃は、千佳子のように笑えたのだろうか。
〈……千陽は?〉
不意に千佳子が言った。
〈え?〉
聞き返すと、千佳子は顔をぐっと近付けた。
〈恋人くらい、いるでしょう〉〈……〉
いないわよ、と切り捨てようとした。しかし、黙ってしまったのは彼の――飛鳥くんの――顔が浮かんだからだった。
まだ、彼に好きだと言われていない。私も、まだ彼を好きだなんて、そんな事考えようとしていなかった。恋人らしい事もしていないのだから、いない事に違いはないのだけれど……。
〈千陽? どうしたの?〉
〈……え。あ、嫌だ。ごめんなさい〉
〈恋人の事、考えてたんだ?〉〈違うわよ、残念ながら、いないもの〉
ごめんなさいね、と私は笑った。なんとなく荷物をまとめていたら、千佳子が立ち上がった。
〈あなたとは、これから長い付き合いになるだろうから、また今度、話聞くわよ。記事よろしくね。わざわざ会社に来させて、すみませんでした。外まで送るわ〉
私は、千佳子に続いて会社を出た。
私はカーテンの隙間から射し始めた朝陽に、眩しくて布団を頭から被った。
そろそろ、彼が起きてくるはずだ。冬休みだっていうのに、習慣は恐ろしいものだ。私は、目を閉じた。やっと眠気が襲ってくる。
飛鳥くんはきっと、私が起きるのをいつまでも待っていてくれると思うから。