作戦決行
――作戦名、こっそり忍び込んで盗んじゃおう作戦(アリス命名)
「……これ、どうにかならないんですか?」
屋敷の視察を終え、日が高くなってきたころになってようやく告げられた作戦名は、ロートが思わず三度も聞きなおしてしまうくらい前衛的なものだった。
イリスだってもう少しまともな名前を考えだすだろう。
そんなことを意にも介さずアリスは自慢げに作戦名の由来、思いついた時のエピソードなどを話している。肝心の内容に入るまでの間に、ロートは用意された昼食を食べきることができた。
「さて、具体的な内容ですが」
そう切り出したヴェートたちは丸テーブルを囲んで会議をしていた。地図がないので、口頭だけでイメージするしかないのはつらかったが、ヴェートの言葉を聞くとそんなものは必要なかったと痛感させられた。
「警備のいちばん薄かったところから侵入し、中の様子を調べつつ対象物を探します。どこにあるかはわかりませんが、どこかしらにあるでしょう。分散するとリスクが高いのでみんなで固まって移動します。警備兵は見つけ次第ロートさんに倒してもらいますが、なるべくなら殺したりせず気絶させるだけにしてください。声を立てられると面倒ですので」
細かいところは綿密なくせに、大雑把なところが適当な性格はアリスに似てしまっているのかもしれない。変な部分だけ姉弟らしい。
ロートは頭痛がしてくるのを感じたが、詳細な情報がない以上、それしか方法はなさそうだった。
せめて一度忍び込んで下調べを済ませてから改めて仕事に入りたいものだが、万が一にも失敗してしまった時の痛手はあまりにも大きい。
相手が油断している少しの隙を突く、というのが勝利への決め手であるわけだから、警戒を強められたりしたら勝ち目がなくなるのだ。
「目当てのものを見つけ次第、全力で撤退します。それ以降はしばらく身を潜めて騒ぎが収まるのを待つつもりですが、場合によっては変更もあるかもしれません。――とまあ、こんなところでしょうか」
覚えるのは実に簡単だ。作戦名も含めて。
要は出たとこ勝負、ということなのだからロートに求められるのは主に腕っ節と勘のよさだ。ほかの三人はほとんど戦力外であるから、作戦の成否はロートにかかっているといっても過言ではない。
アリスたちがこうもしつこくロートを引き入れたがっていたわけが知れた。まあ、わかったところでプラスにはならないのだが。
「ほかにプランはないんですか?」
と、ロートが尋ねる。
「ないですね」
と、ヴェートが即答した。
「それで充分じゃない。あんまり多すぎても覚えられないし」
と、アリスがフォローになっていないようなフォローをする。ノルデモの人々は頭がいいのではなかっただろうか。
「そうそう、シンプル・イズ・ベストってやつさ」
ノイアーが白い歯を見せて笑う。小さな旅人も、やれやれと内心でつぶやきながら賛同したのだった。
ロートが百夜亭を抜け出したのは双子も寝静まった、深夜のことだ。
空に輝く月は完全な円形ではなく、銀色の縁が少しだけかじられたように欠けていた。夜の砂漠には街灯も何もないが、空は意外と明るい。
太陽の熱を失った肌寒い風が、ロートの頬をなでて夜のノルデモをすり抜けていく。ロートは自分の顔をそっとさわって確かめる。
……嫌な風だ。
凍えるような、身を切り裂くような冷たい風なのに、どこか生温かい。それはまるで人の血のように。
アリスたちとは屋敷から少し離れた建物の陰で待ち合わせる手はずになっている。
ロートはもう一度風の流れる空を見つめると、足音もなく駆けだした。
「……いよいよね」
ささやく声の裏側には、緊張の色が感じられる。昼間にはあれだけのんきそうな表情をしていたアリスも、今ばかりは笑みを見せない。
ヴェートはポーカーフェイスを装ってはいるが、姉と同じように神経を張り詰めているのが痛いほど伝わってきた。同様に、ノイアーも口数が少ない。
「大丈夫ですよ、僕がついていますから」
いくらかでも緊張を和らげてあげようとロートが胸を張る。年は若いが、イリスとともに踏んできた場数は半端じゃない。いわば先輩なのだ。
はぁあ、とアリスが深い呼吸をする。そして武者ぶるいを放つと、覚悟を決めたように表情を引き締めた。
「行くわよ」
鋭い号令とともに、一団が影のように屋敷の敷地へ侵入する。目指すのは北東にある小さな入口だ。ここは警備が一人ついているだけで、まわりからも死角になっているので敵に気取られにくい。
一直線に扉の前まで走り抜ける――が、そこにあるべき姿はなかった。
「……どうしたんだろう。交代の時間かな」
アリスが警備兵の痕跡を探すようにキョロキョロとあたりを窺うが、どこにも気配らしきものは残っていなかった。
「そんなはずはないでしょう。何か手違いがあったか、それとも気付かれたのか……」
「どちらにせよ、おれたちには進むしか選択肢はありません。とにかく行きましょう」
ロートは何かを探るようにじっと石畳を睨みつけていたが、アリスたちが先行してしまうので、静かな屋内に足を踏み入れた。
だが、そこに広がっていたのは異常な光景だった。
廊下のあちこちに配置された警備兵はみな眠ってしまったかのように気絶させられ、床に力なく伏している。本来ならばロートがこなすはずの役割を、すでに誰かが実行していたようだ。それも、かなりの精度で。
ロートの脳裏に黒い影がちらつく。
……まさか。いや、ありえないことではないが……。
「なにがあったっていうんだ」
絶句するノイアーの肩を、冷や汗をかいたヴェートがたたいた。
「明らかに普通ではありませんが、考えようによっては今が最大のチャンスです。早いところ目当てのものを奪ってしまいましょう、もしかすると強盗でも入ったのかもしれない」
「そ、そうだな……」
違う。
強盗なんてものではない。
警備兵はみな首筋にあざを作っていた。背後から忍び寄られ、一撃で気絶させられた証拠だ。こんな芸当ができる人を、ロートは一人しか知らない。
「師匠、どうして……」
イリスだ。
リーとサントに連れられてどこかへ消えてしまったイリスがこの屋敷を襲撃したのだ。ロートは唇を強くかみしめる。おそらく、アリスが求めるものはすでに奪われていることだろう、同じノルデモの「真実」を追求する者の手によって。
逃げよう、ロートがそう言おうとしてアリスたちを追いかけると、彼女らはある部屋で茫然としているところだった。豪華な絨毯のしかれた床の四隅には、気を失った兵士たちが倒れている。そして、部屋の中央に安置された台座には巻物のようなものが置かれていたくぼみがあり、すでにそれが盗られていることを雄弁に語っていた。
「どうして……」
アリスの声からため息とも、失望ともつかぬ色のない声がもれる。
それはヴェートとノイアーも同じことだった。肩を落とし、がっくりとうなだれている。
「今すぐ逃げましょう、もうじき新手の兵士たちが来るはずです」
「いったい誰がこんなことを……」
まだ現実を受け入れられない様子のノイアーが両手のこぶしを固く握る。
ロートは一瞬の逡巡の後、告白した。
「僕の師匠です」
アリスが、え? という表情をする。目を合わせるのが申し訳なくて、ロートは視線をアリスの向こうに合わせて言う。
「こんな完璧に事を成し遂げられるのは師匠しかいません。おそらくはあの二人組にそそのかされたんでしょうが、とにかく師匠のやったことに間違いはありません。あなたたちの目的の物も、すでに奪われた後です」
部屋の外側から大勢の駆けつけてくる足音がどたどたと響いてくる。不満そうな顔をしたアリスたちとともに、ロートは出口に向かって全力で走り出した。帰り道は、まるで台風が通ったあとのように雑然としていたが、しずかなものだった。