事情
夜も遅いということでアリスたちは百夜亭を離れていった。具体的な計画や下見は、明日以降に行うという。
ロートは窓にかけられていた布をまくると、そこから深い宇宙の闇を眺めた。この果てに神様がいるのだとしても、ロートがとるべき行動に何の関係もない。自分のしたいままに、行くべき道を決めるだけだ。
……だが、知りようのない不思議な力で運命が捻じ曲げられているのだとしたら、どうやって抗うことができるだろうか。
ロートの問いに、満天の星が答えを与えることはない。
ふう、と大きく深呼吸をしてロートは窓にかけられたウールの布を戻し、ゆっくり眠りについた。
そのすぐ翌朝のことである。
アリスたちがフードを巻いて百夜亭の前に集合していたのは。
ロートは元々早起きなのでさほど困らなかったが、寝起きの悪いイリスだったら機嫌を損ねて出ていこうともしなかっただろう。
今は関係ないというのにいつの間にか師匠のことを考えている自分に気がついて、思わず苦笑した。
「ミサが始まる前に現地におもむいて視察を終えておきましょう。構造や警備の数などはすぐに覚えられるでしょうから」
ヴェートが説明する。
屋敷の見取り図などがあればいいのだが、ノルデモでは紙は貴重であるらしく、基本的に物事を記録する際は暗記するしかない。そのためか番兵たちやヴェートのように記憶力に優れたものが多く、同じような理由で頭のいい人の割合も高いのだ。
無論、イリスにさんざん鍛え抜かれてきたロートが引けを取るはずもなく、下見に訪れた豪邸と呼ぶにふさわしい屋敷の形や警備の体制などをすぐに把握することができた。
「ここにはだれが住んでいるんですか?」
と、レンガではなく色とりどりの石材で造られた屋敷のまわりを歩きながらロートが問う。
そのまわりだけは踏み固められた土ではなく、石畳になっているため歩きやすかった。
「ノルデモの指導者であり、ヴィヴェル教の最高幹部でもある人たちよ。彼らが実質的な権力を握っていて、普通は教祖と呼ばれているの」
「教祖、ですか」
「そう。見たことはあると思うけど、ミサのとき壇上に立って演説している人たちのこと」
「彼らは現在7人いますが、数年に一度入れ替わるのであまり気にする必要はありません。それよりも警戒すべきは――」
「筆頭教祖だな」
ヴェートの言葉をノイアーが引き継いだ。
かつかつと響く靴音をとめ、屋敷を睨みつける。
「ほかの教祖はいろいろな要因で決められてはいるが、筆頭の地位だけは代々血族に受け継がれている。それだけに絶対的な権力を持ち、ノルデモを支配しているといってもいいだろう」
「同時に、ノルデモの暗部を全て掌握している黒幕ね」
アリスが日差しを遮りながら屋敷の内部をうかがおうと背伸びする。あちこちに配備されたいかつい様相の警備兵たちに睨まれて、すぐに頭をひっこめた。
「その筆頭のお膝元で盗みを働こうっていうんだから、旅人の力が絶対必要なんだ」
ノイアーが頼りない拳を握りしめる。ロートは首をかしげた。
「それにしても、盗もうとしているものっていったい何ですか? 標的がわからないことには僕にも判断しようがありません」
「これだけ厳重な警備を施してまで守ろうとしてるものだ――という説明では不十分ですか?」
ヴェートが少しとげを含んだ口調で答えるので、ロートはそれ以上追及するのをやめておいた。
屋敷の周りにはこん棒などの武器を携えた警備が、あちこちで目を光らせている。
この守りを突破するのは、闇夜に乗じたとしても簡単なことではないだろう。そこまでして欲しいものとは、なんだろう。
「招待状でも出しましょうかね」
と、ロートが呟く。
「え?」
「あ、いや、なんでもないです。気にしないでください」
素っ頓狂な反応を見せたアリスに、ロートはあわてて手を横に振ってごまかした。イリスなら美学だとか主張して招待状を送りつけるに違いないのだ。
この場に師匠がいなくてよかった、とロートは胸をなでおろした。
「この守備態勢をかいくぐるには、なるべく相手の油断を突くことが肝要です。これなら大丈夫だろう、最高権力者に逆らう者などいないだろう、という油断がおれたちの勝機になります。そこを一点突破します」
三人で何度も話し合ってきたことなのだろう、ヴェートがロートに説明すると、あとの二人もうなずいていた。
「僕を切っ先にして、一気に攻略するということですか」
「その通りです。屋敷の中まで詳しい状況を把握できないことは残念ですが、勢いに任せるしかありません」
「ずいぶんと危険な賭けですね」
「それだけの価値はあるし、最後のピースはあなたが来てくれたからそろったし、もう覚悟を決めて突撃するだけよ。私もこの日に備えてずっと練習してきたことがあるんだから」
アリスはそう言うと、いきなり大道芸人も顔負けの宙返りを披露した。重力から解放されたみたいにきれいな軌跡を描き、地面に足を下ろす。これが役に立つとは思えなかったが、逃げるときには屋根を伝っていけそうだ。
どう? と屈託のない笑顔で聞いてくるアリスに、ロートはあいまいな微笑を返した。
「俺だって負けないくらいすごい技を磨いてきたんだぜ」
今度はノイアーがどこから取り出したのか石の玉を増やしたり消したりしながら見事な手品をやってのける。あまりにも鮮やかな手際で、アリスと一緒に大道芸人として暮らしていけそうだった。
「盗んだブツを隠しておくにはもってこいの技だろ。これなら人目につかず持ち運べる」
「でも、盗みに入るのは深夜なんですよね。あまり意味はないんじゃ――」
あまりにも的確なロートの指摘を、ヴェートが苦笑しながら遮った。
「それくらいにしてあげてください。彼らなりに考えた結果のことなんですから。それにどこかで役に立たないとも限らないでしょう」
大道芸が役に立たざるを得ない状況にまで追い込まれなければいいな、とロートは思った。
それからしばらく警備兵に目をつけられない程度に屋敷の周りを巡回し、ロートが建物の構造を完全に頭に叩き込むのを待つ。
外から確認できる形と、窓から少しだけ覗いている内部の様子からだいたいの部屋割りなどは把握することができた。旅人と言いながら、たまには怪盗まがいのこともしているので、イリスにきっちり教え込まれているのである。
教祖たちの住まいとなっている屋敷は背伸びをすればなんとかのぞける程度の大きさの塀で覆われていたので、時々ロートを肩車したり、ジャンプして塀の向こうを観察しなければならないのが難点だったが。
「旅人なんだから、すぐに身長が伸びるような薬とか、不思議なお菓子とかを持っているものじゃないの?」
と、アリスがやや呆れつつ尋ねる。
主にロートを背負っているのは背の高いノイアーでもなく、インテリ風のヴェートでもなく、女子であるアリスなのだ。
目立ってしまうだとかひ弱過ぎてロートを持ち上げられないだとかいう理由はあるのだが、それにしてもなんだか理不尽な気がする。
「僕だって伸ばせるものなら伸ばしたいんです。それを師匠が無理に夜更かしさせたり、殴ったりして縮めてしまうからいつまでたっても成長できないんですよ」
大きくため息。
「このままだと僕はずっと小さいままなんですよね。いつか師匠の背を抜かして見下ろしてみたいものですけど、そうなったらなったで生意気だとか言って怒られそうですし」
「旅人も大変なのね」
同情したアリスの声。
「あのイリスって人はすごく美人だったし、そんなに悪いようには思えなかったんだけどなあ」
「僕も最初はそう思っていましたよ。最初はね」
「一度でいいから俺も話をしてみたいものだぜ」
腕を後ろに組んだノイアーがニヤニヤしながら言うのを、ロートは憐みの視線で見つめる。
夢は夢のままにしておいた方がいいのだ。
復讐だって、本当はしない方がいいのかもしれない。誰かを不幸にすることに、正当な理由などないのだから。だが、時には理由もなく行動しなければいけないこともあるのだ。
細かいことを悩んでいてはキリがない、とはイリスにもよく叱られることである。
「僕だって、ただ従うばかりの弟子じゃないんですからね」
師匠と別行動をとるだけでなく、まったく違う方向に進んでいることに少なからず高揚感を覚えながら、ロートは密かにほくそえんだ。はて、とヴェートが首をかしげていた。