旅人
それからというもの、二人はイリスの約束通り一緒にノルデモの各地を見て回った。その途中、旅人がきたという噂を耳にした人々にあちこちで注目されていたのでほとんど実のある情報は得られなかったのだが、知名度だけは知らない間にあがってしまった。
握手を求めるもの、話をしたがるもの、サインを求めるもの、イリスにラブレターを渡すもの……などなど。ロートはフードをかぶっているせいか関心は薄く、もっぱらイリスばかりが人気を集めていた。
視線を浴びることには慣れているので動揺することもなく、むしろノリノリで手を振ったりしているイリスを見ていると、まるで著名人か何かにでもなったみたいだとロートは思った。
夕方になるとひととおり嵐は去ったようで、わりと大きな飲食店に入りかなり遅めの昼食をとることができた。
その最中の出来事である。
怪しげな二人組が話しかけてきたのは。
「あなたたち、旅人でしょ?」
またか、とうんざりしながらもロートはその二人組を眺めた。
片方は男性で、穏やかそうだがまっすぐな瞳をしている。もう片方は女性で、こちらは気が強そうだ。どうやら尻に敷かれるタイプだな、と同じ境遇のものとして思わず同情していた。
「そうだけど」
とイリスが返事をする。
どうやらただの野次馬とは違うようだ、と感じ取っていた。ただの興味本位ではない、なにか目的があるような接し方だった。
「私はリー、でこっちのがサント。ちょっと相席してもいいかしら?」
「どうぞ」
イリスがそう言うと、サントとリーと名乗った二人組はロートたちの反対側へ腰を下ろした。そして、飲み物を注文する。
「ノルデモに旅人がやってくるなんて珍しいことがあったのは、きっと運命だったのだと思うの」
席に着くなり、リーがそう語りだす。
「私がまだ生まれてもいなかった頃かしら、前の旅人がノルデモにやってきたのは。その時もこんな風にみんなが注目して、大騒ぎになったって聞いてる。あなたたちはもう知っているかもしれないけど、この街では旅人はVIP待遇なの」
「知ってるわよ。入るときに聞かされたわ」
イリスが興味なさげに相槌を打つ。ロートも同じ気分だった。
リーは大きくうなずいて、再び話し始める。
「なら、その理由は知ってる?」
「聞いてないわね」
「ちょうどいい機会だから、私たちの目的を説明するためにも少し講釈させてもらおうかしら」
「どうぞ」
「ノルデモの歴史はヴィヴェル教と切っても切り離せないほど深く結び付いているの。いればわかると思うけど、ここの住民はみなヴィヴェル教を信仰しているし、それに対して何の疑いも抱いてはいない。それが当然のことであるから。太陽が昇って、沈んだら夜が訪れるみたいにね」
生まれたときからそばにあるものに、人間は滅多に疑問を抱かない。よほど素質があるものでなければ、なぜ呼吸できるのか、なぜ物は落下するのか、などということを考えようとはしないのだ。
なぜなら、それは当り前のことであり、理由など要らないのだから。
「砂漠のなかなどという偏狭な場所に造られたノルデモは、砂や外敵を防ぐために街を覆う城壁をたてて、厳しい灼熱のもとですごしている。どうしてこんなことになったのかしらね、もっと住みやすい場所はいくらでもあるだろうに。――で、そんなある日、一人の旅人がノルデモを訪れたの。その旅人は、厳しい生活を強いられているノルデモの人々に、ヴィヴェル教という宗教を伝えた。強い精神力を必要とする環境だから、あっという間に神様は受け入れられた。心に隙間があるほど、それを埋めようとする存在は受け入れられるものだから」
あまり詳しく歴史を知らないせいなのか、双子はそこまで教えてくれなかった。
街の歴史はお宝にかかわっていることが多いので、かかさず調べるようにはしているのだが。神話や伝承に真実が含まれていることは、おうおうにしてあるのだ。
イリスは静かに耳を傾けている。ただ、その視線は鋭かった。
「ヴィヴェル教の教えは簡単にまとめると『汝の幸せを求めよ、されば汝の求めるものは見つかるだろう』ということなのね。実に簡単なもの。そのためには神様に祈る必要があるって、聖書にも書かれているしね。それからというもの、ヴィヴェル教はノルデモとともに歴史を刻んできた――と、こんな感じ」
「それで? あんたたちの目的っていうのはなんなのよ?」
リーはもったいぶるように間をつくり、声をひそめて告げた。
「……もし、この歴史が全部ウソだったとしたらどうなると思う」
「いいように事実を捻じ曲げるなんてどこでもやってるわ。大して驚くようなことでもない」
「それなら、これでどうかしら」
待っていましたとばかりにリーが二枚目のジョーカーを切る。よほど自信があるのだろう、とロートは思った。まるで熟れすぎた果物のような胡散くさい臭いがプンプンしているが。
「ヴィヴェル教も、ウソで塗り固められているとしたら……そして、その証拠が厳重に隠されているのだとしたら?」
……それは大変なことだろう。
ロートはイリスの表情をうかがい見た。なんの感情も出していない。まるで仮面のように。
「私たちは真実を知りたい。そのためには新しい価値観を持ったあなたたちの力が絶対に必要なの。ノルデモで育ってしまったがために気づかないものを、あなたたちは判断できる」
「危ない橋を渡らされるんじゃないでしょうね?」
どこか地の底から響いているかのような、イリスの静かだが迫力のある声。
ロートはローブの下で鳥肌が立つのを感じた。
「正直にいえば、少しは渡ってもらうことになるかもしれない。あまり危険な目には遭わせたくないのだけど」
「いいわ、その話乗った」
「え?」
ロートが蓮色の瞳を丸くして、師匠の言葉を反芻する。いかにも怪しい提案だということはイリスも勘づいていることだろう。それなのにわざわざ火中に飛び込んでいくようなことをするというのか。
「だから、あたしたちも協力するってことよ。面白そうじゃない、中々に」
「僕は反対です、どうしてメリットもないような危険なことをしなくてはいけないんですか? それこそ理不尽というものでしょう」
「興味がわいたから、これで十分でしょ? それとも、あんたがいやだって言うならあたし一人でもやるけど?」
「それは……」
言葉に詰まるロート。こうなってしまってはイリスは頑固だ。簡単に信念を捻じ曲げることはないだろう。
師匠と離れるとロクなことがないのはいつものことだが、ハイリスクな事件に自ら首を突っ込むようなこともない。こんな辺境の地で骨になるようなことは避けたい。
それに、ニコニコと笑っているばかりのサントはともかく、リーという女のほうはどうにも信用できないのだ。なにか隠している、それだけは確信できた。
どうするべきか――悩んだ挙句、ロートは一つの結論を導き出した。自分を、信じよう。
「師匠ひとりで行けばいいじゃないですか。僕は知りませんよ」
「オーケー。それでいいならあたしは別にかまわないから、戻って来るまで好きにしてなさい。ただし勝手に出ていったらだめだからね。ノルデモを離れるようなことがあったら、どこまでも追いかけてがんじがらめに縛って連れ戻すわよ」
弟子である以上、師匠を裏切って縁を切るようなことは考えていなかったが、万が一のことがあるかもしれない。
迷子の子供を心配する親のような心境だった。イリスもまがいなりに師匠であり、保護者なのである。
「僕は別に逃げたりしませんよ。師匠がいない間、ゆっくり過ごすだけです」
「あら、誰が休んでろって言ったかしら? もちろんあたしたちの目的は果たしてもらうわよ」
「――まあ、いいですけど」
「それじゃ、あとはよろしくね」
ウインクをして、イリスはサントとリーとともに店を離れていった。そういえばイリスたちが勘定を済ませていかなかったことに気づいて、ロートは愕然としたのだった。