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エピローグ

 ノルデモはいま、大きく揺れ動こうとしていた。

 道という道には武器をとった人々があふれかえり、筆頭教祖の屋敷になだれ込もうとしている。教祖たちの抱える私有兵も圧倒的な人数差の前には為すすべもなく、濁流のような人の流れにのまれてしまっていた。

 甲高い悲鳴と、たくさんのどなり声が交錯する様子を、イリスとロートはレンガの塀の上から眺めていた。

「大変ですねえ。もう暴動が始まってから一週間ですよ。そろそろ沈静化してもいいころじゃないですか」

 所狭しと巻かれていた包帯はほとんど必要なくなり、無数の傷口にはかさぶたができている。体もほとんど問題なく動かせたし、あとは皮膚がきれいになりさえすれば完治といったところだ。

 遺跡に行く前に買った若草色のローブは二つの大きな穴が目立ってしまうため、渋りながらも手放した。

 そのためノルデモに来る前と同じ、何色かわからないほど使い古されたローブを着ていた。新品もいいが、着慣れた旅のお供もいいものだ。と、ポジティブに考えることにする。

「もうすぐ教祖たちも音をあげるでしょうからね。ここで収まったらまた権力で抑え込まれないとも限らないわ。正念場ってやつよ」

 イリスは相変わらずの端正な顔立ちをして、涼しい表情で民衆の挙動を見守っている。高いところが妙に似合う。アヤメ色の長い髪がそばを流れる風にたなびいていた。

「僕にとっては養生にもなりますし、退屈しないのでいいんですけど。さすがに一週間も続くと飽きてきますね」

「そんなことを言ったら無傷のあたしはどうなるのよ。どこかで暇をつぶそうにも、どの店も出払っていて何もできやしないわ。火事場泥棒なんて野暮ったいこともしたくないし、遺跡で拾ってきた財宝を数えることくらいしかすることもないし」

「その割にはずいぶん楽しそうでしたけど」

 ロートが冷ややかな視線を送る。イリスは右手をヒラヒラと振った。

「あれだけお金があれば好きなものが買える――と思ってただけの話よ。そんな悪徳商人がへそくりを数えるみたいなことを言わないでちょうだい」

「まさにそんな感じでした。さすが師匠です」

 ロートの後頭部から、ぱこんという軽快な音が響いた。

「けが人になにするんですか!」

「あんたが弱くて負った傷でしょうが。そんなものを言い訳にしないの」

「……でも、結果として倒したわけですし」

「あたしはこの通りぴんぴんしているわよ。この差はなんなのかしらね」

「年の差ですかね」

 再び、ロートをたたく。

「一段と生意気になったみたいね、あんた。根性をたたきなおした方がいいかしら」

「遠慮しておきます。僕はまだ素直なままですし」

 師匠と違って、という言葉は胸の奥にとどめる。減らず口も加減をすこし間違えればあっというまに惨劇への引き金となるのだ。

 その辺の感覚は、ようやくつかめてきた。

「そうね。失敗すると泣いちゃうようなお子様だから、まだあたしの保護がないとダメなのよね」

「自分だってアリスさんを人質に取られたくせに。僕が来なかったらどうするつもりだったんですか」

「その時はその時よ。あんな素人の背後をとるくらい簡単だしましてや足手まといの人質を抱えていたんじゃ格好の餌食ね。遺跡を出る前には勝負をつけるつもりだったわよ」

「ほんとですか」

 ロートが疑わしそうな視線を向ける。

 イリスは顔をそむけると、目の前の景色を見やった。

 人の渦のなかから飛び出している鉄の棒や、大きめのはさみや、農耕具が操り人形のように揺れては教祖の屋敷へと押し寄せる。

 それでもなかなか屋敷を攻め落とせないのは、狭い入り口の付近で身動きが取れなくなっているからだ。人数が多すぎると行動を不自由にする。そのせいでなかなか進展がなかった。

 だが、それもどうやら決着がつきそうだった。

 イリスたちがいとも簡単に突破した警備兵の防御網をかいくぐって、怒った人々が廊下を疾走していくのが見える。屋敷の周りはすっかり取り囲まれているので、逃げ出す隙はまったくなかった。筆頭教祖が捕まるのも時間の問題だろう。

「もうすぐ終わるのね」

「僕たちも出発しなければいけませんね。こんどはなるべく危なくない仕事がいいんですけど」

「なに言ってんのよ。お宝の価値はそれを手に入れるまでの危険度に比例するの」

「そう言っていつも先鋒は僕じゃないですか。自分はうしろでいつでも逃げられるようにしているくせに」

「あら、心外ね。あたしはただ背後を守っているだけなのに」

「この前なんてトラップが作動した時僕は生き埋めになりそうになりましたけど、師匠は悠々と脱出して待っていましたよね」

「あたしの足が速かっただけじゃないの」

「弟子を容赦なく見すてて逃走するからですよ」

 石の割れるような音がして、それから正門の扉が豪快に崩れ落ちた。あちこちから歓声が聞こえる。後ろのほうは事情を把握できていないが、とりあえず場の雰囲気に合わせて叫んでいるような感じだった。

 イリスが顔をしかめる。

「騒々しいわね」

「あれ、アリスさんたちじゃないですか」

 ロートが指差す先には、屋敷のなかから手を振っているアリスたち三人の姿があった。その周りを、物々しい武装をした男たちが守っている。

「偉くなったものね、リーもあんなことをしなければ指導者になれただろうに」

「アリスさんは自分のためじゃなく、みんなのためにリーダーになったんです。自分の欲望を満たすためだけに平気で人を殺せるような人が街を収めるようなことになったら、ノルデモは大変なことになっていたかもしれませんよ」

「いまも大変みたいだけどね」

 イリスがため息をつく。

「まさかヴィヴェル教の原典を持ち帰ったくらいで、こんなにすごい騒動が起きるとは正直思ってなかったわ。やっぱり宗教って理解できないわね」

「それは僕も同感です。神様なんてものは、いつまでたっても信じられそうにありません」

 ロートがうなずく。なんとなく空を見上げると、珍しくひとかたまりの雲が浮かんでいた。砂漠の天気はいつも快晴なのに。

「あんたとっては、あたしが神様みたいなものかもね。とどめを刺されそうになったときに助けなかったら、今ごろバラバラにされていたわよ」

「師匠がいなかったら、そもそも命を狙われるようなことにもなっていませんよ」

 どこか平和な場所で平穏な少年時代を過ごしていたことだろう。羊飼いがオオカミの来ない毎日を過ごすみたいに。

 ロートは両手で手を振るアリスに、小さく手を振り返した。

 あまり緊張している雰囲気はないから、ひょっとすると教祖たちはもう捕縛されているのかもしれない。ノルデモの人々は新しい宗教に生活をささげようとしているのだ。利益のために改変されたヴィヴェル教ではなく、昔のように人々を魅了したヴィヴェル教を取り戻したから。

 リーからヴィヴェル教の原典を取り返したあと、アリスたちはすぐノルデモに戻った。イリスとロートが砂漠に散った四つの遺体をオアシスの墓場に運び終えてから帰還すると、すでに大規模なデモが始まっていて簡単に裏口から入ることができた。

 ノルデモの裏門を守るものはもういないのだ。

 遺跡へ突入するための準備を整えていた私有兵たちとのいざこざはあったが、それも圧倒的な数の差で飲み込まれた。アリスたちにその気はあまりなかったようだがリーダーに担ぎあげられ、緊張感のない指揮を執っている。

 本当にあんなものでいいのだろうかとロートは心配していたのだが、多少の問題は無視できるくらいの勢いがあったためか、なんとか戦いも無事に終わろうとしている。

「次の指導者は誰になるんでしょうね」

 ロートがイリスに聞く。アリスたちがノルデモの指導者としての地位を望むとは思えなかった。

「誰でもいいわよ、あたしには関係ないことだし」

「気になりませんか?」

「政治とかには興味ないの。そこにお宝があって、そこに旅人が行けばいいだけのことなんだから」

「法律を知らずに破ってつかまりそうですね、いつか」

「なんであたしが捕まんなきゃいけないのよ。もしそうなっても代わりにあんたを差し出すからいいけど。懲役が終わるころに迎えに行ってあげる、もし死刑だったらあんたが迎えに来てね」

 なにもしていないのにどっと疲れが湧いてくる感じがした。イリスと話しているとよくあることだ。会話の半分でけなされているか、冷や汗のかくようなことを宣告されているか、そのどちらかだ。

 そのまましばらく塀の上で休んでいると、教祖たちが麻の縄で縛られて担ぎ出されてきた。耳を割るような歓声がとどろく。

 どこからか石が投げつけられて、教祖たちの頬を切った。歓声は怒声にかわりきたない罵りの言葉がいくつも浴びせかけられる。

 イリスはまた顔をしかめた。

「荷物をまとめるわよ。そろそろ出発しないと」

 横に置いてあったバッグを手に取り、立ち上がる。たっぷりと食料や水の詰め込まれたバッグはロートが持つことになっているので、イリスが背負ったのは比較的軽い衣服などが入ったものだ。

「最後まで見届けないんですか?」

「なんだか胸糞悪くなっちゃったのよ。どうにもこういう野蛮なのはあたしに合わないみたい」

 イリスがロートをせかすと、渋々といった様子でロートも腰をあげた。

 そのとき、ノルデモの住民たちの声量がひときわ大きくなったかと思うと、いかつい男たちに囲まれながらアリス、ヴェート、ノイアーの三人が姿を現した。

 この三人のなかではヴェートがいちばんさまになっているだろうか。少なくとも外面上は真面目そうで、いかにも全てを計算しつくしている、という雰囲気が漂っている。実際にはそんなことないのであまり信用しすぎてもいけないのだが。

 ノイアーには貫禄といったものがまるでなく、追っかけの女の子たちに手を振るアイドルのような表情をしていた。

 取り巻きのひとりがよく通る声で「これから演説がある」と言った。

「せめてこれを聞いてからにしましょうよ」

 ロートがごねるとイリスは露骨に嫌そうな顔をしたが、無言で返事をした。

 けほん、とひとつ咳払いをしてヴェートが話しはじめる。要約する部分を間違えたような、無意味に長い言葉の羅列が延々と続く。その間も、あたりは静まりかえっていた。

 イリスが欠伸をした。

 そろそろ居眠りをする人が出てくるだろうかという時間が経過したあと、ようやくヴェートの演説が終わった。大きな拍手がからっぽになった屋敷の敷地にこだまする。

 そのとき、アリスが一瞬の隙をついて警備の男たちを出し抜くと、まるで跳ねるように肩から肩へ移動し、ロートのすぐ横に着地した。

「本当にありがとう」

 と感謝の言葉を送る。

「僕はお手伝いをしただけですよ。ほとんどは師匠と、それからアリスさんたちのおかげです」

 イリスの鼻孔が、ちょっとだけふくらんだ。

「でも、旅人さんがいなかったら私たちはなにもできなかった。あの砂漠で命を落としていたと思う」

 アリスはロートの両手を握ると、そっと耳元で付け加えた。

「ありがとう、ロートちゃん」

「……ちゃん?」

 けげんそうな表情をするロートの襟首を引っ張って、イリスは塀から飛び降りると、そのままノルデモの正門に向かって走り出した。なされるがままのロートの足元から土煙が巻き立つ。それは旅人たちの姿を覆い隠し、足音が聞こえなくなるころにはまるで最初からいなかったみたいに見えなくなっていた。



 それからというもの、ノルデモには二人の女神が信仰の対象として迎え入れられたという。そんなことは露知らず、イリスとロートの旅は続くのだった。

これでおしまいです。

ここまでお付き合いしてくださった読者さん、本当にありがとうございました。

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