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始まりの本


「これが遺跡なのね」

 恍惚とした表情で崩れかけた遺跡の入り口を見つめるリーの口から、自然とため息が漏れる。

 砂漠ではとれない、どこか遠くから運ばれてきた白黒の石材を主として、まるで神殿のような遺跡を形成していた。何本もそびえたつ巨大な柱はところどころ欠けてはいたが、ほとんど破損していない。

 イリスが壁の表面をぬぐうと、砂ぼこりの下からつやのある表面が出てきた。

「保存状態がすごくいい。きっと惜しみなく費用を投じたんだと思う」

 リーが独り言のようにつぶやいた。

「外側がこれだけきれいなんだから、内部はさぞかし美しいことでしょうね。ヴィヴェル教の原典とやらが無傷で保存されている可能性も高いわ」

 イリスが賛同した。長い間、厳しい砂漠のなかに放置されていたとは思えないほど美麗な建物は、まるで神に守られていたかのようだった。

 人が出入りするには大きすぎる入口を抜け、冷ややかな空気の流れる内部に足を踏み入れる。

 太陽の日差しがさえぎられるだけでも体感温度はだいぶ変わる。ノルデモでは見かけないガラスの窓から、細い明かりが差し込んでいた。

 大理石の床は砂をかぶっていたが奥に進むにつれてそれもなくなった。

「どこにあるんだろうね、ヴィヴェル教の原典は」

 サントが子供のようにはしゃぎながらリーに訊いた。石で造られた建物のなかでは、声がよく反射して何重にも聞こえる。

「外から見た感じだとそれほど広いわけでもなさそうだったから、すぐに見つかるわよ。サントもうかれていないでしっかり探して」

「はーい」

 もうすっかりお宝を手にしたようなサントは、スキップをしながら捜索にむかってしまった。イリスとリーも別々に調べはじめる。

 遺跡の細部に注目してみると趣向を凝らしたものだということがうかがい知れた。貿易によって得た東西の産物と技術を惜しみなく注いでいるようだった。

 当時のオアシスの街は相当繁栄していたらしい。

 これなら原典とともにおさめられているだろう宝石や宝物にも期待ができそうだ。イリスはほくそ笑む。高貴な身分の人の墓だったり、そのほかにも重要なものが供えられているところには、副葬品があるものなのだ。

 もちろんメインの宝に比べれば見劣りするが、大事な収入源にはなる。盗賊団なども、その副葬品を狙うことが多い。価値のつけられないほどの宝が幻夢だとすれば、周りにひしめく金銀財宝は現実のようなものだ。

「おーい」

 というサントの呼ぶ声が聞こえたのでむかってみると、スイッチのような突起が壁から生えていた。

「罠かもしれないわよ」

 リーは警戒して近寄ろうとしないが、サントは押してみたくて仕方ないようだった。しきりに指を組んだり離したりしている。

 イリスはスイッチの周りを触りながら調べる。

「大丈夫だと思うわよ」

 言うが早いや、サントの指がかかった。

 カチ、という音がして壁の奥でなにか機械のようなものが起動しはじめる。壁のタイルが入れ替わり、小さな扉が出来上がった。

「変形して巨大人形にでもなるのかと思ったのに」

「そんなものを大丈夫って言ったの?」

「冗談よ。なったらなったで面白いけど」

 実際のところ、なんの確証もなく大丈夫だと言ってしまったのだけど、結果として無事だったのだからいいだろう。普段からロートをつかってトラップを解除しているので、あまり真剣にやる気がしないのだ。

 仕掛けが発動してしまったらそれはそれでなんとか対応できるものなので、直感で判断したのだが、後ろに控えているのが素人二人だということをすっかり忘れていた。

 新しくできた扉の向こうでは細い通路が地下に向かって続いている。明かりがないかと思ったら、どこからか光が反射しているらしく、道を照らしていた。

 しばらく下へ下へと進んでいくと、やがてもうひとつの扉が行く手を阻んだ。

「あたしの勘が、このさきにお宝があるとささやいているわよ」

「それだったらなおさら戻るわけにはいかないわね」

「早く開けようよ」

 サントが無遠慮に最後の扉を開くと、埋もれるほどの金貨と、その上に一冊の本があった。表紙にはヴィヴェル教という文字が刻印されている。

「これで間違いなさそうね」

 サントが急いで金貨の山を登り、ずっしりと重い原典を手にする。すぐあとからリーが追いき、半ば奪い取るように原典を手中にした。

 ページをぱらぱらとめくり中身を確かめると、その手でナイフを取り出し、サントのわき腹に突き刺した。

「……え?」

 なにが起こったのか理解できないまま金貨の山から転がり落ちる。転がるたびに血の跡が点々と軌跡をきざんだ。赤い紋様はイリスの足元にまで続き、そして止まった。

「痛い――助けて……」

 必死にイリスの足首をつかんで助けを請うが、長くはもたないだろうことはすぐに分かった。その間にも血は止まることなく流れ出し、小さな血だまりをつくった。

 サントの息が途絶えるまでの時間は、途方もなくゆっくりと経過していった。イリスもリーも言葉を発さない。苦しそうな荒い息だけが財宝で埋まった部屋に響いていた。

「どうし、て」

 答えを聞くことのない問いを最期に、サントの命はこと切れた。

 イリスはサントの瞼をそっとおろすと、金貨の頂上でまるで女王のように見下だした視線を送っているリーを睨みつけた。

「あたしも訊こうかしら、どうして彼を殺したのか」

 感情のこもっていない冷たい口調だった。

「こいつはただの道具、乗り物だもの。目的地に達するまでの一時的な手段にすぎないわ。使い終わったらもう用済み、重すぎる荷物はかえって足手まといになる」

「だから切り捨てた」

「そう。簡単な理由でしょ」

 イリスとは対照的にリーの口調には、どこか楽しげな響きがあった。近くにあった小石ほどの大きさのルビーをつまみあげると、手のひらで弄びながら言う。

「恋人同士なんてまっぴらごめん。男には全然興味がないのよね、私。好きなものは金と権力、これくらいかしら」

「あんたの毛嫌いしていた教祖と変わらないじゃない。そんな陳腐なもの」

「スポンサーも馬鹿よね、まさか私に足元をすくわれるなんて夢にも思っていなかったんだから。自分たちの破滅を招くために資金を提供するなんて、こんなにおかしい話もないわ」

 リーの甲高い笑い声が、あちこちに反射して合唱のように重なりあう。

 まるで何人もの嘲笑が響き渡っているみたいに。

「私はね、この原点を持ちかえって新しい教祖になるの。そこでノルデモの富と名声をすべてう根こそぎ吸い取ってやる、誰を救うこともできない神様の名をつかってね」

「つまらない夢ね。所詮は小さな街の王様でしかないじゃない。空と同じだけ広い世界の、ほんの一部を支配しただけで満足するなんて、あたしには理解できないわ」

「どうして? それで充分じゃない。たかがノルデモ一つで一生遊んで暮らせるんだから、これ以上を望むことはない。わずかな人生でできることは限られているものよ」

「あんたには砂粒ほどの旅人としての素質もそなえてはいないわね。まだロートのほうがまし」

 イリスは呼吸のそぶりさえも感じさせない、まるで彫像のように同じ態勢でリーを見ていた。感情を声にのせることはない。言葉だけで表現しようとしているみたいに。

「旅人なんてくだらないものにいつまでも縛りつけられているから、ノルデモは進歩しないのよ」

 リーは吐き捨てるようにそう言うと、金貨の山を下って動かなくなったサントのからだを踏みつけた。ぐい、とイリスに顔を近づける。

「これを持っていけば、私の目的は完遂される。あなたに危害を加えるつもりはないの、サントと違って邪魔になることもないし暗殺者たちを追い払ってくれたのにも感謝しているから。報酬はここにある財宝を半分くらいでどうかしら。どうせそのうち手にはいる富だもの。増やしたいなら全部どうぞ」

「そんなこと言ってあたしを殺せるだけの度胸もないくせに」

「どうかしら、今は不思議となんにも怖くないの」

 新たに取りだした銀色のナイフの刃を、イリスの首筋にはわせるようにしてなぞる。悪寒の走るような感触が体中に拡散した。

 イリスは喉元に迫るナイフをどけようともせず、声色を変えることもない。

「あたしはこんな辺境の地で死ぬ気はさらさらないの。まだたくさん行かなきゃならないところがあるから。あんたと違ってひとつだけの辺鄙な街じゃ満足できない」

「それならよかった。あたしも旅人を殺したくはないの。ノルデモは旅人によって始まり、旅人によって変革される。それってドラマチックじゃない」

「さあ?」

 無関心なイリスの返事をさして気にとめた様子もなく、リーはナイフを離して入口のほうに視線をやった。

 複数の足音があわただしく近づいてくるのが聞こえた。イリスもようやく顔だけを音のする方向へむけた。

 最初に姿を現したのは黒髪の女の子だった。まだ幼さの残る顔立ちはくっきりしていて、とくに大きな瞳が印象的だ。続いてはいってきたのは女の子と輪郭がそっくりな短髪の男だった。口元の引き締まった賢そうな雰囲気は、リーとはまた違ったものだ。

 最後にやや遅れて登場したのが、イリスの苦手な優男風で背の高い人だった。

 たしかロートといっしょにつるんでいた人たちだと思いだす。当の本人の姿は見えないが。

「あらあら、残念ね。ヴィヴェル教の原典ならもう私がもらったわよ。あなたたちは完全な無駄足というわけ」

 リーが本をひらけかす。

 駆け込んできたばかりのアリスは状況を理解するのに少し時間がかかっていたが、イリスの顔を見ると「旅人さんの怖いお師匠さん?」と尋ねた。

 やはりロートの仲間だったかと舌打ちしながら、イリスは密かにアリスたちへにじり寄る。

「怖い、は余計だけどその通りよ。ロートはどうしたの?」

「怪我をしていたのでテントで休んでもらっています。だから僕たちの力だけで、ノルデモの真実を確か見に来ました」

 力強い口調で、ヴェートが進みでる。イリスはさりげなくリーとの間にからだを入れて壁をつくりながら、リーとの距離を遠ざけようとした。

「それはあたしたちが終えたことだから、あんたたちはすぐに帰りなさい。ロートはあたしが拾っていくから心配ないわよ」

「そういうわけにもいかないんです。私、絶対にヴィヴェル教の真実を見つけだすって約束したから」

 アリスが黒い瞳で訴えかける。イリスは小さく顔をしかめたが、その後ろでリーが高らかに笑い声をあげた。

「約束なら仕方ないわね、教えてあげる」

 リーは隠れ家でイリスに語った話を、そのまま繰り返した。真剣な表情で食い入るように耳を傾けるアリスは、話が終わると顔をほころばせた。

「それなら、いいです。私はただケビンの仇を取りたかっただけで、原典を手に入れることが目的じゃないから。それでノルデモという街に復讐できるならそれでいい」

 旅人さんのところに帰らなきゃ、ときびすを返そうとするアリスたちの背中にリーが呼びかける。

「わざわざこんなところまで来たんだし、せっかくだから手土産にこれからの話を聞かせてあげる」

「聞かないで――」

 イリスが制止しようとするが、リーの声は止まらない。

「これから私は新しい神になるの。忌々しい教祖たちによって捻じ曲げられたヴィヴェル教ではなく、この原典に書かれた純粋なヴィヴェル教をつかってね。教祖の権力と地位は、私がそのまま受け継ぐ。ノルデモの金も、人も、全て私の物になるのよ」

 イリスはボニタ・ソニオに手をかけた。今のリーはとても危険だ。ヴィヴェル教の原典を手に入れて有頂天になっている。暴走してアリスたちになにをしでかすかわからない。

「――それじゃあ、なにも変わらないじゃないか」

 ノイアーが声を荒げた。

「俺たちはケビンを殺したノルデモそのものを変えたくてここに来たんだ。それなのに、筆頭教祖があんたに代わるだけだなんて、意味がない。そんなことはさせない」

「その通りですよ」

 ヴェートが落ち着いた口調で続ける。イリスはすぐにでも彼らの口をふさいでこの場を立ち去りたかったが、燃え上がった正義の炎を消すのは困難だった。

「あなたが筆頭教祖になったからといって実態はなにも変わりはしない。ノルデモはノルデモのままだ」

「それでいいのよ。ノルデモが変わる必要なんてない、トップが私になればいいだけのことなんだから」

 リーはナイフについている固まりはじめていたサントの血を拭うと、イリスのほうへ向けた。

「おかしな動きはしないで。あなたの銃が驚異的なのはわかってる」

 一瞬の隙をついてアリスの柔らかな首筋にナイフの切っ先を押し当てる。リーはそのままゆっくりと出口に向かって後ずさると、体をイリスたちに向けたまま階段を上る。

「近くに来たらこの女を殺す。どちらにせよ私がノルデモに帰ったらあんたたちは皆殺しにつもりだったんだけど、逃げるチャンスを与えてやる。砂漠で死ぬか、街で死ぬか、それくらいは自分で選びなさい」

 足音だけを残し、リーたちの姿が見えなくなるとイリスはすぐに後を追いかけた。

 リーの視界に入ってはいけない。そう思うと慎重にならざるを得なかったが、イリスが階段を上りきる前に女性の悲鳴が響いた。



ようやくテストが終わった……。

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