秘密の真相
その巻物は複雑な唐草文様で彩られていて、あまりノルデモでは見かけないような模様だった。大理石の上にくぼみがあって、そこにぴったりはめ込まれている。
リーが巻物をとめているひもをほどくと、両手を広げるよりも少し大きいくらいの帳面を床に展開させる。イリスには読めないがどうやら文字と、ノルデモのような街とオアシス、それから遺跡の絵がかかれている。
「親愛なる旅人との友情の証として、これを記す。ヴィヴェル教の本質が悠久の時を超えて守られ続けることを祈って――とまあ、こんな感じね」
文字をなぞりながらリーが読み上げた。
「あれ? この絵ちょっと変じゃない?」
イリスが不審がって指差すところには、ノルデモの街が描かれている。城壁に囲まれた孤独な街。
「どこが?」
「ほかのところはずいぶん古い感じで色も薄れかけているけど、ノルデモだけは古いには古いんだけど違う種類の色をつかっているみたい。まるで後で付け加えられたみたいに」
「…………」
息をするのも忘れるくらいの集中力で、リーが巻物を凝視する。イリスの直感が正しいとするならば、それはいったいなにを意味しているのだろうか。
人為的な手心が加えられた秘宝は、どんな秘密を包んでいるのだろう。まだ見ぬ砂漠の向こうの遺跡に思いをはせていると、いつの間にか時間が経過していた。
そろそろ逃げる準備にうつらなければ。イリスはずっと同じ姿勢で巻物を見つめているリーに、背中越しに声をかけた。
「そろそろ撤退しましょう。それは帰ってからでも充分に調べられるでしょう」
「……それもそうね」
リーはまだ名残惜しそうにしていたが、慎重な手つきで巻物を丸め、懐にしまった。
兵士たちはしばらく気絶させたままだから心配ないとして、無事な者がふとした理由で感づかないとも限らない。これ以上とどまっている必要はなかった。
両脇に眠る男たちの無防備な姿を横目に、イリスとリーは無人の廊下を駆け抜けた。障害がないので、出口まではあったというまだ。
入ってきた扉から抜け出し、塀を超えてちかくの茂みに身をかくした時、イリスは緊張した面持ちの男女数人といっしょにいるロートの姿を見かけた。
どうしてあんなところにいるのかしら。
運命のいたずらか、皮肉なことにイリスの後を知らず知らず追いかけていたなどと、ロートが気付くはずもなかった。
二人が路地裏の隠れ家に帰還すると、サントはよい香りをした紅茶を並べて待っていた。イリスたちが盗みにおもむいている間に眠ってしまわないよう、自分でも飲んでいたらしい。
まるで主人の帰りを待つ忠実な犬みたいだとイリスは思った。
どうやったらロートもそんな風にしつけられるだろうか。手始めに「様」をつけて呼ばせてみるか。イリス様、イリス様。うん、悪い響きじゃない。
リーはサントの用意していた紅茶など目もくれず、机に置いてある雑多な資料をおしのけると、ランプを手繰り寄せて、はりつくように研究に向かってしまった。
ときおり分厚い辞書をたぐりよせてはページをめくり、また巻物に戻る。しばらくはその繰り返しだった。
とても邪魔できるような雰囲気ではなく、イリスとサントは静かに紅茶をすするくらいしかすることがなかった。それも、なるべく音をたてないように。
長い退屈な時間がたち、やがてリーが頬を紅潮させながら戻ってきた。その手には巻物が握られている。
「調べた結果、いろんなことが分かったわ」
興奮に満ちた様子はいつものクールな姿からはかけ離れていておかしかった。研究に没頭すると我を見失ってしまうタイプらしい。
サントが紅茶を片づけ、空いたスペースに巻物を広げる。端から端までつかってようやくおさまるくらいだ。
「今から話すことが事実だとすると、これがトップシークレットだったのにも納得がいく。とても他人には見せられないわね」
「もったいぶってないで早く教えなさいよ」
イリスが口を挟む。じらされるのは嫌いなのだ。
「まずさっきのことだけれど、ノルデモが後から加筆されたものだというのはほぼ確定的ね。インクの質が全然違うもの、ずっと安物をつかっているからすぐに分かったわ。それから書かれていた文章を要約すると、ヴィヴェル教が伝わった記念に遺跡を立てたので、そこにヴィヴェル教の原典をおさめる――ということ。当時の領主が作ったみたいね」
「領主? 教祖じゃなくて」
サントが質問するが、リーは呆れたような口調で答えた。
「ヴィヴェル教が伝道する前にどうやって教祖になれっていうのよ。昔は教祖の代わりに領主がいて、税金やなんやを徴収していたの」
「ふーん」
あまり理解していない様子のサント。どうやら彼は助手というよりも、使い走りのようだ。
「それからオアシスのことだけど、木と泉のほかにこまごまとした建物や、人のようなものも描いてあるでしょ。この巻物がつくられたのはヴィヴェル教が伝わってすぐのことだから、この当時はオアシスにも街があって、それもかなり栄えていたみたいね」
イリスはノルデモに到着する少し前におとずれた、廃墟の立ち並ぶオアシスのことを思い出した。そういえば奇妙な場所だった、泉はなぜかせき止められていたし、建物に続く用水路はすっかり干からびている。
あれが当時の街だったなら、なにかの原因で住民がいなくなってしまったのだろう。
「オアシスの街は東西からやってくる異国の商人たちの、貿易の重要な拠点になっていたみたい。だから物資も豊かだったし、住民も潤っていたことでしょうね。とにかく不自由なんてなにひとつない、隆盛を極めていたころの話ね」
それほど栄えていたなら、なにか重大な理由があったのだろう。街を滅ぼし、出ていかざるを得ないような理由が。
「それがどうしてなくなってしまったのか。ここからは私の個人的な予想になるんだけど、ほとんど確信したといっても過言ではないわ。それはね」
リーは息を深く吸い込んだ。そして、言う。
「ノルデモはオアシスを捨てて作られた街だということ。つまり、その当時にノルデモなんてものは存在していなかった。後から付け加えられていたのがなによりの証拠ね。そして、その理由は」
戦争があったから。
「前から不思議に思っていたんだけど、どうしてノルデモはこんな堅固な城壁で守られているんだろうって。砂から街を守るだけなら、あんなに壁を厚くする必要はないのに。まるでいつか敵が攻めていることを知っているかのような、そんな不安感さえも覚えさせる」
「その戦争の理由は?」
「これもあたしの推測でしかないんだけど、おそらく宗教をめぐって戦争があったんではないかと思うの」
「ヴィヴェル教しかないのに?」
これもサントが尋ねる。
「同じ宗教とはいえど、解釈の仕方が違ってくれば価値観の差異も生まれる。それが宗派の分裂につながるっていうのは、よくある話よ」
今度はイリスがてきぱきと返答した。宗教のことに関してはいろんな事例を見聞きしているぶんイリスのほうが詳しい。ヴィヴェル教に限ってはもちろんリーのほうが上ではあるが。
「そういうこと。分裂のきっかけはたぶん貿易が衰退しはじめたことにあったと思う。それくらいしか考えられない。オアシスの街の財源は膨大な量の貿易品にあったから、それが途絶えたらさびれていくのは自明の理ね。いきなり数日の間にぱたっと交易がなくなってしまったはずないし、徐々に財政が傾いていったのだと思うわ」
リーの解説が続く。イリスとサントは神妙な顔で聞き入っている。
「豊かだった暮らしが悪化しだすと、贅沢に慣れてしまった人間のなかには不満がたまっていく。その不満の矛先は宗教に向けられ、やがて行き場を失った力は暴力に変わった。それが戦争のはじまり。長い闘いは全てを破壊しつくし、生き残った者たちは無残にすたれてしまった街を見て愕然としたでしょうね。もうそこに、住める場所はなかったのだから。だから故郷を捨て、ノルデモという街をあらたに創った。攻め込まれないよう、厚い城壁でかこった街を」
悲しい話だった。
心の安定をもたらすはずの宗教が糸口となって崩壊をもたらしたのだから。直接的な原因は貿易の減衰だったとはいえ、それを救うことはできなかった。結果、神様を口実にしてたまったうっぷんを晴らすためのはけ口になり下がってしまった。
イリスはしばらく考え込んでいたが、ぼそりとつぶやいた。
「でも、それだけでは公開する必要はないにしろ、隠し通すこともないんじゃないかしら。たしかに衝撃的な事実ではあるけど、わざわざ厳重な警備を施すほどのことではないでしょ」
「そこにもうひとつの知識を合わせると、とんでもない結論が導けるわ」
リーの声はかすかにふるえている。それは興奮のためか、それとも知ってしまったがゆえに充満する恐怖のためか、イリスには判断がつかなかった。
「ノルデモを創設した連中は、報復を恐れて相手を皆殺しにした。赤ん坊ひとりさえものこさないほどの徹底した虐殺のせいで、ヴィヴェル教は彼らだけのものになったわ。つまり」
「本当のヴィヴェル教は、彼らによってねつ造されたものである――ということね」
イリスが小さくうなずきながら結論を述べる。
これなら、ノルデモをひっくり返すほどの事実になりえるだろう。本来のヴィヴェル教ではない、教祖たちの手によってつくられた偽物の神をずっと信じさせられていたのだから。
自分たちの都合のいいように改ざんされた歴史の闇。真実を知れば、住民は怒り、ノルデモが滅びかねない。
「だからこそ、ヴィヴェル教の原典が置いてある遺跡のことを秘匿しておきたかった。原典が明るみになれば、みんなそれを読みたいと思うでしょうからね。そうしたら教祖たちの独裁も崩れてしまう」
「……それって、もしかしてすごく危険なことをしたんじゃないか。命を狙われることも……」
サントが一歩遅れた反応で、あたふたと焦りだす。
イリスとリーは同時に大きなため息をついた。大丈夫だろうか、こいつは。
「あたりまえじゃない。こうなったら筆頭教祖は死に物狂いで私たちを探しに来るでしょうね。もたもたしている暇はないわ、すぐにこの遺跡におもむいて動かぬ証拠を握っておかないと。噂の暗殺者に消される可能性も、充分にあるし」
「でも、それは噂だし……」
言いよどむサントは、それがただの噂でないことを知っているようだった。
「いい加減諦めたら。私たちは運命共同体、いちど足を踏み入れたら戻ってこられないところに来てしまったのよ。もちろん、あなたも」
リーは旅人をまっすぐ見つめるが、イリスは視線を合わせようとはしなかった。
隙間風が扉をきしめかせる。サントは飛び上がって驚いたが、微動だにしないイリスさえもそれが暗殺者たちの足音に聞こえて仕方なかった。