オアシス
砂漠の砂粒を数えるのと、海にいる魚の数を計測するのと、どちらが簡単だろうかとロートは考えていた。まるで波のようにうねっている砂丘が目の前にいくつも広がっていてうんざりしているのだ。
休憩場所を出てから数時間、イリスの言う強行軍を実践するため二人は休みもなく歩き続けていた。彼らの後ろには二人分の足跡がまるで努力の証のように軌跡を描いている。進んでも進んでも、目に入る景色はちっとも変わらなくて、砂だらけの景色が目に焼き付いてしまった。
「ししょ~う。いくらなんでも無茶じゃありませんか~」
「うるさいわね。あんたのほうが若いんだから文句言わずに歩きない」
「方角も適当に決めて、気の向くままに進んでも街にたどり着くとは思えないのですが」
「だったらどうすればいいのよ。このだだっ広い砂漠で直感以外のものを頼りにできるっていうの?」
ロートは周りを見渡した。
雲のない青空に、大きな太陽がどんと腰をおろしている。あとは砂と、点在しているサボテンのような細々とした植物ばかりが目に入った。
「……占いとか?」
「馬鹿言ってんじゃないわよ」
占いをするとすれば、あんたは運勢最悪ねと取ってつける。
「あたしが占いなんてこれっぽちも信じていないのは知っているでしょうが」
イリスは砂粒を拾うと、ロートの前で掲げて見せた。
「僕だって分かっていますよ、そのくらい。ちょっと疲れていたみたいです」
「……あたしも、疲れてきたみたい」
珍しい。師匠が弱音を吐くなんて、とロートは思った。
これは嵐が来るか、雪が降るか、とんでもないことが起こりそうな予感がする。
「どうしたんですか、いったい。師匠らしくもない」
「あたしの目がおかしくなっているのでなければ、あそこに大きな街が見えるのよ」
イリスの指さす方角に、ロートは目を凝らす。ぼんやりとだが、壁に囲まれた建物の群れがあるようだ。緑もある。古代遺跡のなれの果てというわけではなさそうだった。少なくとも人間が住んでいるだろう。
人のいるところに、秘宝はある。
それも友情だとか愛情が宝物だというクサイものじゃなく、正真正銘の宝石だったりこの世界に二つとない代物だったり、とにかく目に見えるものなのだ。
現にイリスの指には蒼い輝きを放つ至宝『海神の指輪』がはめられている。アスマークという港町で成り行きと勢いに乗せられて半ば強奪のような形でいただいてしまったものなのだが、それはまた別のお話。
「あー、本当ですね。僕にも見えます」
「ということはつまり、二人して幻覚を見ているかあそこに街があるのが事実ということなのか……まあ、後者でしょうね。万々歳よ」
「やっと水が飲めますね」
「そうじゃなくてお宝があるということに決まっているでしょうが!」
イリスがかみつく。
これではボケと突っ込みが反対だ。砂漠の熱気は人の性格をも変えてしまうらしい。
ロートの反応はいたって普通のものなのだが、それすらも気付くのがおっくうになる。
「街があると分かれば走って行くのみよ。向こうから来ないのなら、こっちが迎えに行けばいい」
「走ると余計に疲れますけど」
「結局動く距離は変わらないんだから、歩いても走っても疲れるのは同じよ」
「百メートルを歩くのと、百メートルを全力ダッシュするのではどっちが体力を消費するんでしょうね?」
「当たり前のようにダッシュね」
「そうですよね……」
ロートは大きくため息をついた。
ため息は少しも白くならずにすぐ消えた。
その街は外壁で覆われていた。
周囲をぐるりととりかこむ城壁。石で造られたそれは何者の侵入も許さず、流砂さえも拒んでいるように見えた。
その上、とてつもなく大きい。
街というよりは都市という表現がしっくりくる。城砦都市。何を恐れているというのだろう。
「でっかい街ねえ」
「僕が見たなかでも一番ですよ」
「あたしにとっては百番以内に入る程度だけど」
いったい何歳なのだろうと想像してみたが、脳内に現れたイリスによってすぐに叩き潰される。そのまま追撃をかけるように、恐ろしいくらいニッコリ笑ったイリスが「女性の年齢を推測するような無礼者にはお仕置きが必要ね」と言って拳を振り上げた。
「やめてください師匠~!」
思わず頭を抱えて座りこむロート。それを不思議そうに眺めるイリスの視線は乾いていた。
「なにやってるのよ」
「……いえ、師匠が殴りかかってきそうなものでしたから」
「蜃気楼って恐ろしいものね。それとも気が緩んだのかしら?」
「いえ、むしろ引き締まった思いです。師匠の場数なんて二度と気にしませんから」
「やっぱり気合を入れなおしたほうがいいみたいね。砂漠の熱は驚異的なものだわ、あたしの弟子の頭を壊すくらいなんだから。まったく、もろいものね」
馬鹿にしたいのか、けなしたいのか、おそらく両方なのだろうイリスは風化して白っぽくなった城壁の一角を示すと、ロートにそこへ行くよう命じた。大人の身長より少し高いくらいの範囲が、さびた鉄のような色をしているのである。
「扉ですかね? 通行用の」
「きっとロートを捕まえるための罠ね。ウサギみたいに誘われてホイホイ中に入ったら、すぐさま閉じ込められてスープにでもされて食べられるわけよ」
ウサギは強引な師匠に罠とわかっていながら突撃させられるなんて悲惨なことはないんだろうな。ロートはさっき飲んだばかりの水が冷や汗となって伝い落ちるのを感じた。
「……扉ですよね、普通の」
儚い希望をのせてロートはイリスをうかがうが、頭ひとつ分くらいは背の高いイリスから降ってきたのは無情な言葉だった。
「あたしが自分で行かないのは危険だと感じているからよ。あの内側からただならぬ気配がしているから」
追い払うように手を振られて、ロートはしぶしぶ扉だと願うものの近くへ歩み寄り、それを観察した。取っ手や呼び鈴のようなものは見当たらない。錆びついた表面を触ると、地面から跳ね返った熱気によってやけどしそうなくらい熱くなっていた。
どうしようか……。
困ったようにイリスの方を振り向くが、アヤメ色の淡い紫の髪をなでつけるばかりで見向きもしない。何度目かの大きなため息を深々とついて、ロートは扉をたたいた。
鐘を素手で鳴らしているような低い音が響く。反応がないので再び扉をたたいてみると、壁にすっと穴が開いた。城壁の内側からだれかがのぞき穴をふさいでいた仕切りをとったのだ。二つの瞳がロートを見下ろす。
「子どもか?」
「通りすがりの旅人なのですが、中へ入れてもらえないでしょうか。何泊か泊めていただけるだけで充分ですので」
「ほう、旅人!」
好奇心とうれしさの混じったような声色で、歓声をあげた。
鉄の扉は見た目に反してなめらかに開き、腰に剣をさした中年くらいの門番のような男が顔をのぞかせた。続いてもうひとり、こちらはもうすこし若い門番がロートを見る。
「ずいぶんと小さいんだな、ひとりか?」
ロートはイリスのことを忘れてしまおうかと思ったが、砂漠の向こうからイリスの元気そうな声が届いてきて、いやでも思い出した。
小走りに駆けてくるイリス。中年の方の表情が、嬉しそうにゆがんだ。イリスのことを見かけた男性の顔はたいてい、このようになる。美人は得なのだ。それも、かなり高レベルに端正な顔立ちをしているとなればほとんどのことは許されてしまうという現実もある。
イリスは自分が美人だと熟知しているから、立派な武器として使っているのだ。
「旅人に、えらいべっぴんさんか。こりゃあ、大変なことになるぞ」
と、中年が呟いたのをロートは聞き逃さなかった。
ジャンルをファンタジーにするのを忘れてた。