イリスの場合
リーとサントに出会って仲間に引き入れられたのにはいくつか理由があったのだが、やはり一番は好奇心だった。ノルデモの真実などという甘美な響きは、あの二人のうさんくさい雰囲気を補ってあまりあるものだったのだ。
ロートは気乗りしなさそうだったので、置いて行くことにする。まだリスクとリターンの関係を真に理解できていないのだ。
好奇心という純粋な欲求にしたがって得られる快感は、どんな危険が待ち受けていようとかえられないほどのものだ。それがまだ分かっていないうちは独立はおろか、半人前にもたっしていない。
頭でっかちで、心で考えようとしないのがロートの欠点だ。
そばにいると姑のように口うるさい屁理屈を並べ立ててくるので、いつもは逃げだすように買い物を楽しんだりするのだが、今日はうまく釘を刺されてしまっていた。
まったく。変なところばかり成長が早いものだ。背は伸びないくせに。
伸びたら伸びたでロートごときに見下ろされるのはたまらない屈辱だ。その時はトンカチで叩いて背を縮めてしまおう。
「ここが私たちのアジトなの」
リーに案内されるがままに着いたのは、路地裏に隠された裏口からつながっている、本で埋め尽くされた空間だった。ノルデモでは紙類が貴重なので、聖書くらいにしか紙をつかわないと思っていたのだが。
日がまったく差さないので、ろうそくに火をつける。
部屋はわりと広いようで、本に占有されている床をのぞいても充分に寝るスペースは確保されていた。まるで学者が研究しているみたいだ、とイリスは思った。
「ちょっとヤバいことを調べているから、こんな泥棒のような生活をしなければいけないんだけど。いちおうスポンサーがついているから部屋は広いのよね」
「誰かが援助してくれているってことは、裏で色々あるみたいね。あたしはあまり興味ないけど」
ノルデモの権力事情などは正直どうでもよかった。
いつ足元から崩れてなくなるかもしれない権力なんかよりも、永遠に美しい輝きを放ち続けるお宝のほうがずっと大切だ。
「そうよ。筆頭教祖の強固な地盤をなんとか崩そうとあがいている人たちがいるんだから。私はそのお手伝いをさせてもらっているというわけ」
とリーが散らかった書物を片しながら言った。
山積みにされていた本をどかすと隠れていたテーブルが姿を現した。その上にできたての紅茶を乗せると、部屋いっぱいに鼻をくすぐる香りが満ちる。
「ぼくはリーの助手のようなものをしています。一人だけではいろいろと大変ですから」
のんびりした口調でサントが説明する。
「ここに二人で暮らしているの?」
イリスが尋ねると、サントは照れくさそうに頭をかき、リーはそうよと答えた。
どうやら恋人同士というわけらしい。とたんにほこり臭い研究室が愛の巣箱に思えてきた。
「いいご身分ね」
「日の当らない生活だけど、それももうじき終わるわ。そうしたらこの薄暗い隠れ家ともおさらばね」
「それで? あたしにしてほしいことってなんだったかしら」
イリスがだされた紅茶をすすりながら訊く。酒を飲んだすぐあとだったので、余計に薬品臭く感じられた。眠気を覚ますにはちょうどいいだろう。
「簡潔にいえば、ノルデモのお宝を盗み出してほしいの」
「お宝!」
イリスの瞳がとたんに輝きだす。
「それで、どんなお宝なの?」
「教祖たちの屋敷で、厳重な警備のもと保管されているものよ。いたるところに警備兵が配置されているから、普通は盗むどころかお目にかかることも不可能ね。私がコネをつかってお願いしても無理なんだから自由に閲覧できるのは筆頭教祖だけってところかしら」
「ぼくもこっそり忍び込もうとしたことがありますが、すぐにつかまってしばらくお説教を食らいましたよ。ちょっと脅迫めいていたけど」
苦笑いをするサント。
「よっぽど大事なものなのね、ノルデモの"真実"を守るために。逆にいえばそれさえ入手できれば一気にゴールが見えてくる。研究もいまは足踏み状態といったところかしら」
「察しがいいわね。あらかた調べられることは調べたんだけど、それがないと核心には迫れないわ。もう手詰まりって感じ」
リーが優雅に肩をすくめてみせる。
ノルデモには珍しい透き通るような白い肌をしているのはサントと同じだが、リーは言動の端々から知的さを感じさせる。やや釣り上った目が、子供っぽさを残しているサントと対照的だった。
まったくタイプの違う二人。
自分のことは棚に上げて、奇妙な組み合わせだとイリスは思った。
「旅人なら多少のことをしでかしても許されるし、なにより私たちにはない能力を持っているらしいじゃない。何かを盗むくらい簡単よね」
「まあ。たしかにそうだけど」
いくら警備が強固であろうと不意をつかれれば赤子の手をひねるみたいに突破できることがおおい。むしろ大丈夫だろうという心の隙が生まれるぶん、侵入しやすい場合もある。
盗むという言葉では下賤な感じがするので、せめて頂戴するとかにしてほしいのだが。
お宝はいつも秘境に隠されているわけではないから人の手にわたっていることもある。そんな時はもらいに行かなければならないのだが、せめて予告状くらいは出してやるのが礼儀というものだ。
今回はそうもいかないみたいだけど。
「あんたたちのほうは大丈夫なのかしら。あたしの足手まといになるようなことはやめてほしいんだけど」
「私に関しては心配しないで。運動神経はいいほうだと自覚してるわ。サントは別だけど」
「ぼくは……留守番をしていようかな」
あはは、という頼りない笑み。ロート以上に頼りないやつだ。
どんくさそうな印象を与えるくせにどこか愛嬌があるから、憎めない。ただずっと一緒にいると疲れてしまいそうだ。
「ぼくのせいでつかまったりして迷惑はかけたくないし、リーの速さにも全然ついていけないし。二人の邪魔をするくらいなら、心配だけど待ってるよ」
「そんなに俊敏なの?」
「前にちょっと武芸を習っていたことがあってね、そのなかでは一番だったわよ。警備兵もあんまり人数がいなければ勝てると思うし」
リーは自慢げに胸をはった。
「あたしのパートナーになりたいのなら一人で全員を相手にできるくらいの力量がないとダメよ。少なくとも、逃げきって生き延びられるくらいには」
「警備は半端じゃないわよ。だれにも見つからずに盗めはしない」
「だったら明日にでも視察に行きましょう。あたしも現地の様子を確認しておきたいし」
イリスはひと息に紅茶を飲み干すと、
「適当な時間に呼びに来てちょうだい。あたしは百夜亭にいるから」
と言って路地裏に隠されたアジトをあとにした。あまりあの部屋に長くいすぎると毒気にやられてしまいそうな気がした。誰かの――おそらくはリーの本心が渦巻いているのだ、あそこでは。
はやく宿に戻ってゆっくり寝よう。昨晩は酒を飲み過ぎてほとんど記憶がない。気がついた時にはすでにロートが朝食を取り終えていたころだった。
ということがあったので、まだくつろぎながら寝ていないのだ。
砂漠を横切る旅はかなり疲れた。疲労をとるためには昼過ぎまでのんびり寝るのがいい。
「……なにやってるのかしら」
深夜だというのに百夜亭の部屋からは複数人の話し声が聞こえてくる。それにどうやら踊っているらしい雰囲気。ロートはいったいどんな人種を連れ込んでいるというのやら。
ナンパ――ではないだろう、たぶん。
ロートにそんな甲斐性はないはずだが――。ひょっとすると師匠の目が届かないところで女遊びにふけっているのかもしれない。意外とませたところもあるものだ。
そう考えるとふつふつと容赦ない怒りがこみ上げてくる。師匠を差しおいてそんな不埒なことをしているなんて許せない。
鉄拳制裁がいいか、現場に踏み込んで鼻を明かしてやるのがいいか――どちらがより効果的だろうかなどと思案しているうちに、百夜亭から見知らぬ女と、男が二人出てくるのが見えた。
部屋の窓をうかがうと、ロートが空を見上げてなにやらつぶやいている。
師匠、と唇が動いた気がした。
そのあと、少したってから部屋を覗き込むとすやすや眠っている。啖呵を切って単独行動をとると言ってしまった以上、ロートに見つかるのは癪なので、イリスは物音をたてないようにロートの横で目をとじた。
朝早くロートが起きる前に、部屋を抜け出す。
隠れて弟子が出かけるのを見届けると、ようやくイリスは夢の世界へ旅立った。
タイトル通り、イリス視点でのお話になります。