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旅の準備

 嫌な雰囲気だな。

 ロートはアリスたちの装備品をそろえるために市場の露店をめぐって、水を運ぶための革袋や寒さをしのぐための毛布などを購入する作業に追われていた。

 涼しくなる夜間と比べれば活気は少ないが、それでも大通りはにぎわっている。

 ロートのように布で肌を覆ったノルデモの人々が闊歩して進んでいくのは昨日と変わりなかったが、ロートはその中に違う雰囲気が混じっているのを感じていた。

 まるで真水に一滴だけ黒い絵の具をいれたような、薄められたまがまがしい気配が否応なしに感じられるのだ。筆頭教祖の屋敷に強盗が侵入したなんて話はどこからも聞こえてこないのに、全員がそれを知っているように思えてくる。

 おそらく、数人の事情を把握した者が調査しているのだろうが、あまりにも刺々しい殺気を消せてはいなかった。ロートは敏感にその気配をうかがいながらも、身構えようとはしない。

 あくまで遺跡の場所が記された巻物を盗んだのはイリスであり、ロートたちはその後からすこしだけ不法に侵入しただけなのだから真犯人とは呼べないだろう。

「まあ、僕には関係ありませんけどね」

 責任は師匠にあるのだ。

 怪我の功名というか、捕まることはないという妙な自信がロートにはあった。普段からそんなことを気にするわけではないイリスと一緒に行動しているからかもしれないし、感覚がマヒしているのかもしれない。

 値切ることもせず、スムーズに鮮やかな緑色をした大きな布を買う。これはノルデモの中で飼われている羊の毛で作られているものらしい。寝ている間に砂をよけるためのテント代わりの布だ。

 そういった砂漠の過酷な環境をしのぐための必需品をあらかたそろえるまで、不穏な気配が消えることはなく、ずっと人込みのなかにまぎれていた。

 無意識にイリスも同じような目的で店を回っているのではないかと思って探してみるが、もちろんそう簡単に見つかるはずもない。サントとリーの二人組はアリスたちよりも狡猾で周到そうだった。ひょっとするともうとっくに準備を終えてどこかで英気を養っているのかもしれない。

「これでいいかい」

 と言っておつかいに来た子どもに渡すみたいに品物をだす。ロートはイリスと違ってあまり旅人とは意識されていないようだった。ノルデモの人々と同じように肌を覆うローブを着ているからだろう。とはいっても、ロートは昼夜を問わず脱ごうとはしないが。

 どの店でも子ども扱いをするので、すこし辟易してきたところだった。頼むからおまけのお菓子をあげようとするのはやめてほしい。身長が低いのもそうだが、なによりも童顔がいけないのだ。

 実際の年齢よりも幼く認識されてしまう。

「そういえば、そのローブは買い替えないのかい? ずいぶん年季の入った代物みたいだけど」

 頭にターバンを巻いた商人がロートに尋ねた。

 まじまじと自分の着ている汚れのしみついたネズミ色のローブを観察する。かれこれ何年も新しいものを買っていない。どこかの街に到着するたび次々とまるで新調しないと死んでしまうとでもいうかのように洋服を大量に買い込むので、なだめるのと気おされるのとで買おうという意欲もなくなってしまうのだ。

 イリスも不在であることだし、ちょうどいい機会だと思い若草色に染められた小さなローブを買い入れる。

 店主のおじさんからもらった軍資金だが、イリスから財布を取り戻したらこっそりお金を返しておこう。久しぶりに感じる新品の肌触りはとても心地よかった。

 買い物が楽しいと思えたのは初めてかもしれない。師匠に口うるさく倹約をうながすのも少しだけ控えることにしよう。

 背中に抱えた荷物がいっぱいになって持ち切れなくなりそうなころには太陽が傾きはじめていた。真っ青な空がだんだんと紅くかわりだす。

「おかえりなさい」

 根城の酒屋からはすっかり酒の匂いがなくなっていて、代わりに所狭しと戦利品が並べられていた。ロートが店を発った時には眠り込んでいたノイアーもすっかり覚醒したようで、さわやかな笑顔でロートにあいさつする。

 髭を生やした店主の姿は見えないが、おそらく近くにいるのだろう。照れくさくて出てこられないだけで。

「ヴェートは情報収集に行ってるけどもうじき帰ってくると思う。教祖たちの動向を探るためには街の雰囲気を調べるのがいちばんなんだって。自分だけ買い物をさぼるつもりなんだから」

 と言いながら、アリスは充分すぎるくらいの装備をそろえてきていた。

 ロートだけならば軽装でもかまわないのだが、旅は初心者だというアリスたちのことも考えると手は抜けない。イリスの見せてくれた巻物に描いてあった遺跡にたどり着く前に力尽きてしまってはシャレにならないのだ。

「情報を集めるのも大切だと思いますよ。いまどきの戦いは火力よりも情報戦だって師匠もよく言っていますし、なるべく多くの情報を手に入れておくのは重要なことです」

 緑色のリュックにさっそく荷物をしまいながらロートが言う。たくさん荷物を詰められる効率的な方法があるのだ。

「どんなに相手を知ったところで暗殺者は噂にすぎないし、筆頭教祖だって詳細がわかっているわけじゃない。あんまり意味はないんじゃないの」

「その通りだ。結局は腕っ節が勝負を決めるんだからな」

「あんたは今の今まで二日酔いだとか言って働かなかったじゃない。それに腕相撲なら私のほうがつよいんだからね」

 アリスがあまり大きくない力こぶを披露する。頼りにならない男だ。

 後ろで金属のこすれあう音がして、ヴェートが入口を抜けてきた。手ぶらだが、険しい顔つきをしている。なにか有力な手掛かりをつかんできたみたいだった。

 荷物を整理する手を止めると、アリスはひとつのテーブルをに腰を下ろした。

「さあ、作戦会議を始めましょう」

 その言葉を皮切りに、ヴェート、ノイアー、ロートの面々がアリスを取り囲むように座る。あまり期待はしていなかったがあらかじめ作戦を立てておくのは、予想外の事態が起こったときに役立つのだ。

 あいかわらず地図もなく、会議はスタートする。

「まずはどうやってノルデモを脱出するかということだけど、裏門から出ていくのがいいと思うの。あそこは警備も薄いし、門番も適当そうなおじさんだったから大丈夫でしょ」

 ロートはノルデモに到着したばかりの光景を思い出す。あまり真面目そうではない中年と、気苦労の多そうな若者が警備をしていたはずだ。

 たしかにあそこなら突破しやすいだろう。

「おれが今日見てきたところ、あそこの警備はとくに増えていないみたいでした。ほかの場所はやはり物々しい感じで警備体制も強化されていましたから、あそこを抜けるのが有力でしょう」

 教祖のほうも巻物の内容を把握しているのだから、ノルデモの城壁を乗り越えようとする者があらわれるのも当然予期しているはずだ。

 それだけに、いちばん警備の薄い個所をそのままにしているというのが気にかかったが、そこしか突破口はなさそうだった。

「罠の可能性もありますが、師匠たちがさきに出発するのならかなりの打撃を受けている可能性が大きいです。僕らも師匠が空けた穴をかいくぐることはできるでしょう」

 ロートが言う。

「だったら私たちは少し遅めに出たほうがいいね。深夜をすぎたころならちょうどいいかな」

 アリスが時間を計算しながら提案する。癪ではあるがイリスの弾丸のような破壊力を利用しない手はないだろう。誰が欠けてもハッピーエンドにはならないのだ。

「そういうことなら俺はもう寝ておくかな。夜になって眠くなったんじゃ話にならないから」

 そう言ってノイアーがこっそり逃げ出そうとするが、襟首をアリスにつかまれてしゅんとうなだれる。あまり込み入った話題は得意でないのだ。

「あんたはさっきまでぐっすり寝ていたんだから平気でしょうが。それよりも旅人さんが睡眠をとった方がいいんじゃない」

「あ、僕なら全然平気です。夜討ち朝駆けには慣れてますので」

 ひらひらと手を振ってこたえる。

 あんまり慣れたくはなかったのだけれど。

「さすが旅人、私たちとは体のつくりが違う。ヴェートなんていまだに起こすとぐずぐず言っていつまでも出てこないんだから」

「おれのことは関係ないでしょう。今回は事情が違いますから、寝起きくらい簡単に克服してみせますよ」

「そうだといいけど」

 とアリスが言って、今度はロートに話題を振った。

「でもお師匠さんは朝に弱いんでしょ? そんなに早い時間に出発できるものなの?」

「さすがにそのくらいは大丈夫ですよ。師匠は普段こそ自堕落な生活をしていますが、やる気を出した時は不眠不休で働くくらいなんともありませんからね。僕もたまについていけないくらいです」

「だったら寝不足でも暗殺者を撃退するくらいなんともないね。こちら側にはいないけど、なんだか味方みたい」

 皮肉な運命だ。

 一度はイリスに先を越されて敗北を喫したというのに今は逆に閉塞的な状況を打開するための切り札となっている。

「僕は構いませんが、みなさんは少しでも休憩をとっておいたほうがいいでしょう。ノルデモを出てからは少なくとも数日の旅程になると思われますから、その間に倒れるようなことがあってはいけませんし」

「大丈夫だよ」

 とアリスが強がり、ヴェートもそれに同意するが、ノイアーだけは大きく首を振っていた。

「ダメですよ、ちゃんと英気を養っておかなきゃ。旅に関しては初心者なんですから僕の言うとおりにしてください」

 なだめるようにロートが説得するが、姉弟はしぶってなかなか提案を受け入れようとはしなかった。

「私だって役に立ちたい」とか「おれだって他人に任せてばかりいられません」とか抗議して、ロートの荷物整理を無理にでも手伝おうとするのだ。

 あんまりにも頑固に休もうとしないのでロートが妥協しそうになった時、酒屋の奥から店主が巨体を揺らしながら姿を現し、二人を一喝してようやく静かになった。

 そうして、夜の闇は足音もなくノルデモを迎えた。

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