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復讐の理由

 ロートが百夜亭を離れたのは夜が明けてまだ間もないころだった。低い太陽の光が、建物の細長い影を地表に描きだしている。そういえばノルデモに入ってからほとんどゆっくりしていない。砂漠を横断してきた疲れが残っていないといえばウソになるが、今は気力がみなぎっていて疲労を感じることはなかった。

 イリスの突然の訪問があって、あらしのように去って行ってから、ロートは一睡もしていない。

 夜明けはすぐにやってきたが、その間ずっと部屋をぐるぐると歩きまわっていたのだ。いても立ってもいられない、という言葉がふさわしいだろう。床にはいろうとすると急かす気持ちが湧きあがってきて、寝てなどいられなかった。

 百夜亭を飛び出すと、まだ人影のない大通りを砂埃を立てながら走り抜ける。

 顔に感じる太陽はもう強い熱を帯びていて、肌寒い空気を灼熱へ変えようとしていた。今日も変わらず、雲ひとつない快晴になるだろう。砂漠の天気はいつも晴れだ。

 夜の間にすっかり冷え込んだ砂漠の街は、走るのにはもってこいの気温だった。汗をかくことなくアリスたちの潜む酒屋にたどり着くと、ロートは鍵のかかっていない扉を開いてなかにはいった。

 嗅いでいるだけで酔ってしまいそうな酒の匂いが鼻孔をついた。店のすみまで強いかおりが漂っている。

 中央の丸テーブルで酔い潰れて眠っているアリスたちの周りには、たくさんのコップが転がっていた。どうやら夜通しでついさっきまで飲み明かしていたみたいだ。

 見かけは気丈そうに振舞っていたが、やはりだいぶ堪えていたのだろう。ロートはやるせない気持ちになったがすぐに後ろ向きな心情を追い払う。

 昨夜の大失態を挽回するチャンスがあるのだ、なにも落ち込む必要はない。

 他人には見せられないようなはしたない格好でいびきをかいているアリスを起こすべきか、ロートは逡巡した。リーダーである彼女に話を通すのが筋だろうが、いくらなんでもこんな醜態をさらしていたとなっては女性としてのプライドが傷つきはしないだろうか。

 イリスはもっとあられもない姿でいることが多いが、それとこれとは別問題だ。誰もが師匠みたいにダイヤモンドのような丈夫すぎる心を持っているわけではない。

 ロートはアリスの隣で腕を枕にしながら寝ているヴェートに声をかける。ヴェートなら寝起きでも頭の回転が速そうだ、と判断したからである。

 声をかけながら体をゆする。ヴェートの細い胴はさすっただけで折れてしまいそうなほどだった。

「んう……」

 一瞬起きそうなそぶりを見せたが、すぐに寝返りを打ってまた夢の世界へ入ってしまう。ロートがしばらく辛抱強くヴェートの肩をつかんで起こし続けると、ようやく重い瞼をわずかに開けた。

「なんですか、いったい……」

 舌足らずな声。かなり飲んでいたみたいだ。喋る息が酒臭い。

「僕です。実は話したいことがあるんですけど――起きてくれませんか?」

「そうれすか。おれも楽しいです」

 ダメだこりゃ。

 イリスもそうだが、酔っ払いはたちが悪いのであまり好きじゃない。そうはいってもヴェートが酔い潰れて正常な会話も出来なくなっている原因の一端はロートにあるので、叱るわけにもいかない。

 けれども彼らが自然と目を覚ますのを待っていては昼を過ぎてしまう。どうしようかと悩んでいると店の奥から店主と思しき人物があくびをしながら出てきた。

「いらっしゃい、と言いたいところだがうちの営業が始まるのは夜からだよ。それに子供に飲ませる酒もない、ジュースならあるが飲んでいくかい」

 顔の半分ほどがもじゃもじゃしたひげで覆われている大男だった。ロートの倍はあろうかという巨体で、丸太のように太い腕と岩のような胸襟がめだっていた。

 いかつい体格とは裏腹に温和な瞳をしている。こういう人ほど怒ったときは怖いのだ。

「この子たちに用があるなら、もうすこし待っていた方がいい。しばらくは目を覚ましそうにないからな。おかげで昨夜は大繁盛だったが、いくら払ってくれるもんかねえ」

 店主のバリトンボイスは教会の鐘のようによく響く。ロートは首を目一杯に曲げて店主を見上げた。

「でも、僕はアリスさんたちに用事があって」

「そう焦るな少年。誰しも寝ているときには悲しいことも嫌なことも全部忘れられる、幸福な時間なんだ。それを邪魔するのは無粋ってやつさ」

 ニヤリと笑ってから、店主は体に見合わず繊細な手つきでいくつかの液体を木製の容器に入れ、慣れた様子で上下に振り始めた。本来なら酒を混ぜるための動作だが、色とりどりの美味しそうなジュースを混ぜているのだ。

 コップになみなみと注ぐと、酒のあいだを縫って甘い香りが漂ってくる。

「ほらよ。遠慮せず飲みな」

 アリスたちが突っ伏しているテーブルとは別のテーブルに、店主がコップを置いて腰掛けた。しっかり自分の分も作っている。ロートがおずおずと口をつけると、ほのかな甘みが鼻の奥にかけて広がった。

「美味しいですね」

「これはカクテルのアルコールを抜いたやつなんだ。もとからジュースみたいなものだから子どもにも好評だし、材料にも困らない。ノルデモには強い酒が好きなやつが多いから、むしろ余っているくらいだ」

 そういえばイリスも度数のきつそうな酒を浴びるように飲んでいた。砂漠の夜は身を切るように寒い、だから体の芯から温まる酒を求めるのだろう。

「お酒は飲まないんですか」

「オレはこう見えても下戸でな、昔から酒が一滴も飲めねえんだ。前にも何度か試してみたんだがすぐに天地がひっくり返ったみたいに気分が悪くなって、急に眠くなって気付けば地面で寝てるなんてこともあったな。覚えてないが酒癖も相当悪いらしい。まあ、わざわざ好んで飲む理由もないってもんだ」

 店主はそれからじっとロートの頭頂部を見つめると、思い出したように膝を打った。

「そうか、知らない顔だと思ったらあんたが噂の旅人か。えらい美人だとは聞いていたが、まさか子連れだとはな」

「……子連れ、はマズいと思いますよ。もし師匠がいたらあなたがお酒になっていたかもしれません」

 それで済めばいいが。

 ロートは反射的にイリスが近くにいないか探していた。いれば、間違いなくロートも巻き添えになって尋常ではない被害をこうむることだろう。

 店主はさして気にする様子もなく、豪快に口をあけて笑った。

「師弟の関係か! これは失礼なことをした。若くてきれいな師匠なんていいご身分じゃないか、なあ」

 誰もが声をそろえてイリスをほめちぎるのは、その本性を知らないからだ。外見と中身は必ずしも一致しないどころか、ロートが美人恐怖症に陥るほどの性格だと誰が見破れるだろう。

 とにかくイリスから話題をそらそうと、ロートは疑問をぶつける。

「でも、どうして下戸なのに酒屋なんてやっているんですか?」

「先祖代々の店だからな、守り継いでいかなきゃ。最近は家業を守らずに転職するなんていう不遜なやつらもいるみたいだが、そんなことはしちゃいけねえ」

「え? いけないんですか?」

「それはそうだろう。ずっと昔から守ってきた土地なんだからよ」

 ノルデモのように領土の拡大が難しい都市では、必然的に同じ土地に住み続けることになる。住む場所が変わらないのだから親の仕事を受け継ぐのが当たり前になり、代々同じ職業に就くというわけだ。

「ヴィヴェル教の教えにもきっちり書いてある。無用な変革を求めるべからず、ってな」

 最初に貰った聖書はあれきり開いてもいないので内容はほとんどわからないが、店主の言っていることは間違っていない。

 敬虔な信者ほど、聖書を正確に記憶しているものだ。それこそ一字一句たがえぬように。

 ノイアーが大きないびきをかいて寝相を変えようとした拍子に、座っていたイスから転げ落ちて騒がしい音を立てながら床に突っ伏した。それでも起きる予兆すら感じさせない。

 店主は眠りこむ三人の様子を、まるでわが子を見るような優しい目つきで見守っていた。

「あいつらもいろいろ大変なことがあったから疲れていたんだろう。オレに隠れてこそこそ何か計画していたみたいだし、肉体的にも精神的にもかなり切迫していたはずだ。酒の力にすがるのも無理はない、か」

 最後は独り言のようにつぶやく。

「――実を言うと、僕もその計画の一員だったんです。どうしても話さなければいけないことがあって来たんですけど」

 この人にはごまかしても無意味だろうと直観してロートは素直に事情を打ち明ける。さすがに盗みに入ったことまで教えるわけにはいかないが、大雑把な全体像は感づいているようだった。

 店主はアリスたちから視線を戻し、目の前に座っているロートに向き直る。

「旅人まで巻き込んだ計画とは、迷惑をかけちまったな。こいつらに代わってオレが謝ろう。保護者みたいなものだから勘弁してくれ」

「いえ、迷惑をかけたのはむしろ僕のほうですから。その失敗を挽回するために来たんです」

「忠告しておくが、あまり深入りはしない方がいい。あいつらはまだ青臭い若造だ、いつ取り返しのつかないことになるかわかったもんじゃない」

 声を落とし、深刻そうな口調に変わる。

「いくら友達がいなくなったとはいえ、少し頭を冷やすべきなんだ。それを無理して乗り越えようとするから歪みが起こる。で、耐えきれなくなると酒に頼らざるを得なくなるんだ、まだそんなことを覚える時期じゃないのに」

「そんなことがあったんですか。僕は全然、詳しいことは聞かされていなくて。だからノルデモの真実を明かしてやる、って言葉を信じて協力していたんですけど」

 ヴェートが復讐のためだと公言した以外に、ロートは三人の事情をほとんど知らなかった。誰のための仇打ちなのか、その人はなぜいなくなってしまったのか、尋ねることもしなかった。

 店主はびっくりしたように目を丸くした。

「あんた、それだけで危ないことに顔を突っ込んでいたのか。旅人っていうのはずいぶん奇特な職業なんだな」

「まあ、好奇心で動いているようなものですから」

「あいつら抜きで話していいものかどうか分からねえが、旅人さんには知る権利があるだろう。どうしてアリスたちがあんたを計画とやらに勧誘したのか、その前に何があったのかということを」

 店主はどこか遠い場所を思い出すような目つきで、ロートの背後にある壁に視線を向けていた。だが、どんな風景を見ているのか、さっぱり頭に入ってこなかった。

「つい数年前のことなんだが」

 話し始めるまでにはいくぶん間があった。まるで今まで自分の心の整理をつけていなかったみたいに。

「あいつらの親友が突然、蒸発したみたいに消えちまったんだ。ノルデモではたまにあることなんだが、いきなりある日ふっといなくなってる。蜃気楼でも見ていたんじゃないかって錯覚するくらい忽然といなくなるんだ」

「親友」

 とロートは繰り返した。

 今のアリスたちは3人で固まっているが、少し前まではもう1人仲のいい友人が加わっていたということだ。

「名前はケビンっていってな、誰よりも明るくて元気の塊みたいなやつだった。ところかまわず走りまわって酒樽を倒すもんだからよく叱りつけていたもんだ。大人になってからも活発な感じは変わらないで、あちこち動き回っていたな。ノルデモだけでは全然足りないくらいだ。あいつなら砂漠全部だって踏破できる」

「家出じゃないんですか」

 エネルギーが余って仕方ないというのなら、城壁で区切られた狭い街など飛び出して、外界へ冒険に出ていくことも充分に考えられた。ロートが質問すると、店主は力なく首を振った。

「この街を出ていくことは固く禁じられているんだ。もし無断で城壁を超えようものなら厳罰に処せられて――最悪、死刑だ。ノルデモを守り、継いでいくというのがオレたちの役割であり、義務だからな。旅人さんのように各地を回れるわけじゃない」

 若いやつらは外の世界を経験したがるものだがな、と付け加える。

 自由を制限されるほど、強く自由を求めてしまうものなのだ。無制限に解放されてしまうと逆に殻に閉じこもりたくなる。

「ケビンが消えた直後、アリスたちは夜通しノルデモ中を探し回っていた。もちろんオレも手伝って捜索したが、正直なところ半分くらいは諦めていた。あいつらもそう、目を真っ赤にして泣き腫らして。見ていて痛々しかった。失踪してから発見された人は、今までいなかったんだ」

「ひとりも、ですか」

 ロートは少し思考を整理して推測する。いくらなんでも不可解だ。

 脈絡もなくいきなり姿を消して、一度も戻ってくることがないなんて。大自然の脅威に飲み込まれたのだとはいえ、ノルデモの住民も砂漠の特性は熟知しているだろう。なんの装備もなしに出ていくとは思えない。

「誰かがいなくなるときだけ、外出の許可がでるんだ。範囲は決められているが、足跡もなにもない砂丘を探すのは骨が折れるからな。だが、ケビン自身はおろか、痕跡すら残ってはいなかった」

「人為的な誘拐という可能性はありませんか。いくらなんでもアリスさんたちに一言も告げずに自分の意思で所在をくらますとは思えません」

「そう思うやつらはたくさんいてな、こんな噂がまことしやかにささやかれている。筆頭教祖が不穏分子を影で粛清していて、そのための暗殺者がいるんじゃないか、ってな」

 筆頭教祖。

 7人いるといわれる教祖のトップであり、実質的なノルデモの支配者だ。

「それで復讐なんてことを……」

「なにをしでかすつもりなのか知らないが、教祖たちに逆らうなんて馬鹿げたことはやめた方がいい。下手をすれば、噂通り自分たちの安全も保証できなくなる」

「でもね、あたしはやらなくちゃいけないの」

 いつの間に目を覚ましていたのか、そこには強い意志を宿した瞳で店主を睨みつけているアリスが立っていた。ヴェートとノイアーはまだ眠ったままだ。

 つい先ほどまで酔って眠りこけていたことなんて感じさせないほど、アリスはしっかりとした言葉を紡いでいる。


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