砂漠にて
この作品は『プレシャス × プレシャス』『プレシャス × オーシャン』の続編ですが、読んでいなくても充分に楽しめる内容となっております。
ホントですよ。
……ホントですってば! 疑うなら読んでください!
延々と続く砂丘。
足を踏み出すたびに、太陽から与えられた熱が伝わってくる。肌という肌は火照りきって、水を求めていた。砂の足場はもろくて、歩きにくい。だがそれにももう慣れた。
太陽が何度か昇っては沈み、猛暑と極寒が繰り返し訪れる。
「ロート、水をよこしなさい……」
「そんなもの、とっくに飲んでしまったじゃないですか。余計なこといわないでください、のどが渇きます」
「どんなに冷たい態度でも、体はちっとも冷えないんだから、それは詐欺よね」
ロートは口をつぐんだ。
言葉を返す体力さえもったいないような気がしたからだ。
弟子の返事がないことに腹を立てたイリスは、フードで隠された後頭部をポコンと殴った。それでもロートは声一つ立てず、黙々と歩いている。
「あー、もう。イラつくわねその無気力な感じ。どうにかしなさいよ」
「師匠は……なんでそんなに元気なんですか?」少年が絞り出すように言う。
「決まっているじゃない、あたしが若いからよ」
僕の方がまだまだあなたよりもずっと若いんですよ、と言い返す気力すら、砂地獄に吸い込まれていくような気がした。
太陽と砂が支配する環境に、生き物の姿はほとんどない。時折見かけるしゃれこうべや、痩せ細った小動物がその厳しさを物語っていた。
かろうじで方角だけはわかったが、行くあてもない状況だ。
ロートは「砂漠とか面白そうじゃない。きっと超古代文明の跡とか、金銀財宝を隠した洞窟とか、他の世界からやってきた生物とかがいるに違いないのよ」とかいって、勝手に砂漠へ足を踏み入れてしまった師匠をひどく恨んでいた。なんだその、根拠すらない確信と自信は。
この砂漠で消費した体力の半分はイリスのせいだ。この人と一緒にいると、三日は早く骨になる。
砂にまみれたローブの中には熱がこもっていて、まるで暖炉のそばにいるようだった。それでも脱がないのは、日差しが強過ぎるためだ。素肌のままだと、日焼けでとんでもないことになる。
時間の感覚はとっくに失っていて、昼と夜の区別だけが基準だった。それでもただひたすらに足を動かし続けると、なにやら建物の跡ようのものが姿を現した。
イリスとロートは顔を見合わせると、我先にと日陰へ滑り込む。砂に残る足跡は、風に流されてすぐに消えていった。座りこんだ目の前を、大きなつむじ風が駆け抜けていく。
常にそばにあった日差しが遮られると、ずいぶんと涼しく感じられた。深呼吸とともに今までの疲れを吐き出す。直射日光がないというだけで天国と地獄の差だ。
「あー、生き返る」
イリスがビールを一気飲みした後のような吐息を漏らす。
「ほんとうですね」
ロートも喋る元気を取り戻したようだ。イリスは、日焼けして石と変わらない色になったレンガにもたれかかりながら辺りを見回す。
廃墟になった家屋からもわかるように、人が住んでいる痕跡はまったくなかった。屋内にまで砂が入りこみ床の大部分が覆われてしまっている。建物は二人でいても窮屈に感じない程度の大きさで、ところどころ壁が欠けていた。そこから風が吹きこんで、砂粒を巻き上げている。
「水でもないものかしらねえ」
食料はまだいくらか余っていたが、水にはまったく余裕がなかった。人が暮らしていたのだから、どこかに水源があるはずである。それが枯れ果ててしまったために無人になった可能性もあるが、希望がある以上、探してみる価値はありそうだった。
「……少なくても、食べ物はなさそうですね」
完全に干からびた家の状態からして、人がいなくなってからかなりの年月が経過しているようだ。かりに食料が置かれていたとしても、乾燥して食べられたものではないだろう。
水気のない、石で造られた戸棚を手当たりしだいに開いていく。しかし出てくるのはかさばる食器など、とても使えそうにないものばかりだった。
イリスは大きく溜息をついた。
「このままじゃ、ミイラになるわよ。ま、あたしはあんたの血をすすってでも生き残るつもりだけど」
本人の目の前でいうことじゃないだろう。ロートは激しい頭痛を覚えた。早く水を見つけないと命が危ないかもしれない。
どさりと腰を下ろし、イリスがいった。
「ロート、その辺を探検してきなさい。それでもって、何か見つけてきなさい。できなかった場合、破門だから」
「それは困りましたね……」
のんびり呟く。どうせ破門する気などないのだ。のんびり構えていよう、という考えである。命の危険がなければ怖くない。
砂漠での疲れ切った表情にはすでに生気が戻り顔色もいくらか回復している。その端正な顔をできる限り冷たくすると、イリスは腰から銃を抜きだし、銃口を弟子の額に押し付けた。
抑揚のない声で言い放つ。
「3、2、1……」
最期の数字を聞く前に風のような速さで飛び退くと、ロートは一目散に外へ逃げ出したのだった。
「やれやれ……」
そういいながら、砂とレンガしかない元集落を眺める。そこにはサボテン一本すら生えておらず、本当に人が住んでいたのだろうかと疑いたくなるような有様だった。どうやら道であったような直線には石がゴロゴロと置かれており、かろうじで人が住んでいた証拠を残していた。他にも、溝のようなものが家屋にのびている。これはいったい何だろうか。
あとを追って家の内部をのぞいてみると、壺の中に溝を通ったものがたまる仕組みになっているらしかった。どうやら用水路だったようだとロートは推測した。つまり、たどっていけば水源にぶつかるということだ。
注意深く観察していくと、用水路は集落から少し離れた場所で一つにまとまっていた。ここまでくると、幅もかなり広いものになっている。まるで小川のようだ。しかし底は完全に干上がっていて、水がありそうな気配はなかった。しかし、失望を感じながらロートが歩を進めると、久しぶりに緑を発見することができた。
その先に進むにつれてだんだんと植物の姿が多くなってくる。小規模な森のように茂った中心に、こんこんと水の湧く泉があった。
用水路の給水口は土で封鎖されている。このために水が全く流れ出していなかったのだろう。
「オアシス……よかった」
海よりも青く深みのある水だった。強い日差しは大きな葉に遮られていて、口に含んだ水は驚くほどひんやりしていた。たったの一口で、体中に潤いが戻ったような気がする。
空っぽの革袋に満杯まで水を詰め込むと、ロートは泉に手を浸した。ひどく気持ちがいい。水なんてものはあって当然だと思っていったが、一度なくしてみるといかに大切なものだったかが分かる。
このまま全身を水に入れたい衝動にかられたが、かえって出られなくなってしまいそうだった。
ずっしりと重みの増した袋を腰に付け、ロートはイリスのいる場所まで戻った。
師匠はロートの持ってきた袋をひったくるなり、一息に飲み干す。
「でかした! 肌がぴきぴきで危うくひび割れるところだったわ。で、そのオアシスはどこにあるの?」
「あっちの方です」とロートは泉の方角を指差した。太陽とは真逆の方向だった。
「すぐに案内して。そこで飲めるだけ飲んでおくわよ。次に給水できるのはいつになるのか分らないんだからね」
「はいはい」
さて、といいながらイリスは髪をすくい上げた。その長い指には青い宝石のついた指輪が嵌められていて、深い輝きを放っている。
「今夜の夕飯も水だけで済ませるくらいの勢いで頑張るのよ」
「下痢にでもなったらどうするんですか」
「その時はその時よ。後のことを考えるのはやめときなさい。何度もいっているけど、細かいことを気にしていると禿げるわよ」
もしそうなったらそれは師匠のせいだという文句は心の奥底に封印しておいた。
二人がオアシスに着くと、イリスはおもむろに服を脱ぎ始めた。砂で汚れた黒いズボンと二枚重ねにした緑色のシャツである。それらを水中に投げ込むと、自分も裸のまま泉に飛び込んだ。
あわてて目をつむったロートは顔を真っ赤にして、
「な、なにやってるんですか、いきなり!」
混乱した様子で叫んだ。
イリスがさも心外そうな顔でロートにいう。
「体を洗っているにきまっているじゃない。見ればわかるでしょ」
「見られるわけないですよ! もう少し女としての自覚を持って下さい」
「なにそれ、あたしは女でないとでも?」
「そんなことは言っていません。ただ、せめて一人じゃないってことくらいは覚えていて下さい。そうでないと鼻血で死にます」
「それも修行だと考えなさい。何事も糧にするのよ」
ぴちゃぴちゃと水しぶきをあげて体を洗う。今まで足りなかったモノが細胞に染みわたっていくようだった。乾いた砂に水をかけた時のように色が戻っていった。
ロートは彼女のたてる音が聞こえないところまで歩くと、ようやく息をついた。なんだか呼吸をしただけでも取りこまれそうだったのである。イリスのせいで身についてしまった女性(美人)恐怖症はロートの本能の奥に根付いてしまっていて、用意に解決できる問題ではなくなってしまっていた。将来は本当に大丈夫だろうかと最近よく心配する。
どうして師匠はあんなに破天荒なのだろうか。いったい過去にどのような教育を受けたらあのようなお転婆になれるのか、ロートは興味があった。参考にしないために聞いておきたいことだ。
オアシスからいくらか離れてはいるもののロートがいる場所には青々しい草が茂っていた。丈は短く、せいぜい足首くらいまでだが、生命力だけは草原のそれよりもはるかに勝っているように思えた。
空に向かって延びる鋭い葉を撫でてみる。ふさふさした細い毛のくすぐったい感触が、手に伝わってきた。ふとその横の、石のような欠片に目がとまる。手に取ってみると、どうやらそれは鉄のようだった。錆びついてボロボロになっているがたしかにそれは金属だ。力を加えると、錆びてもろくなっていたせいで、簡単に割れてしまった。
「前の住民たちの名残か……」
おおかた包丁か何かだろう。
だが、目を凝らしてみると同じような鉄片が大量に落ちていることに気付いた。大半は砂に埋もれていて、ほんの一部分だけが地上に顔を出しているような状態だ。
「いや違う……これは、武器?」
戦争があったこと以外にこれほどの量の鉄が埋まっている理由があるだろうか。農耕のための道具だとも考えられたが、それにしては形状が違い過ぎていた。
いったいここで何があったのだろうか。
「だとしたら――どこかにあれがあるはず」
ロートは小さい体を目いっぱいに伸ばして「あれ」を探そうとした。懸命に目を地面に這わせていく。
「――どこだ」
普通に考えれば何か目印のようなものがあるはずだろう。だがそれらしきものは見当たらなかった。
ロートは今度は逆に目立たないところを重点的に観察することにした。ひょっとすると人知れず隠されている可能性もなくはなかったからだ。
「あれか!」
用水路からさらに離れた場所に、わずかだが他とは様子の違っている場所を発見した。
そこだけは砂ではなく黒土が覆いかぶせてあるのだ。その下にあるものが風化によって地上に出てくるのを防ぐためだろうとロートは推測した。
「この村の人々の墓場は」
ロートが大きな墓地に駆け寄るとたしかに足元の感触が砂とは異なっていた。土を手の平に載せるとずっしりした重みがある。それにずいぶん深いところまで土は盛られているようだった。
「これはつまり――誰かが定期的に見回りに来ている?」
口に出して考えるとようやく脳内にちりばめられたピースがそろい始めた。
「ここでは昔戦争があった。それは間違いない。そしてここには大勢の人が葬られている。それも間違いない。この墓場は誰かによって守られている、または管理されている。最後に僕が今いる村に残っているのは廃墟だけだ。このことから導き出されるのは――」
ぱちり、と音をたててロートの頭の中に描かれたジグソーパズルは完成した。
「遠い昔に戦いがあった。それによってたくさんの犠牲者が出たものの、彼らは勝利したのだろう。だがしかし損害は大きすぎてこれ以上この土地に住むことはできなくなってしまった。だから近くの土地に移住して新しい村を作り、そこの住民が定期的に墓参りに来るのでしょう、と」
我ながら素晴らしい推理だと思った。
イリスには聞かせまい。彼女はとるにも足らない屁理屈といちゃもんの嵐を浴びせかけるだろうから。せっかくの余韻を無粋な気持ちで汚したくはなかった。やっと旅人らしくなってきた気がして、ひそかに満足する。
ロートが鼻歌を歌いながらオアシスに戻ると、イリスはもう服を着終えていた。
ついさっき水中に入れた洋服は木の枝に掛けてある。
「どこから持ってきたんですか、その着替え」
「服なんて何着も持っているのが常識でしょ。この日差しだからすぐに乾くだろうし、しばらくはこっちで過ごすことにするわ」
そういって真新しいウグイス色の洋服をひらひらと見せびらかす。
いつの間に調達したのだろうとロートは思ったが、イリスが夜分にこそこそ抜け出すことがあるのを彼は知っていたので、どうせその間にでも買い物をしているのだろうと見当をつけた。
「ひょっとして、僕に持たせていた荷物がやけに大きかったのって洋服を詰め込んでいたせいですか」
砂漠に挑むのだから多少の重荷は当然だと甘い考えだったが……。
「あたりまえじゃない。こんな汚れやすい所で備品も揃えないなんて、ある意味、死に行くようなものよ。そんなことは私のプライドが許さないわ」
「はあ……」
大きなため息は雲一つない真っ青な空に消えていった。
「せめて水とか食料とか持っていく気はなかったんですか。しかもそれを僕に任せるなんて――」
「寝言は寝てから言いなさい。あんたは弟子でしょうが。あたしがいなければ今ごろ砂漠で骨になっていたわよ。それだけでも感謝することね」
その前に砂漠へはいることもなかっただろうな、とロートはおぼろげに考えた。
イリスは草むらに寝ころぶと宇宙まで届きそうなくらい高く澄んだ天空を見上げる。
「次のお宝にはいつ出会えるかしらねえ。こんなところだから遺跡の十や二十くらい転がっていると思ったんだけど……あるのは砂ばっかり。どうしてくれんのよ」
「知りませんよ、そんなこと。進むしかないんじゃないですか」
「ああもう。それしかないからムカついているんじゃない!」
「……はあ」
溜息をするたびに幸せは逃げていくというけれど、幸せが逃げて行ったあとに溜息が出てくるのではないだろうか。心の空虚な部分が吐息となって流れ出てくるだけなのではないだろうか。
もしそうだとしたら、近い将来に僕は人形のようになってしまうかもしれないなとロートは思った。うつろな目をしたロートをぷにぷにと弄ぶイリスの様子が目に浮かんで、冷汗が背中を伝う。きっと飽きたらどこかに売り飛ばされるだろう。
そんな恐ろしい妄想がいとも簡単に、そして現実味を帯びて想像できてしまった。
溜息とともに逃げて行った幸福を何とか取りもどそうと、大きく息を吸いこむ。熱い空気ばかりが肺にたまった。
イリスはふくれっ面でその様子を眺めていたが、ロートが残念がっているのを感じると、少しだけ気分が晴れたようだった。元気よく立ちあがり、革袋に詰めた水を一息に飲み干す。ぷは~、とふたたびビールを飲んだ後のような声を出した。
「もう一度水を汲んできたら出発するわよ。ぼやぼやしていたら時間がたつだけで、ほかには何も手に入らないんだから。今日こそ新境地を見つけるからね。強行軍だから」
そう言って渋るロートをせかすと、イリスは雲のない空を見上げた。
この空のつながっている場所にお宝が眠っている。それを探し出すのが自分の使命なんだと、太陽が教えてくれている気がした。実際にはそんなことはなかった。
もし興味がわきましたら、他の二つもどうぞ。